救われて
映画「夜明けのすべて」がとても良かった。フィルムの温もりが作品そのものを包み込んでいるようで何度も泣きそうになった。そして何か文章を書きたくなった。
PMS(月経前症候群)を抱える藤沢さんとパニック障害を抱える山添くんの物語。主演二人の自然体かつ心地よい空気感があまりにも、あまりにも素敵でやはり何度も泣きそうになった。私も自分自身の心の状態に常々悩まされてる。生理前後は涙脆くてなんで泣いてるのかも分からないことが多い。病院に行ったことがないだけで色々と調べていて「私ってこれなのかな」と感じる症状や病名は今の時点で四つある。堪らなく辛いとき、何も言わずに抱きしめてくれる人が欲しくなる。電車の中で手を握って安心させてくれる人が欲しくなる。とりあえず今は大好きな音楽やこういう映画で得た優しさを思い出して耐えている。
母はずっとパニック障害だった。実際は初診で幾つもの病名を付けられたらしい。当時私はまだ小学生で急に塞ぎ込む母を見て「なんで話を聞いてくれないの?」「なんでご飯を作ってくれないの?」と思ってた。母が死のうとしたとき私と父と兄はリビングでテレビを見ていた。マンションの九階。ベランダから下を覗いてみるとなんだか虫が沢山いそうで嫌だからと母は死ぬのをやめたらしい。それ以来、病気が酷くなると「あのときみんな気付いてくれへんかった。死のうとしてたのにみんなは楽しそうにテレビを見てた」と度々責められた。
オレンジ色のニット帽を被っている山添くんを見てよくパーカーのフードを被っていた母を思い出した。過呼吸を起こしたときの喉の音はものすごく聞き覚えがあった。穏やかでお人好しな藤沢さんがグイグイと山添くんに絡んでいく姿を見て「そんなことしたらパニックが出ちゃうんじゃないか」と不安になった。これまでにもうつ病を描いた作品に触れたことは何度かある。ただ本作はなんていうか当たり前ではない状況をナチュラルに日常に混ぜていて「どうだ!これが病気だぞ!」みたいなくどさがない。それが私の過去を刺激した。あの辛くて堪らなかった日々は忘れちゃいけないんだと思わされた。
みんなみんな生きるのが大変だ。水を飲むことが精一杯の日があってもおかしくない。藤沢さんと山添くんの周りの人はみんな優しかった。優しすぎる気もした。この世界が正解であってほしいと心から願った。それでもあんな風に壊れそうな人間に優しくできることはすごく大変だと知っている。知っているからこそ優しすぎる気がしてしまったのだ。日が暮れてきてそろそろ電気を付けようかどうしようかという時間帯に配られた画面越しでもちゃんと伝わる温かいたい焼き。私が思う「夜明けのすべて」の希望はそこだった。
母は私が小学五年生のとき、しっかりと病気を治すために家を出た。私はそう説明されていた。知らないうちに父と離婚しもう二度と家に帰ってくることはないと分かった日の記憶だけは忘れさせてほしい。母のパニック障害はもう治った。薬も飲んでない。病院にも通ってない。今は突然泣き出したり怒ってしまう私を宥めながら「ママがあのとき死んだら良かったんやな」と言う。そんなことないよと私は言うけど自分でも本心は分からない。今度は私が母から離れた。上手くいかない。上手くいかないけどきっと温かいたい焼きのような希望はどこかにある。
夜明けのすべてを観た多くの人が救われて、救われたいと感じて、救ってあげたいと感じて、でもそんな自分にあまり囚われずに生きてゆけますように。私は今の暮らしにもう少し余裕ができたらプラネタリウムに行こうと思う。
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