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桃が嫌いだった話。

桃は嫌いだった。すごく好きだけど、嫌いなフリしてた。
こういう美味しいフルーツを、自ら買って食べたら、幸せになっちゃう気がして。

無意識で子どもの頃からずっと、
「私は幸せになってはいけない」
「不幸でいた方が愛される」
と思っていて、幸せになる事を拒んでいたのだ。

桃は幸せの味がする。
ひと口食べるだけで至福だ。

桃を食べたら幸せになってしまう。
小さな頃から育てられたカチカンやあいでんてぃてぃーってやつが、桃を食べたら壊されてしまうのだ。
それは"私が私でなくなってしまう"ことを意味している。
桃を食べたら悲しくなって苦しくなる。
すなわちそれは私が設定した"不幸"なのである。



2年ほど前までずっと私は桃を買って食べなかった。
自分が自分のために桃を買って食べたら、なんだか…なんだか分からないけど、ワルイコトな感じがしたからだ。

でも私は私を幸せにすると、幸せに生きていいと決めてから、幸せな選択をし続けてきた。
その中で桃を買ってみたのだ。


幸せというのは案外こういう、しょうもないことなのかもしれない。
だけど、それぞれが無意識に設定し、生きている世界の中に、本当は幸せがすでに存在しているわけで。

結局はソレに気付けるか気付けないかしかないのである。



私は今日も生きていた。
昨日娘と行ったスーパーで、私と娘のために買った2個の桃を食べて美味しいと思える私が、確かに存在していた。

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