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こんばんは。コレが私の夏。

久しぶりに書く。
気がついたらすっかり秋。
学生最後の夏休みも、ついこの間終わりを迎えてしまった。早すぎる。

夏は暑くてもともと苦手だ。
しかし今年は「学生最後の夏休み」という、なんだか大事な夏休みのような気がして、絶対楽しんでやる!という気持ちで臨んだ。


先に言う。
そんな意気込みも相まって今年の夏は計り知れないほど素敵な季節になった。
今までの外に出ることすら許されなかった期間で、夏にしか味わえない感覚や感情、もはや暑ささえも私は忘れてしまっていた。

それを自分の力で思い出したような、そんな夏だったからだ。

皆の夏休みがどうだったかは知る由もないが、わたしの夏休みはというと、おもにいろいろな景色を見に行ったり、会いたい人に会いに行った。とにかく行動したのだ。自分にとって大切であるもののために。

例えば。初めての長岡花火。離れている友達との再会。大好きな音楽を全身で浴びた夏フェス。暑い日差しの中自転車で海を見にいった一日。など。


もちろん、コロナ以前のようではない。会いに行く人のためにも、初めて行く場所に住む人たちのためにも、自分の健康には常に気を遣ったし、できる限り検査をしたりもした。良くも悪くも、そんなただ行動すればいいというだけでは済まない煩わしさが付き纏うことに私はもうとっくに慣れていた。

それでも、どんな煩わしさがあろうと、またそれに慣れていようとなかろうと、初めての景色や、人との関わりを肌で感じたこと、夏がどれだけ暑かったかを思い出すことができたのは、貴重だった。コレは間違いないことだ。

少しだけ辛かったことを言うとすれば、充実の反面で、同時に、この感覚を学生のうち2年間も味わえなかったことに強い悔しさを覚えたりもした。

でも良い。
私はたった1ヶ月で、「暑さ」というどうにも逃れられない理由で苦手だと思っていた夏を、楽しむことができたから。きっと以前の自分なら知らなかった時間を過ごすことができたから。決して強がりではない。
21年間変わらなかった自分を、まるでひと夏で変えたかのような清々しい気分で、秋めいた涼しい風を浴びている。

この夏、きっと色々な思いを持った人がいただろう。
なにを思って過ごしたかは自由だが、こうやって次の季節も自分なりに楽しめたら良いなと私はぼんやり考えている。

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