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フーテンでいいじゃない! マカピーの日々 ♯1556

割引あり

マカピーです。
「フーテンの寅さん」という映画を思い出しました。

渥美清さんが演じる寅さんは縁日などで、展示販売?するテキヤで全国各地を旅しながら回っている商売人です。

熟練された滑らかな口上で行き交う人の耳目をひきつけます。

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、御用とお急ぎでないお嬢ちゃん、お坊ちゃんも・・・」

マカピーも子供の頃はバナナのたたき売りやガマの油売りなどを思い出します。

多くの人が講談師にも負けないリズムには誰もが慣れ親しんだことでしょう。

また、こうしたにぎやかさが縁日の呼び物でもあったと思うんですよね。

見世物小屋があったり、りんご飴を売っていたり、綿あめがあるという非日常があり、ウキウキするのが縁日だったように思います。

立て板に水に観客を引き付け、買わせる技術を見ていると、現代では展示即売会で見事な売り上げをする名物販売人も同じですよね。

これは先日違法駐車の罰金支払いに行ったバギオ市庁舎

さて、マカピーがかつてフィリピンでマカピー父と同じ年の方と一緒にしたことがありました。

マカピーにとっては、ボランティアや実習での滞在がありましたが、それが初めての海外勤務でした。

学者肌の紳士のKさんは、マカピーのところと同じくらいの年齢のI夫妻と一緒に時々食事をとる事にしました。

通常はマカピーの家で夕食をとる事が多かったのですが、長男が生まれたばかりだったりしたのである日Kさん宅のある高層コンドミニアムの一室に集まった時の事です。

日本から当時珍しい「柿」が入手されたのでお土産に持って行ったら、意外なことにKさんが直ちに断られたのです。

「申し訳ない。ボクは柿が食べられないんです」

それは戦後の食糧難時代に、友人が持ってきてくれた柿を腹いっぱい食べた後で酷い便秘に見舞われ相当苦しんだというのです。

それ以来、甘柿であろうと柿というものを体が受け付けなくなってしまったというのでした。

さてKさんもフィリピンへは奥さんと一緒に来る予定でしたが、出国直前に奥さんが倒れそのまま亡くなってしまったのだそうです。

Kさんはその前の年の秋のある日、家で休んでいた際に奥さんに尋ねたことがあったのだそうです。

「今年は木犀(モクセイ)の香りがしてこないのはどうしてかな?」

「え?、今年もとても良い香りがしてますよ」

それで、Kさんは自分の嗅覚が失われてしまったことに気付き病院に行ったのですが、残念ながら嗅覚が戻る事がありませんでした。

何よりも嗅覚が失われると食事が美味しくなくなり、Kさんの人生の楽しみが1つ失われたような気になったそうです。

そりゃそうだろうなあ!


バギオのお土産Tシャツ

普段は仕事場の会食の場でも、Kさんはそういった態度を見せない方でしたのでマカピーは全然気が付きませんでした。

そしてマカピー妻が「今度一緒にビデオ鑑賞でもしましょうか?寅さんシリーズでしたら沢山ありますよ」と誘うとKさんはまたもこう言うのでした。

「申し訳ない。ボクはあの『フーテンの寅』という役どころが、見ていられない程性格が合わないんです。どうぞ気にしないでボク抜きで見て下さい」

確かに最初に好き嫌いが分かると、いろいろ準備しやすくなりますね(笑)

シリーズの中で、寅さんは、たまに叔父ちゃんと叔母ちゃんの柴又の団子屋「とらや」に戻ってくるのでした。

妹のさくらとその旦那のヒロシ、ヒロシの勤める隣の印刷工場のタコ社長としばらくはいい関係ですが、ちょっとした事で喧嘩別れをしてまた放浪の旅に出るのがいつものパターンです。

全国各地でいろいろな人に出会い、恋をして、失恋して・・・マジメなヒロシ達から見れば「義兄さんは自由だなあ!」っていう事になります。

そう、ヒロシの実感は世の中の人の心を代表していたのだと思います。

じゃあ、あんな風に不安定かも知れないけれど、面白そうな生活が出来ないものかしら?


1960年代に出来たバギオの古いホテル

そうだ、マカピーも憧れた時期があったのを思い出しました。

「やくざ」な兄は定職につけないでテキヤ商売をして不安定な旅を続けている状況を卑下しているような主題歌の歌詞もありますが、実は本心は違うように思うのでした。

タコ社長のところの印刷工場で働く若者たちの寮に向かって「労働者諸君!」と大声で馬鹿にしているのは「オレはお前さん達のように働くつもりはないよ」と宣言しているのです。

立て板に水のような口上で人の心をつかんで商品を買わせる技量がテキヤに求められます。

稼業になれば、会社勤めであってもどんな商売でも同じ事なのです。

マカピー父はKさんのように大学を出たわけではなく、尋常高等小学校卒業(中学校)らしいです。

マカピー母は女学校(女子高校)卒業ですが跡取り息子がいなかったのでマカピー父が養子として養蚕を中心とした農業を引き継いだのでした。

子供の頃は夏休みになると少し憂鬱になりました。

それは農繁期、とくに養蚕の繁忙期で子供もその手伝いに駆り出されるからでした。

テレビを見れば「夏のハイカーで訪れる観光地」などのニュースを見る度に不思議に思ったのです。

「どうして、同じ日本人なのに土日に遊びに行ける人とそうでない我々のような養蚕農家があるのだろうか?」

養蚕に限らず生き物を飼う畜産農家も、レタス畑であっても農繁期に休みが取れる事は殆どありません。


バギオにも少ないながらムスリムがいます

マカピー母の妹二人が嫁いだ先は次女が県庁職員、三女が銀行職員でしたからマカピーの従弟たちはサラリーマンの家族でした。

養蚕農家に生まれ育った母の妹たちは繁忙期に手伝いに来てくれました。
そして不憫に思ったのか県庁に勤める叔父はマカピー達をスキーに連れだしてくれたりしてくれました。

「そういう生活がしたければサラリーマンになるんだなあ」

いつかマカピー父がマカピー兄弟に向かってそう言ったことがあります。

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