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一番弱い人が一番可能性を持ってるんだよ

*恵泉女学園大学 C-week(2022.5.18)での礼拝メッセージ「恵みの泉」再録版

 「キリスト新聞」という業界紙を通じて、キリスト教にまつわる国内外のニュースを日々発信している松谷信司と申します。私にとっても久しぶりの対面礼拝ですが、オンラインと比べていかがでしょうか。倍速で繰り返し見られないのは難点かもしれませんが、今日の概要はSNSでもアップしますので、ぜひそちらをフォローしてレポートのための復習にご活用ください。

 入学礼拝以来、チャペルでの礼拝は初めてという1年生も少なくないと思いますが、皆さんはキリスト教や聖書にどんなイメージをもっていましたか? 私は2016年から毎年この時期、TogatterというTwitterの「まとめ」機能を活用して、「この春、入学・進学して初めてキリスト教に出会った学生・生徒たちの率直すぎる反応がこちら」というリサーチをしています。たまたま入学・進学した大学がキリスト教だったという学生が、初めて授業やチャペルでキリスト教に触れた時の率直な反応を知ることができてとても勉強になります。実名で書くレポートやリアクションペーパーと違って、SNSは匿名ですから嘘偽りのない本音が聞けるわけです。

たとえば……

 「幼稚園と大学がキリスト教系だったけど、キリスト教系の学校はラブアンドピースを小さい頃から教えてくれるところが大好き。クリスマス会とか楽しいし。(ギャルみたいな感想)」
「旧約聖書と新約聖書の授業、エヴァが好きなので普通に興味ある」
 「朝から遅延と格闘してまで礼拝行って2 限のキリ概(キリスト教概論)だけ受けて即刻帰宅しようとしてる自分もはやキリスト教徒」
 「キリ概の愚痴をクリスチャンにする人多すぎ」
 「キリスト教徒でもないし、キリ概のために聖書買うなんてなーって私も思ったけど、卒業して壁にぶつかったり悩んだりしたときにふと手を取ると、楽になることもある」

 ……などなど。実に率直で、キリスト教がどう見られているかを日ごろ探求している私たちにとってはとても参考になる貴重な情報です。

 初めて聖書を読むという人は、もしかしたら「キラキラ」した「ポジティブ」な「ありがたい言葉」が多く書かれていると考えているかもしれません。しかし、実は聖書(特に旧約聖書)の登場人物はダメ人間ばかり。意外にも「どろどろ」な人間関係や、過ちを繰り返してしまう人間の弱さが赤裸々につづられています。新約聖書の主人公であるイエス・キリストは十字架で処刑されてしまいますし、12人いたイエスの弟子たちも、「裏切り」の代名詞のようなユダを含め、結局みんな裏切ってしまいます。教科書のように、清く正しく美しいサクセスストーリーばかりでは決してありません。

 一方、現代では「キラキラ」「ポジティブ」を競い合うSNSでのマウンティングをはじめ、「勝ち組」として人生で「成功」するための自己啓発本がもてはやされています。過剰な市場競争と資本主義の弊害から、「力こそ正義」「強い者が勝つ」という価値観が主流となり、特に最近ではロシア軍のウクライナ侵攻をめぐっても「武力による報復」「武器供与による支援」が当然とされてしまっています。メディアも為政者もこぞって、勇ましく敵愾心を煽っています。

 私自身が高校時代、3年間過ごした男子校でも同様の論理がまかり通っていましたし、スクールカーストの上位は力の強い運動能力に長けた生徒でした。当時の漫画雑誌も「友情・努力・勝利」というスローガンを掲げており、部活における根性論や、勝利至上主義などの問題とも根深くつながっていると思います。

 今回のタイトル「一番弱い人が一番可能性を持ってるんだよ」は、近年爆発的なヒットを記録した『鬼滅の刃』の主人公、窯門炭治郎のセリフです。太刀打ちできない敵を前に、自らの「弱さ」を呪う仲間に対して発した励ましの言葉。この作品の人気(特に女性ファンの多さ)の秘密は、敵である「鬼」をも思いやる炭治郎の優しさだと言われています。「強さ」や「たくましさ」「男らしさ?」を追い求めてきた少年漫画も、時代に応じて変わりつつあるのかもしれません。

 キリスト新聞社では、若い世代に聖書に親しんでもらうため、聖書を題材にしたコンテンツをたくさん手がけてきました。特に子どもたちが大好きなカードゲームを作りたいと考案した『バイブルハンター』というゲームは、ネットニュースでも取り上げていただき、注目を集めました。聖書に登場する人物を「召喚」して対戦するゲームなのですが、やはり世俗のゲームのように腕力による「強さ」だけを競うのはキリスト教的ではないと考え、「強い者が勝つ」という世界観とならないようルールに工夫を凝らしました。関心のある方はぜひ検索して、手に取ってみてください。

 今日の礼拝で読んだ「弱いときにこそ強い」(コリントの信徒への手紙二12章10節)以外にも、「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(マタイによる福音書23章12節)、「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」(ルカによる福音書13章30節)という逆説的な記述は、世俗の価値観に逆行する聖書に一貫したメッセージです。

 北九州でホームレス支援をしている奥田知志さんという牧師(東八幡キリスト教会)がいます。コロナ禍以前から長年、生活に困窮する人々をあらゆる面でサポートしてきたNPO法人「抱樸(ほうぼく)」の理事長として、NHKでもたびたび取材を受けてきた方です。パンクバンド「BiSH」のメンバーであるモモコグミカンパニーさんが、ある番組を見て長文にわたるレビューを書いたことから奥田さんとの対談が実現しました。

 2022年3月にYouTubeで配信された「弱さを受け入れることについて」と題する対談で、彼女はこんな話をしていました。

 「自分の内面をえぐり出して弱い部分もちゃんと言語化して人に見せた時に楽になれた。弱みを見せるって負けた気になっちゃうかもしれないけど、弱さを見せられることが強さ」
 「闇の中でしか光は見えないなと思うんです。ずっと明るい場所で生きている人とか、ネガティブさがない人が見る光と闇の中から見る光って全然違うと思うので、私はそっちを大切にしたい」

 ほとんど聖書そのものと言ってもいい至言です。「弱い人」や「弱さ」が持っている可能性に光を当て、炭治郎のもつ本当の「強さ」にも通じる力があります。実際、聖書には「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(ヨハネによる福音書1章5節)という記述が登場します。彼女はもちろんキリスト教の信者ではありませんし、そんなことが聖書に書いてあるとも知らなかったはずです。それでも、聖書に通底する普遍的メッセージを的確に表現されていました。

 日ごろから意識していると、案外、身近な漫画やヒット曲の中にも聖書と同じようなフレーズを見つけることができます。時にそれは、世の中で当然と思われている価値観とは異なる、世間的には多数派ではない考えかもしれません。しかし、その発見は同時に、キリスト教に触れなければ気づくことのできなかった新しい視点を与えてくれることでしょう。

 皆さんがキリスト教系の大学に入り、今日、こうしてチャペルで話を聞いているのは「たまたま」かもしれません。入りたかった大学が「たまたま」キリスト教だっただけかもしれません。でも、この大学で在学中に経験する聖書や賛美歌、祈り、礼拝でのメッセージ、恩師、友人との出会いは、もしかしたら「たまたま」じゃないかもしれません。与えられた出会いを大切に、自らの弱さや小ささを卑下することなく、すべての人に神様から与えられた可能性を信じて、充実した大学生活を送ってください。

*聖書の引用箇所はすべて「聖書協会共同訳」による。

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