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保育園で泣いた日♯1


パーソナリティー障害と薬

私は、10代後半から境界性パーソナリティー障害の傾向があり、今は鬱病も併発していて、特に怒りの感情をコントロールできない。

実はパーソナリティー障害に効く薬はない。
医者は、併発した鬱病や不安障害に対する薬を出すことしかできないのだ。

また患者には、乳幼児期に養育者との愛着形成がうまくできなかった人が多く、医者との信頼関係を築くことが難しい。だからコロコロ転院するし、治療が続かないという。

はじめ、精神科医を「私を救ってくれる素晴らしい人かもしれない」と過大評価した後に、対応に少しでも不安要素が見つかると、「この人もやっぱり最低だ。こんな医者の言うことは聞けない。」となる。
これを、心理学では「理想化とこき下ろし」と言う。

精神科医ができることは脳内物質を整える薬を処方すること。トラウマの治療はできない。だから、薬を出すこと以外できることはないのだ。
私も転院を繰り返した訳だが、そういう意味で、今までの精神科医の皆さんはきちんと、対応してくれていたんだと思う。

心の中にいる幼い自分

こんな私には子どもがいる。
妹や親戚たちの面倒を見ることが好きだったので、子どもが好きだと思っていた。子どもを育てていく過程で、記憶に眠っていた幼い自分が騒ぎ出すのがこんなに苦しいことだと思わなかった。
子どもが夫と幸せそうに遊ぶ姿も、微笑ましく嬉しい反面、「羨ましい」という気持ちが湧き上がる。「私もこんなお父さんに育てられたかった。」と幼い自分が言っている。
仕事や宗教活動に忙しい母親にも甘えることが出来なかった私は、人を頼ることが出来ない。
3歳頃から枕元にきちんと次の日の洋服を畳んで置いて寝るような"いい子”だった。

保育士さんの優しさ

カウンセリングを受け続けて、変わってきたことがある。
今まで外の自分だけはずっと"いい子"で居続けらた自分が進化してきている。

「お母さん、体調あまり良くなさそうですが、身体は大丈夫ですか?いつでも困ったことがあったら相談してくださいね。」

いつも子どもだけでなく、私のことも気にかけてくれる保育士さんの言葉が、何故か今日は心まで入ってきた。

その時、私の中の"いい子"が壊れた。
大声を上げて泣き出し、「何もできない母でごめんなさい。頑張ってるのに、何も出来なくてみんなに心配かけてごめんなさい。ごめんなさい。」とその場に泣き崩れた。


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