河田陽菜1st写真集がセミドキュメンタリーで面白い

日向坂46 河田陽菜1st写真集「思い出の順番」を読んだのですが、非常に特徴的で面白い写真集でした(僕はそもそも河田陽菜ちゃんがすごく好きだということを除いて考えても)。
それは、裏表紙の帯に書かれているように、まさに「セミドキュメンタリー写真集」であるという点。

読んでいると、彼女との思い出のアルバムそのものなのです。
その彼女感がたまらなく良いし、加えて、そのコンセプトのもとに読み手が解釈をいれて楽しみやすい構造となっていて、ついこうやってnoteの記事を書きたくなるような面白さがあるのです。
本記事では、そんな僕が読んで感じた面白さと解釈についてまとめてみたいと思います(的外れなこと言ってたらごめんなさい……)。

写真について

彼女感全開

まず、写真について。
この写真集に登場する写真は、ほとんど(感覚的には余裕で9割以上)がカメラ目線の河田陽菜ちゃんです。
完全にこれは、彼氏の僕が彼女の陽菜ちゃんを撮ってます。いわゆる「彼女感」全開。
僕は、写真集を読む上で一番求めてるのは「彼女感」なんですよ。この写真集はそれが詰まりに詰まってる。もう最高です。

カメラ目線ではない写真も、あえて目線を外してもらったというよりも、日常の中の彼女を僕が「可愛いな」と思って撮った写真のようです。
例えば、旅行に向かう空港で楽しそうに飛行機の写真を撮っている彼女とか。

シャツを脱いで下着姿になろうとする姿を収めた写真はどういうことでしょう。
シャツのせいで彼女の視界が塞がれているから、その隙にと僕が写真を撮ったのでしょうか。彼女の姿がブレているのは、僕の焦りでしょうか。
いや、僕さん変態すぎませんか。僕はそんなことしないと思います。ここの僕さんは、実際の僕とちょっと人格の乖離がありますって。

そう考えていくと、下着姿のシーンや、蚊にさされた痕を陽菜ちゃんが見つめるシーンは、あえて目線を外してもらっているような違和感があります。
蚊にさされた痕のシーンなんて、雰囲気があって凄く好きで載せてくれて嬉しいのですけど、よくよく考えてみると「写真集」っぽすぎるのですよね。だから好きなんですけど。変化球になってめちゃくちゃいい味出してるし。難しいものです。
一応、僕が彼女のそういう「写真集」っぽい姿を撮ろうとして狙った写真と解釈することもできるのかな。
分量を抑えることでぎり世界観を壊さないようしつつ、見たい写真を入れてくれたって感じもしますね。

3つの例外

さて、この写真集には、例外的な写真が3つあると思いました。
1つ目は、写真立てに飾られた写真を写した写真。
彼女の姿が写った写真の隣には、僕と彼女と思われる2人の影が砂浜に映った風景を撮った写真。そして2つのスマホ。
僕の部屋、僕の日常の中に、彼女がいる。僕たちは付き合っているんだという証拠を見せられた感じがして、この写真集の世界観が深化させられます。

2つ目は、彼女を撮影しているスマホを写した写真。
これは、この写真集に載ってる写真はこうやってスマホで撮ってるんだよ、彼氏の僕が撮ってるんだよという感覚を深化させてくれます。
でも違和感あるんですよ。この写真だけメタ的なんです。つまり、この写真を撮ってるのは誰なんだ?って話です。僕はスマホで彼女を撮ってるんだから、その様子を撮ってる第3者の存在を感じてしまいます。
最初に読んだ時は違和感なかったのですが、これを書いてる今は絶賛違和感中。
こんな風にいろいろ考えられてる時点で、最高に面白い写真集だということは前提として。

3つ目は、陽菜ちゃんが写っていない写真です。
住宅地と空を写した写真。
これはどういうことでしょうか。次の節で、その解釈を述べたいと思います。

言葉について

写真の理解を深める

ここまで写真について述べてきましたが、この写真集の「ミソ」は別にあります。それが言葉です。
各ページの写真には白い余白が大きくとられていて、そこに彼女が書いた言葉が添えられているのです。
それはまるで、まっさらなアルバムに写真を貼って、手で言葉を書いて、思い出のアルバムを完成させたかのよう。
この言葉がめちゃくちゃ良い。写真の理解を深めさせてくれる効果が凄くあります。

例えば、先ほど解釈を保留した、住宅地と空を写した写真。
ここには以下のような言葉が添えられています。

どんな私も全部私。

これを読んで考えるのです。
これは、この風景を見て、彼女が「どんな私も全部私。」と感じたということだろうと。
家に帰る途中でしょうか、物思いにふけながら、この晴れと曇りが混じったような空を見上げた時に、彼女はそう感じて、何か記念にこの写真を撮ったのかな。
そう、この写真集の中で唯一、この写真は彼女が撮った写真なのだと解釈しました。

