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27歳


今年も気付いたら歳を重ねていて「ああ、このままこんな感じで死んでいくんだろうなあ」と思った。相変わらず自分に自信が持てないし誰かを好きになるのが怖いし平らな道で躓いてる。私の言葉なんて窓に張り付いた水滴みたいなもんだ。新しい雨が降ると上書き保存されてしまう。空が晴れると乾いて消えてしまう。


何者かになりたかった。あわよくば脚本家とか歌人とかそういう言葉を紡ぐ人になりたかった。過去形なのはもう諦めたというよりかは自己肯定感の低さからあまり夢を大きく口にできないだけ。同性の同世代が活躍してる姿を見るのは今でも少しきつい。友達に「お前は頑張らなかったから」と言われたことを今でも根に持ってる。褒められても貶されても私は私にしかなれない。妬みとか僻みとか嫉みとかもはやもうそんなもんでもなくて、かと言い憧れでもなくて。私は学生時代に夢を持ってしまった。長い長い持久走のスタートを切ってしまった。今もゴールに辿り着けないのはどこかでまだ何者かになれると思っているからなのかもしれない。自分でもよく分からない。頑張るってなんだろう。別に頑張ってないわけじゃないけどな。ただ私は宝くじを「どうせ当たらないから」と思い込んで買ってこなかった。そのつけが回ってきてる感覚は確かにある。もう27歳。でもまだ27歳。1等賞の宝くじが当たるまであと何年かかる?運も努力の1つだと誰かが言ってたな。

春ドラマを全て見終わった。アンメットがあまりにも良すぎたもんだから他の作品の記憶がない。人の心を大きく動かす何かを目の当たりにしてしまう度に「ああやっぱり私には無理だ、こんなもん無理だ」と変な笑いが出る。ここでブログを書いてる人たちは日々どんなことを考えながら生きてるんだろう。感じたことをちゃんと言葉にできてるから私が読めてるんだろうか。誰かのために?自分のために?いいねが欲しい?何かを満たされたい?どれも違う気がする。少なくとも私はどれも違う。強いて言うならばデトックス。体に充満した毒を言葉として吐き出してる感じなんだろうな。でもそれが誰かの目に入り誰かの心を潤し私が何者かになれるかどうかは別の話だから。

何者かになりたかった=何者にもなりたくない。私は私のままで死んでいきたいし「あなたの言葉ってあの人に似てるね」と言われたくないし傷付けられたり馬鹿にされたり嫌われたくもない。ずっとあやふやに生きてきた自分を正当化したかった。こうしたいならこうしなさいと進むべき道を教えてもらいたかった。上京先で派遣社員だからと自分のデスクを貰えなかったときの悔しさを今でも覚えている。狭っ苦しくても居心地が良ければ死ぬまで居座りたいんだけどなぜだか私の鳥籠はいつも全開で逆に飛んでいきづらい。映画のエンドロールで自分の名前が出てくる未来も憧れる。でもそこが私のゴールだったとして一体何になるんだろうと思う。専門学生の頃、自主映画の企画書を出したときに先生が「いいやん」って言ってくれた。多分もうそれでよくてそれだけでよかった。あれから7年が経つけど私まだあの「いいやん」だけで生きてこれてる。そういうことか。そういうことだ。水たまりに浸かってしまった靴下が乾くのには相当時間がかかる。そのしつこさが結局のところ私を答えに導いてるはずだ。


文章を書くことが好きだからそれだけはずっと続けていきたい。あわよくばを夢見続けてしまうかもしれないけどそれで私が生きてゆけるならそれでいい。あと3年もすれば30歳になる。3年後も同じようなこと書いてたらどうしよう。さすがにウケるね。

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