辞めた会社は元彼みたいな存在になった。
会社を辞めた。入社して1年と4ヶ月。
30歳までは、頑張ろうと思っていた職場だった。
元々、自分の夢をへし折られ続けた就活だった。
その先にもらった、全く違う仕事の内定。当時も「これが本当に正解なのか」と問い続けながら入った会社だった。大手で、知らない人はいないような会社だった。
内定をもらって、就活をこれで終わりにすると決めたときの日記には、迷いの気持ちが綴られている。それでも最後には「自分の周りの大人が応援してくれている。そんな選択ができて良かったと思う。」と書いていた。
それでも私は仕事を辞めることになった。
情けないと思う。即答できない場所に身を置いた自分を恥ずかしいと、今は思う。
仕事には、4種類の薬が入ったピルケースを持ち歩かないと不安な毎日。仕事を辞めたらそのピルケースから薬を取り出すことがなくなった。
死ぬ方法を考えてしまうような暗闇に、もう戻ってはいけないと思いながら必死で辞める決断をくだして地元に戻ろうとしていた最中、
祖父が亡くなった。
仕事に対して厳しい祖父だった。わたしはその厳しさを恐れて、仕事を辞めたことをすぐに言えないでいた。
そんな無駄な時間の途中で、わたしは大事なものを失ってしまった。
自分の選択に自信がなくなる日々だった。
手からこぼれてしまうものばかり。中途半端な自分が嫌で仕方なかった。
わたしは愚かだったと思う。
周りの目を気にして、周りの意見を求めて、探って、
自分の気持ちよりも優先するものがあると、信じていた。
それでも
わたしは辞めた会社で何も得なかったわけではない。
今後の財産となるような、素晴らしい人たちとの出会い。
初めて地元を離れて、知らない土地で1人で過ごした、本物の自由。
計り知れない苦しみと戦った先にある、小さくても華やかなよろこび。
これらを得ることができたのは、紛れもなく自分自身の努力の結果だと信じたい。信じることができるのは私しかいないのだ。
時の経過とともに、思い出は美化されるもので
それは別れた元彼との思い出が良いものばかり頭に残るのと同じだ。
思い出したくもない孤独と戦った1年間の裏には、美化されるに匹敵するような、美しい苦しみもあった。
復縁はありえないのだけど、あの時間は決して消えず、良い時間だったと思えるような、そんな元彼のような存在になって私の人生の一部となった。
それでいい。
私は、これまでのすべての時間に敬意を払って、自分の幸せのために貪欲に生きていく。
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