そしてこの言葉は、現実の河田陽菜ちゃんともリンクしているように感じます。
僕が昨年読んだ「blt graph. 67」のインタビューで、陽菜ちゃんは「本当の自分が分からない」と言っていて、それがすごく印象的でした。その悩みへのアンサーとなっているシーンだとも感じます。

パターンの面白さ

写真に添えられた言葉たち、言葉としても何か面白さを感じます。
それは、この言葉が実は色んなパターンがあるからだと思います。パターンがコロコロと変わるから面白い。
実際の例を挙げながら、そのパターンについて解説してみたいと思います。

①情景描写

写真の情景を言葉にしたパターン。
基本的には平易な言葉が添えられている中で、時々、文学的な表現が飛び出てくるのが面白いです。

光がカーテンに溶けていく。

陽菜ちゃん、センスがあります。

そこに写っているものでも、言葉にされることで気付くことがあります。例えばベッドに寝転ぶ三つ編み姿の彼女の写真に添えられた言葉が、

三つ編み関係。

「関係」という言葉を読んで、気付く。三つ編みは重力に逆らって伸びていて、その先が写真に写っていないことに。
そうこの時、彼氏の僕が彼女の三つ編みの先を持っていたんだった。

②背景解説

写真の背景を解説するパターン。
写真の理解を深めることができる。例えば、陽菜ちゃんが僕に手を伸ばした写真に添えられた言葉は、

私の育った街を案内した。

これを読むことで、そうか彼女が彼氏の僕を案内してくれている時の写真なんだな、と理解ができます。
ちなみにこれは、写真集が始まってすぐの写真に添えられています。これが冒頭にくることで、「この写真集は彼女と彼氏の僕の二人の物語なんだ」と、読者を世界観に引き込む効果もありますね。

見た目からは全く分からない情報を教えてくれることもあります。例えば、陽菜ちゃんがお風呂場で髪の毛を洗っている写真に添えられた言葉が、

買ったばかりの、新しいシャンプー。

写真が撮られた背景を知ることで、彼女の心情の理解が進み、写真がより味わい深く感じられます。
ちなみにこの写真はめちゃくちゃ可愛くて特に大好きな写真です。

③前後のエピソード

②の亜流とも言えるパターン。写真撮影時の前後のエピソードが添えられることで、撮られた瞬間だけではなく、その前後の瞬間も目に浮かびます。
例えば、青い何かを食べている陽菜ちゃんの写真に添えられた言葉が、

この後、口の中が真っ青になった。

口の中が真っ青になった彼女と、彼氏の僕がそのことでギャアギャアと盛り上がった様子が目に浮かぶというものです。
あの時は陽菜ちゃんの口が青くなっちゃって、それが全然落ちなくて、たくさん笑ったなあ。

④心情解説

写真を撮られた時の心情を解説するパターン。②と同様に、写真の理解を深める効果があるように思います。
例えば、パーカーのフードに頭をうずめた写真に添えられた言葉が、

なんだか落ち着く。

そっか、そういう気持ちの表情だったんだな。可愛いなあ。

⑤一般化した心情

心情を解説するパターンでも、その時に限らない、より一般化したような言葉遣いの時もあります。
例えば、手漕ぎボートに乗った陽菜ちゃんが写った写真に添えられた言葉が、

「何でもいつか終わりがくるのが怖い。」

これはこの写真を撮った時に彼女が感じていた気持ちでもありますが、一般化した言い方になっていることで、僕と時間を過ごす中で彼女が同様の気持ちを繰り返し抱いていることが分かります。
それだけ僕といる時間をいつも楽しいと思ってくれているということで。めちゃくちゃ嬉しいです。可愛いなあ。

⑥自分の性格

自分の性格について言葉を添えている時があります。例えば、バッグの中に陽菜ちゃんが身をうずめた写真に添えられているのが、

私は極度のめんどくさがり屋。

めんどくさいから彼氏の僕に運んでくれということでしょうか。可愛すぎます。この写真めっちゃ好きです。
「めんどくさかった」ではなく「めんどくさがり屋」と性格の問題として一般化していることに、⑤の場合と同様の効果が生まれます。
つまり、写真をとったその時だけじゃなくて、同様の状況が彼女と過ごす中で他にもあるということまで目に浮かんでくるわけです。
ああ、あの時も陽菜は面倒くさがって僕に頼んできたな。可愛かったなあ。

⑦僕に対する言葉

急に言葉の矛先が僕に来てドキっとすることがあります。例えば、歯磨きする陽菜ちゃんの姿を写した写真に添えられた言葉が、

なぜか歯磨き中に写真を撮りたがる。

これは、この写真集の世界観を作りあげる上で非常に重要な役割を果たしていると思います。
つまり、この世界には彼女だけじゃなくて、写真を撮っている彼氏の僕がいるんだと。二人の思い出のアルバムなんだと。
そうそう、僕は歯磨きフェチなんですよ。バレてたか。
(歯磨きする姿が可愛いのはリアルの僕も同意。)

