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主体は誰?

私は、
HSPなので、
人の心と魂を学んでいるので、
直感が働くので、
人の心理がわかってしまう時があります。

あの人が忙しそうだから楽になるようにこれを手伝ってあげる。
あの人が楽しめるように、ここに連れていってあげる。
あの人が悩んでいるから、自分のアドバイスを伝えてあげる。
あの人が機嫌が悪そうだからそっとしておいてあげる。

その人にとっては思いやりや優しさに違いないけれど、
私が受けるのは、
見返りを求めている『思いやりや優しさ』を感じてしまうので、素直に反応するのをためらう。
(もちろん、真実の愛をかけている人もいます。)

褒めてほしい。
『ありがとう』と言ってほしい。
許してほしい。
認めてほしい。
あなたのおかげで、と言ってほしい。

その人がしてくれるその行動に、私の賞賛の見返りを求めるけれど、
それは本当の自分にとっての幸せや、自分にとって本当に欲しいものじゃないことがわかるから
いくら賞賛をあげても、その人の本質は、魂は、満たされることはない。

本当に欲しいものは...
子供の時に得られなかった『賞賛』だから。

誰から?
もちろん両親。

産まれてきて一番愛している人。
一番大好きな人。
この人のために私は産まれてきた、という真実。

この真実のもと、
甘えながら、世話してもらいながら、失敗しながら、それでも、
『どんな自分でも一番大好きな人は愛してくれる』
という確固たる自信をもち、
今世での自分の人生を歩み始めれる。

『無償の愛』という大切な見返りをもらっていなければ、
人は、手を変え、品を変え、周りの人に求め続けることを、心の学びから知っているので、
何か素直に賞賛できない私。

だからこそ、
人生に一度は自分の生い立ちを振り返り、
親は敬うものとか、親は自分を大切に育ててくれたとか、一般の常識のような事実だけではなく、自分の心を大事にしてくれたか?共感してくれたか?無償の愛をくれたか?を問い直してみてほしいのです。

行為ではなく、心をみてくれたか?がとっても大切。

自分の本当の想いを、本当は欲しかった想いを感情と一緒に、
文字にして、言葉に出して、心のまま叫んでほしい。

そうしていくことで主体が『自分』にかわっていく。
自分が〇〇をしたい、と。

こう思う今日この頃でございます。



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