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頭が大きいから、直ぐアナタだって分かったワ マカピーな日々#0456

マカピーです。

マカピー母の話によると、母体の小ささと反比例してマカピーは誕生時に4000gを超えていて、生後1年目には「健康優良児」だったとは、白黒写真にとどめるその姿は、ぶよぶよして可愛くありませんでした!

それはともかく、マカピーは物心ついてから帽子好きになりましたが、一つ問題がありました。

マカピーは頭が大きいので、購入できる種類が限られるので帽子屋さんで探すのも苦労するのです。だって子供用で頭囲60㎝を超えるの帽子は無かったんです。

今でも帽子選びには時間がかかり、店員さんの手を煩わせるのでした。


マ:「同じ型で、これより大きなサイズってありませんか?」

店員:「こちら、フリーサイズとなっております。そうですね、ちょっと在庫をお調べしますね!」

店員:「やはり、これ以上のサイズはございません!大変申し訳ありません!」

その会話を聞いていた周囲の人の視線が、マカピーに集中するのを感じたのは気のせいだったでしょうか?

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海外での仕事に就く前の事です。

独身時代「インドで人生を考えよう」とバックパッカーの旅に出ました。

タイが皮切りで、マレイシア、シンガポール、再びタイ、インド、スリランカ、モルジブ、インドに戻り、ネパールからタイそして日本に戻るまで半年を超えていました。

インドからネパールに入り中部のポカラからアンナプルナの氷河まで1週間ほどのトレッキングをしました。その際に氷河上の宿のテントで隣になったのが当時の北大生のイシカワさんでした。

イシカワさんとは意気投合して一緒に山道をポカラへ戻り、更にカトマンズに来てタメルの安宿で他のバックパッカーとも楽しく過ごしていました。

そんなある日、マカピーは日本の実家に国際電話すると、受話器の向こうでマカピー母から祖母のガンが見つかり、既に手術できない状況であることを告げられ帰国するように言われました。

当時は、あと半年ほどミャンマーやインドネシアを訪ねてみようかと思っていた矢先の話だったのですが、とりあえずこれで旅を切り上げて帰る支度をすることにしました。

一方イシカワさんは世界一周の旅の途中で、さらに西にむかいました。

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マカピーは帰国してから、日本で実家の農業(養鶏と畑仕事)の手伝いをしながら祖母の最後にも立ち会ったのでした。

祖母の葬儀も終わり東京の弟の西荻窪の下宿に移りました。そこは弟が緊急入院で空となっていたアパートでしたが、再開発計画で取り壊しになるからと半年ほど家賃なしで済んだのです。

当時マカピーはどこかに土地を求め、自然農法の養鶏を始めようか、それともどこかに就職するべきか決定打がなく困っていた頃です。

そんな矢先に、カトマンズで分かれた世界一周のイシカワさんが無事帰国して会うことになりました。

北海道に帰るJR上野発の寝台特急「はつかり」の時間までイシカワさんと新宿にあった国際協力事業団(現国際協力機構)に勤務する知り合いを訪ね一緒に食事をしたのですが、まだ時間が余り市ヶ谷にある研修施設を見物していた時のことです。

背後から、聞き覚えのある女性の声がしたのです。

「マカピーさんでしょう?やっぱりね、後姿でも頭が大きいから直ぐアナタだって分かったワ!」

と周囲の眼があるにもかかわらず、とても失礼な呼びかけでした。

声の主はマカピーの協力隊派遣前訓練でマレイ語を教えてくれた恩師でした。

彼女はもう一人の語語学講師と結婚していて、インドネシアのバンドンに赴任しているところへ、協力隊員だったマカピーはインドネシアの2週間ほどの旅の途中で彼らの家に数泊お世話になったので、かれこれ2年ぶりの再会でした。

マカピーが連れ(イシカワさん)と一緒だと分かると、旦那さんの方から「連絡先をくれ」と言われて別れました。

イシカワさんを上野駅へ見送り、西荻の下宿に戻ると元語学講師から電話があり「海外で活動するつもりがあるか?」と聞かれました。

Yesと答えると、採用試験があるけどそれに通れば彼と同じように海外勤務が可能となるというのでした。

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その後マカピーは9か国で仕事をすることになるのですが、今でも時々思うんです。

もしも、ネパールの氷河の上でイシカワさんと会ってなければ?

否、自分の頭が大きくなかったら?どうだったろうかって。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。単なる偶然とは思えない出逢いってあるんですよね!






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