「ありがとう、わたし」を読んで

(めちゃくちゃネタバレします注意)

中元日芽香著「ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで」を読みました。
最高の本でした。僕は心を猛烈に動かされると体に力が入らなくなるのですが、この本を読んでそうなりました。
僕の自分語りが中心になってしまいますが、感じたことを書き残しておきます。

乃木坂46にいた彼女のことが、らじらーサンデーのMCをしていた彼女のことが好きだった僕が感じたことは、大きく分けて二つ。
一つは、彼女が何に苦しんでいたのか・なぜ休業したのか・なぜ卒業したのかを知れて凄く良かったということ。
もう一つは、彼女の経験に共感したということ。仕事に行けなくなってしまう経験は、自分も似たような経験があるので共感するところが多かったです。

僕が彼女に出会ったのは、乃木坂46のファンになったばかりの、2017年の3月。
僕自身のことで言うと、学校に行けなくなって1年、学部を変えて新たなスタートを切る直前。
彼女のことで言うと、「残っている仕事をこなすのと、さようならを言うため」(本より引用)に乃木坂46の活動に復帰した時。

不思議なタイミングの出会いですが、あの時復帰してくれたことに心から感謝したいです。
僕はらじらーサンデーに出ている彼女のことが大好きでした。
精神状態が優れず、眠れない日が続く中、らじらーサンデーを聞いている時だけは悩みから解放されました。
僕は彼女の握手会に行ったことはありませんでしたし、ライブで目にしたのも東京ドーム公演だけでしたが、でも僕は彼女のことが確実に大好きでしたし、彼女を必要としていました。

彼女はアイドル時代を振り返って、「ひめたんはプロっぽいキャラを目指していました」「そこを目指しているのになりきれずにいる人間臭さが、結局は私のキャラクターになっていました」(本より引用)と言います。
でも、当時の僕が好きだったのは、そんな「プロっぽいキャラ」だったようにも思います。
僕が昔から彼女のことを追ってきていなかったからでしょうか、彼女に「なりきれずにいる人間臭さ」のようなものを感じたことはなかったし、ラジオのコーナーの中で喜んだり悔しがったりしている彼女の性格が好きでした。

彼女が本の中で、アイドル時代の好きだった活動にラジオを挙げてくれていたのは、嬉しいことでした。
彼女は、「アシスタントの立場がすごく向いているのだなと気がつきました」(本より引用)と言いますが、当時の僕は、それ以上にストライカーとしての彼女のことが大好きだったように思います。
らじらーサンデーは彼女の卒業後も1回も漏らさずに聴き続けていますが、彼女以上のアシスタントに出会ってもいなければ、彼女以上のストライカーにも出会っていません。
思い出を美化しすぎかな。でもあの時僕が感じていた興奮は特別でしたし、これはずっと思い出です。

今の僕は当時の僕に比べれば、乃木坂46の色々な要素をずっとたくさん追っているし、個々のメンバーについても詳しくなったし、大園桃子さんの人間性のファンみたいになっているし、「深さ」という意味では桁違いかもしれませんが、でも当時の想いの「強さ」は何か今にも負けないものがあった気がします。

だから、彼女が卒業を発表した時はもの凄くショックでした。
僕が乃木坂46のファンをしていて、これまでで一番ショックだった出来事です。
彼女がなぜ卒業してしまうのか・何をどのように苦しんでいたのかも分からなかったし、よく分からないなりに何となく道半ばで卒業してしまうように思われて辛かったです。
「卒業おめでとう」なんて、とてもじゃないけど思えませんでした。

彼女が出演する最後のらじらーサンデーの放送が終わった瞬間の呆然とした感覚は、未だに覚えています。終わるのは分かっていたけれど、あまりにも突然終わった気がして、それは呆然でした。
ただ、最後に彼女は、「中元日芽香のファンでいて下さい」と言ってくれました。
何となく、彼女はそっとしておいて欲しいのだと思っていたから、ファンでいてもいいんだと思えたことが本当に嬉しかったです。
そして、そう彼女が言ってくれた真意についても、この本からは読み取れました。

