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my story:アメリカンハイスクール pt3

クリスチャンスクールは毎朝朝礼のように朝の礼拝で学校が始まります。私は母側の祖母がクリスチャンだったので全く無知の世界では無かったのですがこういう学校に行くことは初めてだったので色々新鮮でした。ギターを弾く先生がいて朝は賛美歌ではなくキリストを讃えたフォークソングを皆で歌ってその曲はものすごく有名な曲だったらしく、今でもスーパーでかかったりするとあの先生が弾き語ってる姿が目に浮かび先生の歌みたいに感じてしまいます(笑)同じ年の友達は皆16歳で運転免許を持っていて、休み時間は一緒に車に乗って近くのファーストフードへ食べに行ったりしました。ジャネットはオープンカーに乗っていたので私と二人で乗っていたらついでに乗せてーーと3、4人後ろに乗っかってきて音楽をガンガンかけて車を走らせる、そんな楽しいお昼休憩でした。今ではやはりそんな事でティーンの事故が多く、決まりで16歳の運転者は人を乗せてはいけないルールが出来こんなお昼休憩は時代と共に本当に思い出話になってしまった。そんな楽しいお昼休憩も話している事があまりわからず、皆で爆笑している時も私は笑えず一緒にいるけれど寂しい想いを日々していました。日本の高校でみんなとゲラゲラ笑って思い出し笑いまでし、電車に乗ってられず途中下車した事とかを思い出してはいつか私もアメリカのお友達と同じように笑えるようになるぞ!と強く思い、今こうして側にいる友達がいるだけでもありがたいとだけ思うようにしました。私にも笑わせる何かがあるはずだと(大阪根性ここにて大発揮・笑)その頃の私の英語の勉強の仕方は友達が言ってたセリフをゆっくり言ってもらいリピートする事。家では好きな映画を何度も見てそこに出てきたいいなと思うフレーズをとにかく自分で言いまくる事をよくしました。でもやっぱり言葉に自信がないとこれであってるかな?と思いながら言う発言に容赦無く「WHAT??」何言ってるかわからない。と言われるとシャッターを下ろされた感があってその度凹みあぁもっとこんな事でヘコタレてないで強くならないとなと思いました。特にジャネットは発音が悪いと何度も言わされ、「そんな言い方してたら誰も聞いてくれないし馬鹿にされるわよ。」っとキツク言われました。それに対して言い返せる適切な英語も言えず(涙)その上彼女は私がわかってるふりをしてOKとかYESという事をものすごく嫌いました。「なぜわかってないのにOKっていうの?」とほんとによく責められました(汗)「だっていちいち聞いてたら日が暮れるで。私の英語がどんなけ低レベルかわかってへん。」と言うと(大阪弁で言うてません・笑)「じゃあどうやってレベル上げていくの?わかったふりしても全く上がらないわ。」と真っ当な事を言われました。それから私はなるべくできる限りのことは質問でジャネットを攻めました。半分、ざまーみろ、こんなにわかってないんだぞくらいの勢いで(笑)それでもジャネットはきちんと説明してくれました。わかっていないということを言うといつもはきつい発言をしていた彼女も優しく丁寧になりました。なんなん?おもろい人やなーと思うと同時にいろんな事がわかってくるようになり、わかる内容はどんどん増えていき、話せるスピードも急上昇していく事を日に日に感じるようになり友達といる事がもっと楽しくなっていきました。

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