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「第一部 形而上学」の話「形而上の世界」

形而上‥‥

易経(えききょう/古代中国の書物)にも記載されているのだから古代中国の人は認識していたのだろう。
ではなぜ、その後社会から見放されてきたのか?
 → →西洋科学、学問のひずみがあるのでは?
つまり、物資至上主義(見えるモノだけしか信じない)物理現象がすべてという形而下の分野に偏り過ぎてしまった
形而上=オカルト等といわれ、「証明不可能」「論理に表せない」と研究に値しない分野、学問としては不足と考えられたのだろう。

上と下

上と下、右と左、表と裏、明と暗、大と小、内と外、陰と陽‥‥
相対した状態が同時に存在しながら構成されている。
形而上と形而下もしかり。

形而下の世界

普段眼にしている世の中の移り変わり。
事件事故、現象、出来事、物理的な動き。
物理の法則、数学の法則、科学の法則など教育機関で教えられている法則ももちろんある。
また、実際の日常生活で役に立つ欠かすことのできない「決まり」「約束事」としても存在している。
必要不可欠な世界。

併行世界

形而上、形而下、両方の現象が同時に併行して絡み合って動いている。
(併行:並び進めること、合わせ行う事)


どちらか一方だけではない。
おそらく、もっと広い目をもってして物事を見ないといけないんだと思う。
最近のニュースを見ていても、それぞれの正義を振りかざして事件を起こしてるものが多い。
まぁニュースだけではなく、SNS上でのやり取りしかり。
「善・悪」のどちらかだけの視点で見るからそうなるんだろうな。
それぞれに思いや考えがあるし、それはおそらく間違いではない。

‥‥と言うてる私ですが、昨日たまたま見つけたニュースにはイラっとしてしまった。
二人乗り、個人情報流出まで?「耳をすませば」にコンプラツッコミ殺到

このニュース何?!ばかなの!?
自転車二人乗りはコンプラ的にアウト、図書カードの個人情報が‥。
しょーもない!!しょうもなさすぎる‥‥
こうやって、名作がどんどん潰されていくんだろうなと思った。
確かに、そういう視点もあると思う。
でも、簡単に「コンプラ的にアウト」と発言することで、その映像の中に含まれている大切なものを手放してしまうことになる。

ダメなことろをただただバッシングするだけ、その裏に何が巻き起こっているのか、その先になりがあるか、そこまで考えれない(みえてない)んだろうな。
これもある意味、形而下でのでの考えなのかもしれないな。

はたしてアトピーじゃなかったら、こんな考えをするようになってたのだろうか。
もしかしたら、周りと一緒で「これは悪だ~!!」と言っていたのかも。
そういう意味では、いろいろ考えれるようになった今までの自分にも感謝かもしれない。

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