VO.8 タネから始まる物語⑥「捻れ(ねじれ)」
考えてみました。
それにしても、なぜ急に活き活きさが無くなったんでしょう。
日当たり、水、土に特に問題はないようです。
思い当たることが一つだけあります。
ただ、科学的根拠がないかもと思うことなので、というかあるかも知れませんが、私にはわかりません。
しかし考えられるのは、今の所それだけです。
それは、タネから始まる物語②の記事にある、
「植物をいじめると成長に影響はあるのか? 」
に関連しています。
ふた葉が出たときに、ふた葉がこんなことを言っている気がしたということを書きました。
ふた葉「私の存在そのものをよく見ていてください。そして存在そのものから価値を見出してください。
私は私として、今の私を大切にしていきます。」
しかし、その声はボクの「気のせい」のようでもあり、聞き流していました。
他の花と見比べて、この芽はどんな花が咲かせるのか、他の実と見比べて、どんな実をつけるのか、など楽しみにせずにはいられなかったんです。
楽しみにしていること自体には問題はないんだと思います。思うに問題は、その楽しみはどこに焦点を当てているか、とその先です。
頭をよぎったのは、
このふた葉もあんな花を咲かせてくれれば良いな、あんな実を付けてくれたら良いな。
でした。
これは、ふた葉が言うように、必然的に生まれるものがあります。
それは、
もし、綺麗な花も咲かせず、美味しい実をつけることもない植物だったとしたら?
です。
そして
特別役に立たないな、なんだこれ、意味なかったな、
という「全否定」です。
これは、光が当たれば影を生む、のごとく、生み出されることです。
一方、
ふた葉の思い、、、
ふた葉「私の存在そのものをよく見ていてください。
と主張しているものの、なんか聞き流されてしまっているな。
期待に応えられるように、喜んでくれるように、諦めずに努力して綺麗な花か美味しい実をつけるために頑張れ、そう言われている。
たぶん、
夢や目標を持て、
そして諦めず、
綺麗な花を咲かせて、喜んでもらおう、そして褒めてもらおう!
と良いイメージを作るんだ。
それもより具体的に。
よし、
真っ赤な花なんか良いな。鮮やかだし、高く評価してくれるに違いない。
よし、赤い花を目指そう!
そして考えるんだ!
さて、赤い花を咲かせるためには、どうしたらいいんだ?
そういう頑張りが正しい、と彼は信じている。
確かに、彼の言っている論理は間違ってはいないと思います。しかしそもそもの大前提を勘違いしています。
私の思いに、気づいてください!
いいえ、
ただただ、私の声に耳を傾けてください!」
〜ふた葉
まとめ
恐らくこの「捻れ(ねじれ)」が、活力を削いでいます。
しかし、活き活きさがない姿に、私が「頑張れ、頑張れ」とか活力を取り戻そうと水や栄養をやり続けることこそ、
私がふた葉の声に耳を傾けられていない、ということです。
活力が無いと感じて、活力を取り戻そうとする行為そのこと自体が、それを証明しています。
それは「否定」です。
この「ヘターッ」とした姿を、ありのまま表現した姿であり、その姿を受け入れること、認めること、それが始まりになります。
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