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死ぬってことを解決しました


時間が過ぎるということって理不尽すぎない?

時間について、エモしないようにしようと思っているとこの間書いた。

過去も今も大事だって言ったけど、過去は変えられないから、今の方が大事だ。

歩いていて思ったのは、時間が過ぎ去っていくという理不尽に僕たちが対応しきれていないってことだ。
理不尽にうまく対応できたことあるだろうか。
おじいちゃんが死んだ時、おばあちゃんが死んだ時、友達が死んだ時、自分が病気になった時、働かないといけないんだと思った時。
死っていうのは、時間が過ぎ去っていく理不尽の最たる例だと思う。
死が悲しいのではなくて、時間が過ぎ去るから死がある。
同様に、時間が過ぎ去るから卒業があるし、友達が減るし、彼女にフラれる。
それが悲しいのは時間が過ぎるからだ。

歩いていて見えている景色も、過去になったらもう取り戻せない。
そういう理不尽に僕たちは気づいてもいない。
仕事に行くのは永遠に続くと思ってるし、明日も大学に行かないといけないし、就職活動が終わらない学生もいる。
でも、気がついたら同期と別れるし、研究室の人たちと別れるのもエモになってたりする。

問題は今にある

取り組むのは今でしかないということだ。
過去に何か思い残すことがあったのだとしたら、それを取り返すのは過去じゃなくて今なんだ。
あの日から時間が止まってしまった人という表現があるけど、その人は今をどうにかする中で過去を変えていく。
ありきたりなんだけど、今が大事なキーワードだ。

過去をエモいと思う視点を持ってしまうと、行動の妨げになる。
一方で過去をエモいと思うのは学習上はめっちゃ大事だと思う。
何がエモかったのか、何が大事なのかとかがわかるから。

今を生きる上では、この過去の視点はやっぱり重荷になって、今ある世界をどうやったら楽しくできるんだろうということに目が向かなくなる。
これ輝いて見えるぞ!ということにすぐに取り掛かれなくなる。

僕たちは時間が起こすマジックに囚われまくっているのである。

理不尽への対応をどうしてきたか

では理不尽にどう対応するか。
人の死は実はめちゃくちゃ近くで感じたことはないし、どこか他人事である。
もう大人になってしまって、親が死んでも悲しんでも、仕方がないと思える可能性すらある。
自分が病気になった時や働かないといけないとわかった時を考える。
こっちの方が自分ごとだから。

病気の時は、めちゃくちゃ痛くて辛かった。
でも結局痛くないなら、たいそうな病名ついても、いろんな制限がついても、そんなにたいしたことはないと思った。
その制限の中で目一杯楽しめるし、楽しんでやればいいと思った。
あと時にはそういう制限を無視してもいいと思うし。

働かないといけないとわかった時も、それを飲み込むのにはかなり時間がかかったと思う。
でも自分を知ることによって自分がどんな人間でどんなことに興味があるかなどよくわかる。
そうすると労働という制限がかかってもその中でやっぱり楽しんでいくしかないわけだし、自分が制限だと思っているものもぶっ壊せることをわかってるのでたいしたことはないと思うようになった。

ここの二つに共通しているのは、この理不尽が課した制限の中でどうしていくかということを考えている点だ。
また逆にその制限を壊せばいいやという視点も持っていたりする。

人と別れなければいけないという理不尽を受け入れて解決する

今回の問題は、時間が過ぎてしまうという理不尽であるし、人間の脳がいろんな人と同時に繋がれないという理不尽でもあるかもしれない。
だから、人との別れがあって悲しい。
過ぎたことは戻せないという理不尽についても、人間が同時にいろんな人と繋がれないという理不尽についても、同じような仕方で解決してみる。

(1)時間は過ぎるものだから後悔ないようにしよう

結局過ぎたことは戻せないというのは、すごく当たり前のことだ。
だから、後悔がないことが求められると思う。
その制限の中でも楽しんでやるぜと思う気持ちがあるなら、今も明日も明後日も大事な人と繋がったり大事だと思うことをやればいい。

(2)最高の人と付き合おう

人間が同時にいろんな人と繋がれないのは肉体のせいだ。
肉体があるし相手にも事情があって、繋がれない。
例えば会社にいるのに、別の会社で働いている友達と一緒に仕事はできない。
同じようにサークルの後輩と一緒に遊ぶこともできない。
どんどん過去の人脈は薄れていく。
逆に、今の人脈が過去の人脈になるので、今の人脈が最高だと思うなら、その人たちにめちゃくちゃコミットするのがいいと思う。
いろんな人と繋がれないなら、その制限の中で最高に楽しむためにも、過去の人とも最高に繋がりながら、今の関係も最高に楽しんで行ったり、逆にもっと楽しい関係を結びにいくということが大事だと思う。
そしてこの理不尽は結構抗えて、オンラインでもっといろんな人と繋がればいい。

(0)悲しみの中にあっても人生を最高にするしかないという事実

結局のところ、悲しみの中にあっても、人生を最高にするしかない。
そして理不尽の制限の中で、人生を最高にしていくのは結構楽しいと思う。
例えば金がないとか、地元が田舎すぎるとか、人生が楽しくなさすぎるとか、しんどいって思うこといっぱいあると思う。
でも金がないならないなりに、どうやったら金稼げるかなとか考えるのは楽しいし、人とあうのも楽しいかもしれない。
地元が田舎なら東京に出るとか、田舎自体を楽しくするとかそういうのも意外と楽しくて、東京からその田舎に来る人もたくさんいると思う。

まとめ

・理不尽にはその制限の中で最高を作るか、それを壊すかの二択

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