でも、だから、僕はずっと中元日芽香のファンの気持ちを持っていました。
だから、この本が発売されて、こうやって彼女に再会できたことが凄く嬉しくて。
まえがきで、「期待していた再会と違っていたらごめんなさい」(本より引用)と書いてあるのを読んで僕はさっそく涙が出ました。
全くそんなことはない、本当に嬉しい再会です。

そしてこの本には、彼女が乃木坂加入以来どういう想いで活動していたのか、どういうことに苦しんでいたのかが書かれていました。さらに、休業した時、卒業した時の想いの内も書かれていました。
その想いを読むと、ああそうだったんだな、と知らなかった彼女のことを知れましたし、物凄く心を動かされました。

彼女のことが好きだった身としては、摂食障害に苦しみながらも頑張って頑張って、しかし14枚目シングルで選抜入りできなかったのエピソードは特に辛いものがありました。
そして、糸が切れてしまって休業してしまった時、そして卒業に至るまでのエピソードには、ページを捲る手に力が入らなくなってしまいました。

でも、東京ドームで見た一面ピンクの光景に「六年間の努力が報われた瞬間でした」(本より引用)と振り返っているのは嬉しいものがありました。
彼女に達成感があったことも分かったし、あるいは当時の精神状況的にも、彼女が卒業という選択をしたことに凄く納得ができたし、卒業して良かったんだなと思えました。
卒業してからでなければ語れないであろう内容ばかりで、このように語ってくれる機会があってとても良かったです。
卒業から時が経って、もうだいぶファンとして心の整理はついていたけれど、卒業して良かったんだなと改めて思えて、これで本当に100%すっきりした気持ちになれた気がします。

そして同時に、彼女のエピソードに物凄く共感を覚えました。
周囲に認められたいというのが原動力となっているその感覚。
急に仕事に行けなくなり、罪悪感と情けなさでさらに苦しくなる状態。
卒業した時の解放感。
くしくも、2016年に僕自身が学校に行けなくなった頃に感じていたことと似ていました。
2017年、らじらーサンデーに出ている彼女のことが大好きだった当時の僕は彼女の「プロっぽい」姿に心を支えられていた訳ですが、2021年、今度は当時の彼女の苦しみに共感してしまいました。
なんだか不思議なものですね。時を超えてまた心を掴まれました。

一つの見方をすれば、この本は「乃木坂46物語」や「日向坂46ストーリー」のようなノンフィクション小説の類型とも言えます。
一つ一つのエピソードに心を動かされている時の僕は、まさにそのように読んでいた感覚があり、それはこの本の面白い点だと思います。
でもこの本は、それらと違って、彼女自身が執筆しています。
文章全体に彼女の癖・人となりが現れているのが、さらに面白い点でした。

彼女は丁寧に、あるいは過剰に説明したがります。誤解されないように、丁寧に説明しようとしているようです。
何かを説明しては、一歩俯瞰して断りを入れる。そんな繰り返しのリズム。時には一歩俯瞰した後にもう一歩俯瞰して断りを入れます。
それは自身の精神状態や性格を説明する際にも、文章の中での言葉遣いについてまで。
過剰とも言えるその書きぶりに、僕は自分が書く文章に似ているように思えて、より一層共感してしまいました。
彼女も僕も、そんな丁寧なところが似ていて、だからこそストレスを抱えてしまったのかな、分かるなあ、とか勝手に。
彼女自身が書いていることの意味が凄くある、とても良い本だと感じました。

加えて言うなら、乃木坂46ファンとしてこの本を読んだ時には、刺激的ですが興味深い事実が詰まっていました。
1メンバーが、実際に選抜-アンダーという対立構造の中で感じる苦しみ。ファンの中でも囁かれているような指標や言説(例えば、アンダーセンターの2作次は選抜に入るなど)を気にしていること。
現役メンバーがインタビューで触れることがなかなかないような話題ですから、こうして卒業生の彼女が発信してくれた意味は大きいように感じます。

近年は選抜-アンダーという対立構造によるエンタメは少なくなってきていますが、彼女たちのパーソナリティを消費している構造に変わりはなく、考えさせられる部分があります。
エンタメとして成立させてくれているのは有り難いし、僕はそれを大いに楽しんでいるのですが、でも彼女たちに負担がかかりすぎないようにという想いを心に留めておきたいと改めて思いました。

