Last of us2の成した事

エンターテイメントにおいて、ゲームはいまだ発展途上だと言え、そして伸びしろがめちゃくちゃあると言える。映像作品が劇場の映画、家族などのコミュニティで観るテレビ、個人で観る配信と枝分かれしていったように、ゲームも最初はドットをどう動かすかから始まり、表現の幅を増やしていった。

テトリスやインベーダーからマリオになり、テーブルトークを落とし込んだRPGが生まれ、ゲームに物語が追加された。そして技術進歩から映画的ゲームが発生したという道。

ゲームセンターでの対戦ゲームから派生したコミュニティがインターネットの登場でワールドワイドになり、MMOからPvP、流行りののバトロワやあつもりなどの繋がりを重視した道。

今後発展するだろうヴァーチャルリアリティの体験的ゲーム。これの今想像できる最後はマトリックスの世界だ。ただそれはディストピアではない世界だと思う。世の中からネット上とリアルの垣根は限りなく低くなる時代がきて常時接続でドラクエの世界に行けることだろう。ゲームといわない生活の一部にファンタジーをインストールするという感覚だと思う。

1995年の自分がyoutubeを想像できなかったように、その世界の輪郭は正直わからない。でも子供の時想像した近未来SFはとっくに超えてるこの時代だ。90年代にスマホ想像できた人って人類の何パーセントだろう。

タイトルにあるラスアス2だが、これは当然、映画的ゲームの現時点の極みの一つだろう。前作Last of usはゲーム史に残る傑作だったとプレイした人のほとんどが思うはずだ。この話を一言でまとめると世界は残酷だけど愛は美しい。というマジで臭い言葉になる。プレイヤーはジョエルとエリーに深い愛情を覚えるし、最後は世界より個人的な愛情をとってしまうジョエルに間違ってるけど美しい愛を感じ共感する。全世界の未来より愛する娘(実際には違うが)をとるのは親として普遍的なことだと思う。

そしてその後、問題のラスアス2。これは前作で愛した二人を地獄に落とし、我々プレイヤーを否定する作品だった。この物語が批判されているのは「お前、間違ってるよ」って言われた気分になるからだと思う。ジョエルが死に、エリーは身勝手な復讐者になる。はじめはジョエルの仇と思うプレイヤーも段々勝手なエリーに嫌気がさす。

そして炎上の最大の理由。アビーの操作である。マッチョなジョエル殺しのくそ女を操作だと?って全員がなったはずだ。しかし彼女のほうが社会正義と理由とさらに人間性もできていると思い知ることになる。

ここでエリーが悪党だと確信する。これはプレイヤーに対して、「悪いのはお前だ」と言っているようなものだ。これは大どんでん返しで、あまりにも残酷なことである。エリーを応援して、また前作ラスアスのような温かい心に包まれることを予想していたプレイヤーにとっては拷問にも等しい。

深い愛情で包まれているのはアビーとレブのほうだった。前作のジョエルとエリーのように。これはつらすぎる。

だからこの炎上は至極当然だ。家族向け映画を借りてきたらスプラッターだったみたいなことである。これがラスアス2の最大の過ちだと思う。前作が好きな人にはお勧めしませんと注意書きが必要だとすら思った。マーケティング的にあり得ないかもしれないが。

また多くに受け入れられる前作の続きを同じように作っても凡作だったと思う。面白いけどまぁまぁだった期待しすぎたなーといわれる未来だっただろう。

このような鬱展開のゲームは過去にもあった。ヨコオタロウ作品はそんなの多いかと思う。ドラクエ7も悲惨なエピソードてんこ盛りだけど、ラスアス2のようにプレイヤーを否定してこない。

ラスアス2はLast of usの続編だからこそ、さらにこの残酷さが際立つ。

今まで文学や映像作品、漫画が語ってきたストーリーテリングをゲームがそれ以上に体験を通させて語れるという証明だといえるのではないだろうか。

ラスアス2はプレイヤーに選択権はない。これは追体験である。

今後のゲームはラスアス2のような架空追体験、ゼルダやウィッチャーのようなオープンワールド的な自由な世界。人同士がつながるMMO。3分暇を潰せるライトなゲーム。それがすべてバーチャルリアリティーに飲み込まれる未来。

本当にワクワクします。長生きしたいものだ。


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