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願い=絶望だということ
願いって、絶望らしい。
今まで知りませんでした。
願いって、ただの叶わぬ事への執着であって、「可能性」と真逆の所にいるらしいです。つまり、いつまで経ってもその願いが叶うことは無い。確かに、「願い」は「望み」よりも、強く相手に実行を求めてますよね。期待しすぎているというか。
思い返すと私の人生なんて、「願い」ばかりの人生でした。こう伝えたらこう返して欲しい、だとか、こういう行動をしてほしい、だとか細かい部分まで。「こうでありたい」という理想を相手に押し付けてまで自分の理想を貫き通し、私の自己満足的な「願い」を叶えてくれる相手をひたすら探し続けている自分、愚かだなあと笑ってしまいます。
でも、それでも「願い」を叶えて欲しかった。
まあ、幸せになりたいだとか、そんな簡単に叶う願いでは無いし、私は相手に対して無意識的に要求しすぎてしまう癖があるので、欲に溺れるのだけは防ぎたいと思っているんですが。
確かに、絶望かも。少し納得してしまいました。「ずっと私の事好きでいてね」「離れないでね」とかそんなメンヘラみたいな言葉。まあメンヘラなんですけど。今でもメンヘラ気質な所は抜けきれてないんですけど。そういう言葉って結局そうなる可能性があるからそうならないように願ってしまった故の思いであって、もし確実な事なら相手に求める必要は無いのかもしれませんね。寧ろ、相手に求めすぎて、願った事と逆の方向に走ってしまうのかもしれません。これは考えすぎかもしれないけれど。
こんな願いまみれの世界の中で私は生きていけるのでしょうか。自分は何もしてあげられてないのに、相手には願いを叶えて欲しいあまり縋ってしまうだなんて、なんて哀れなんでしょうか。面白いね。それでも、私は君と一緒に居たかった。仮にもしそれが、絶望まみれだったとしても。
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