ちなみにこうやって僕自身、過去のことを振り返っていると辛くなってきました。
段々と行けなくなってくると、怒られて。自分だって頑張ってるのに、それができないんだし、そんな自分も嫌だし。あそこには僕のことを分かってくれる人はいなかった気がします。
結局そうなって、ある程度は分かってくれたいたのでしょうが、それは放っておいてもらえるだけで。確かに僕だってそういう人を見ても放っておく以上のことはできない気がします。
実際のところ、解決するには自分で行動しないといけない部分がありました。親は一番の味方でしたが、でも自分の子供が精神疾患を抱えていると思いたがらない節もあり、僕の辛さを分かってくれていないように感じることもありました。
僕はまだ動く元気がある時に、前向きな未来に向けての行動ができたので良かったです。それでも精神不調が治ったと感じるまで2-3年かかりました。それは辛かった。

そういった人たちを救うために彼女は心理カウンセラーになったのだと思いました。
そしてまた、僕の大好きな乃木坂46(と推しメンの大園桃子さん)は、どうか救われる環境にいて欲しいと思いました。

この本の最後には、彼女が2019年夏、乃木坂46の神宮ライブを見に行った時の話が登場します。
同じ日にライブを見に行っていた僕は、ライブが始まる前、「関係者席にひめたんがいる」と周囲で噂になっていたことを覚えています。本当か分からない。でも、彼女がライブを見に来ているなんて噂がたったのは初めてで、それが本当なら凄く嬉しいと思いました。
そして、同日のらじらーサンデーの放送。MCの藤森慎吾さんが、ひめたんと会ったことを明かします。あれは物凄く嬉しい瞬間でした。

実はその時が、彼女にとっても、過去に向き合うという大きな意味を持っていたと語られています。
あの時の嬉しかった気持ちが、裏付けされてより嬉しい気持ちになりました。

★おまけ・おそらく特殊な身の上としての感想

この本では、彼女が乃木坂46を卒業後に行っているカウンセラーとしての活動についても書かれています。

実は僕は、2019年の3月頃、一度彼女のカウンセリングを受けたことがあります。
しかし当時の僕は、相談をしたいという想い以上に、彼女に会いたいという想いが強く、凄く緊張してしまい、あまり腹を割って話すことができませんでした。それに、彼女によく見られたいという気持ちもあったように思います。
さらに、アイドルに会いたいという気持ちを抱えながらカウンセリングを受けたことに罪悪感があり、ファンであることは隠さなきゃと思って、余計に腹を割れませんでした。
例えば、悩みが収まらず眠れない日は決まって、彼女が出演していたラジオの録音を聞いて気を紛らわしていたのですが、そうは言えなかったというか。
そしてまた、そのカウンセリングを経て、彼女が卒業してしまったことにファンとして心の整理がついたように感じたのがまた罪悪感というか何というか。

でも、彼女が心の支えになってくれたのも事実です。
あの時僕は、ヤバくなったら彼女にまた相談すればいいんだ、と思えて来るべき社会人生活への勇気を貰えました。
今では普通に社会人生活を送っております。悩みは色々ありますが、精神状態は良好です。
彼女に感謝です。

この本で彼女は、自分のファンだった人がクライアントとしてカウンセリングに来た時のことについて記しています。
それを読むと、そのクライアントのように腹を割って話せなかった当時の自分に後悔が生まれ、複雑な気持ちになりました。
この本を読んでただでさえぐちゃぐちゃな気持ちになっている僕の心が、さらにぐちゃぐちゃになりました。

ただ、そうして心を整理しているうちに、こうやってその話を書けるくらいには、あの時感じていた罪悪感は軽減されました。ファンでも行って良かったのだと思えました。
もし今行ったら腹を割って話せるかな…? でも、やっぱり難しい気がします。想像を膨らませると、まだまだ彼女のことを好きな気持ちが強い自分に気が付きます。
彼女がアイドルを卒業したことに心の整理はついても、彼女を好きな気持ちはずっと続くのですね。
なんだかこれは嬉しい発見です。

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