⑧「今」の心情

アルバムに言葉を書いている「今」、過去の写真を見て抱いた心情が添えれれているパターンです。例えば、

19歳の私は、なんだかいまより幼い。

このような言葉があることで、世界観への時間的奥行きが生まれます。つまり、「写真を撮った時点」と「アルバムに言葉を書いている時点」が存在することが明確に意識させられます。
そうするとさらに想像が膨らみます。僕は、このアルバムは彼女と彼氏の僕の2人で作っているのではないかなと思うんです。彼女がアルバムに言葉を書いている姿を、横で僕が眺めている感じ。そんな超楽しい過程を経て完成したのがこの写真集っていうわけです。

唯一の例外

ここまで話してきた通り、このアルバムは、彼氏の僕が撮った写真と、彼女がそれに添えた言葉によって構成されています。
例外として、この写真集には彼女が撮った写真が1枚だけあるという解釈を話しましたが、言葉の中にも彼氏の僕が添えた言葉が1つだけあります。

それは、写真集の最後のシーン。
桜が咲いた公園のジャングルジムに乗った陽菜ちゃんを写した写真に、こんな言葉が添えられています。

次の春も、その次の春もずっと一緒に過ごせますように。

彼女が僕に対して書いた言葉と解釈することもできるかもしれませんが、写真に写っているのは彼女ですから、僕が彼女に対して書いた言葉だと感じました。
そしてこう解釈すると、この写真がこのアルバムの最後に来ているのが、自然に思えるのです。

というのも実はこの最後の桜のシーン、陽菜ちゃんが書いた「あとがき」の後のページにやってくるのですよね。
つまり、アルバムはそこまでで一旦完成してる。まっさらなアルバムに写真を貼って、そこに言葉を添えていって、最後に「あとがき」を書いて、彼女はそこでアルバムを作り終わったつもりでいたはずです。
それを彼氏の僕は横で見ていたのでしょう。そして、彼女がその場からいなくなった後に、再び僕はそのアルバムを開き、大好きな彼女の写真を貼り付けて、言葉を添えた。彼女の知らないところで、僕の思い出のアルバムは最終的な完成を見たのです。

この写真が桜のシーンであることも重要に感じます。
彼女と僕の世界において、このアルバムが完成したのは、写真集発売日に当たる3月1日のことだと思っています。つまり、この桜の写真は昨年の春の写真で、もうすぐ今年の春がやってくるという状況。
そんな春がやってくるのを楽しみに、僕はこの写真をアルバムに貼った。そして、このアルバムのように思い出をまた1年作って、次の春が来る。そんな未来を想像したからこそ、「次の春も、その次の春もずっと一緒に過ごせますように。」と綴ったような気がします。

残された疑問(あとがき)

「彼女との思い出のアルバム」というコンセプトのもとに統一感がすごくあって、文を添えているという仕掛けもあって、読んでいて想像を膨らましやすくて楽しい写真集でした。
他の写真集もいろいろ意味を持たせながら作られているとは思うのですが、解釈を補助するような仕掛けが無くて、こんなに考えることも無かったので……。

通常の写真集では大きな見どころとして、アイドル人生を振り返ったようなインタビューがありますが、この写真集にはありません。
写真集の思い出を振り返った陽菜ちゃん直筆のあとがきのみ。
でも、この彼女と僕の思い出のアルバムという世界観の下では、それが良かったのだと思います。インタビュー記事があったら、内容的にも思い出のアルバムとかけ離れてしまいますし、そのインタビューをした第3者の存在を意識させらてしまいます。
あとがきだけなら、メタ視点が入っちゃう(これが写真集だったと気付かされてしまう)意味はありますが、大きく世界観が壊れることは無く、丁度良いんだなと思いました。よく考えられている。

個人的に残された疑問は、このアルバムに貼られた写真の順番は、果たして何の順番なのだろうということです。
「思い出の順番」というタイトルからして、時系列順に並んでいれば自然だと思うのですが、夏の写真の後に、コートを着た写真があって、再び夏の写真が来る。終わりの方に秋~冬の写真が来ると言う意味ではなんとなくは時系列順ですが、微妙に入れ違いがあるんですよね。ひと夏に2回も山口県に行ってるわけないと思うし。
じゃあ、「思い出の順番」とは一体何の「順番」なのだろうと。見当がつきません。

カバーを外した本体の表紙もユニークで、ネガフィルムのようなデザインでおしゃれです。ネガフィルムの各写真には番号が振られていて、1-36の数字の後には、再び1-4の数字が振られています。36枚撮りを使い切って次のネガフィルムを使っているということでしょう。でもこれも、服装からして時系列順ではないのですよね。
これは違和感ありますが、単なるデザインの問題で、似たようなシーンが近くにあるよりばらけていた方が見た目がいいということなんですかね。

表紙の方はいいとしても、アルバムに貼られた写真の順番には、なんか意味が欲しいところです。
タイトルが「思い出の順番」ですから。まあこれもデザインの問題(似たシーンが固まらないように順番をバラバラにしている)という可能性もあるかもしれませんが、何か腑に落ちる解釈(あるいは河田陽菜ちゃん本人の発言等)をお持ちの方がいれば教えてくれると嬉しいです。

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