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ネクタイしたくなかった先輩 マカピーの日々 #1398

マカピーです。
高校時代、先生から彼の教え子の事を伺いました。

先生の話はこういうものでした。

「君らの先輩でどうしても将来ネクタイをしての仕事に就きたくないと言ってたのがいたんだ。それで大学を卒業しネクタイしなくて済むジーンズ(アパレル)の会社に入ったんだ」

何故かしら、マカピーはこの話がとても気になって覚えているのでした。


ロバに乗るベドウィンの二人。向こう側は死海


さて、マカピーも最初はネクタイをするサラリーマンになるつもりはなかったんです。

そもそもマカピーもあの先輩と同じくネクタイが好きではなかったんですね。

そもそも大学を卒業して就職したのが養豚会社だったので、豚相手の「作業服」でしたから不要でした。

その後の青年海外協力隊でマレーシアに行く前にある、3か月の派遣前研修はお仕着せのブレザーを着ていたので毎日ネクタイを締めていましたね(笑)

でも、マレーシアに着任した後は表敬訪問以外でネクタイをすることはありませんでした。

そもそも熱帯の電気水道電話のない村でネクタイを考えるのもありませんでした。

その後、マレーシアから来る青年グループを引率するアルバイト的な仕事に就いた際もネクタイを締めていましたね。

こんな事をしていてはネクタイをし続ける仕事を続ける事になっちゃう危機感から、見合いをして大分県杵築市のミカン農家に婿養子に入ろうとしたのです。

ところが、マカピーが伝統的な手続きを知らなかったので、見事見合いに失敗した後、半年ほどバックパッカーの旅に出かけます。

もちろんネクタイとは無縁のアジア旅行でしたが、襟の付いたシャツはイミグレーションなどを通過する際に「品行方正を装う道具」として使ってました。

その後でひょんな出会いが重なって、マカピーが結婚して最初に海外赴任したのはフィリピンでした。

最初は緊張もあってネクタイしていたのですが、とても暑いマニラで当時は電力事情が悪く停電ばかりで汗が吹き出しネクタイをしていられませんでした。

そのうちにバロン・タガログという便利な服装ですごしたり、ノーネクタイのワイシャツ姿が多かったです。

砂を焼いてコーヒーを淹れるお店(アカバ)

ところが、次に行ったイエメンからネクタイが復活するんです。

やはり、周囲の状況から「それなりの人」に見えるように背広にネクタイが定着するのは、住んでいた首都サナアが2,200mの標高を持つ高原で寒かったからでもあったのです。

その次のネパールも首都カトマンズで、春夏秋冬があったので一年の半分はネクタイをしていたように思います。

その後のカンボジアでは暑かったのでほぼノーネクタイでしたが、ウズベキスタン、ザンビア、ベトナム、ヨルダン、南アフリカではネクタイしている事が多かったですね。

きっと、オフィサーとして見られたかったのでしょうね。

確かにネクタイをすると首筋がスースーしなくて寒い時には暖かく感じます。

それだったら、マフラーでいいじゃない?

そりゃ、そうですよね!(笑)


車に乗り込む新婦(アンマン)

今はマレイシアの田舎町でネクタイをすることもなく気楽な格好で過ごしています。

一応レストランにいる時は襟のあるポロシャツではいますが、普段はTシャツだけです。

やっぱりマカピーは寒いのよりマレーシアのような暖かい方が好きです。

ネクタイはタイシルクの「ジム・トンプソン」を愛用していましたがもう不要です。

マカピーもようやく、あの先輩のようになれたのかしら?

マカピーでした。
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