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「家庭教育」と「社会教育」の境界をぼちぼち溶かしていこうかという話

「学校教育」と「家庭教育」以外の領域ぜんぶ
ざっくり言うと「社会教育」はそういうもんだと思っていた

が、よくよく考えてみると
この定義ができた当時といまを比べると
家族の在り方も、学校の在り方も随分変わったのだろう

そもそも前提条件が変わってしまったのだから
「社会教育」、「学校教育」、「家庭教育」の
3つのカテゴリーでわけるのにも無理がでてきているんじゃないか


もちろん「家庭教育」の大切さを否定するつもりはみじんもない

けれども、いまの"家庭"に、かつて思い描いていたような「家庭教育」を
どこまで期待していいのだろうか

これこそ"親ガチャ"ならぬ"家庭ガチャ"じゃなかろうか

どんな家庭に生まれるかで、どんな「家庭教育」が受けられるか
ひいてはその後の人生だって左右されてしまう


であればこそ
せめて自分の家庭での「家庭教育」だけでも頑張ろう

というのもちょっと違うのかと思う

自分のこどもだって一人で生きていくわけではない

だからこそ、自分のこどもを大事にしたいのであれば
「自分のこどもと一緒に生きていく同世代のこどもたちを大事にすること」
が実はとっても大事なんだろう

最近そんな想いがじわじわと強くなってきた


北九州に住んでいたころにお世話になった
「抱樸(ほうぼく)」さんのワークショップでは
「家族機能の社会化」がキーワードのひとつだった

かつて家族が担っていた機能を
もっとひろく社会で担いあって
みんなにとって生きやすい社会をつくろう

そういう意味だと理解していた


「家庭教育」についても同じことが言えそうだ

「家庭教育(の機能)」を「社会化」する
つまり、「広く社会で担い合う」のだ

そうしたら「家庭教育」と「社会教育」の境界なんていらないのかも

というか、そうなったら両者の境界うんぬんの議論そのものにもはや意味なんてないのだろう

「家庭教育」と「社会教育」の境界が溶けあった新しい領域
そんな領域をこれから探究してみたい

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