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支えられて生きている

ふと、周りの大好きな人達に対して
本当に大好きだなと
当たり前の感情を抱いてしまいました。


私、毎日死にたくて病んでいるけれど、普段は本当に明るく生きてるんですよ。皆の元気を引き出したくて、必死に頑張ってる。頑張ってるというよりは、こうしていた方が私も気が楽だし、逆に私が大人しく過ごしていたら「大丈夫?」って周りからも心配されてしまうと思うから。それくらい、元気に生きています。


ある日のこと、アルバイト先の人たちと、閉店作業をして一通り終えたら、ファミリーマートにたまって喋るという謎の恒例行事が出来て。元々は一部の人たちから始まったんだけど、気付いたら皆もファミマに寄るようになってて、ただ皆と喋りたいだけなのに「夜食を買いたくて」なんて言ってる後輩もいて。可愛いことするよなあ、と思いながら、楽しんでたんですよ。


もちろん、これが「普通」になってしまってから、もちろん楽しいけれど帰りたいなって感じてしまう日もありました。全然寝れてないけど私だけ先帰ります、なんて言い出せないな…とか、そういうのもあったけど、こういう日常って凄く幸せなんだなと思って。


来年の4月から、一気に人が減ってしまう。社員さんがね、たかし(仲の良い先輩)も愛菜も、皆一気に居なくなっちゃうんだよな。って。そしたら、もうファミマで集まることも無くなるんだろうな〜って話をし始めたんですよ。悲しくて。「いや、私は1人でもここに帰ってくるし、顔出しますけどね?笑」なんて言ってしまったけど、本当です。


この日常がなくなってほしくないなって。
私、アルバイト先の人達が大好きだったんですよ。どれだけ病んでても、死にたくても、バ先に来ると何故だか元気が貰えて。元気な自分で居なければ!という、ちょっとした縛りもあるけれど、それ以上に皆が大好きだった。

「愛菜がいてくれて助かったよ」「大好きだよ〜」「本当に愛菜がいるとモチベーション違うし、皆の雰囲気も明るくなるよなあ」そんな言葉をたくさん掛けてくれて、居場所を作ってくれる皆が大好きでした。もちろん、その分私も恩返しがしたいし、皆の事を支えたかった。


だからこそ、終わりが来て欲しくない。いつか何事も終わりが来ると言うのに、今のままでいたい。この場所から出て言ってしまったら、私はどうなってしまうのだろう。とうとう死にたくなってしまうかな。



ふと、親友の言葉を思い出しました。
「全ての出会いって奇跡だと思ってるから、大好きな彼と出会えたのも、愛菜と出会えたのも本当に奇跡なんだよ。だから、これは奇跡!って思いながら、丁寧に接していきたい。」と。


凄いなって思いました。奇跡かあ。何事も当たり前に感じてしまうから、奇跡だなんて意識したことは無かったけど、こういう意識がより丁寧な人間関係を産むんだろうなって思って、見習おうって思えました。


もっと、周りの人達を大切にしなければならないな。皆いつもありがとう。そして、今関われている人たちと、5年後も10年後も、関わっていきたい。5年後10年後、生きれているか分からないけれど、欲を言えば生きていくためのお手伝いをして欲しい。強欲ながら、そう願ってしまいました。

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