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骸(むくろ)は饒舌 マカピーの日々 #1423

マカピーです。
午後の強い日差しが陰り始めた頃、マカピーを乗せたミニバスが通過する際見た光景が脳裏に焼き付いたのでした。

なぜ彼らはそこに横たわっていたのか?

それは車が衝突する事故があったから。

なぜ彼らの命がそこでついえてしまったのか?

衝突の衝撃で車両の損傷がひどく中の人も即死だったから。

なぜ事故が起きたのか?

見通しの良い一本道で無理な追い越しがあったから。

当事者ではないのでマカピーはいろいろ想像したけど、今でもシートで包まれた三つの細長い骸が事故現場に並べられていた光景を幾度も思い起こすのでした。

もはや誰が悪いとかではなく、マカピーがそれまでおそらく一度も会った事のない彼らは現にこの世には生きてはいない事実があるのでした。

マカピーの気持ちがこだわるのには、そうした光景に慣れていないからというよりもラマダーン中の出来事だったからかもしれません。

ラマダーン(断食月)の後半ともなると、ムスリムは疲労がたまって来ると聞いたことがあります。

ハナさんは「最初の週はみんな元気なんだけどね。段々ボーっとして来るのよ」なんて言ってました。

かつて滞在した事のあるイエメンの首都サナアのラマダーンでは、日中に商店街から人影が無くなるほど静かでしたが、時短をしながらも人々は仕事場へは出かけていました。

ところが、帰宅時間から断食明けの夕食が始まる時間になると道路が混雑して、苛立ったクラクションが街角に響き渡るのでした。

そして信号無視する車が交差点で出合いがしらの衝突で、今度は運転手同士がお互いに大声をあげてカオスが広がって行くのを見かけました。

マカピーは断食月を過ごすムスリムのほとんどが、日中も静かに祈りを捧げながらこの時期を過ごすことも知っています。

インシャラー

ムスリムの会話のでは将来の事柄、例えば明日の午後6時に会おうと言えば必ず「インシャーアッラー(神の御心のままに)」と言葉を挟みます。

マカピーも最初にそれを聞いた時には奇異に感じました。

「ああこれがアラブのIBMってやつか!」って納得したのでした。

IBMを構成する頭文字が「I」「B」「M」のフレーズは通常インシャーアッラー(Inshallah「もし神が望むならば」)、ブクラ(ボクラ)(Bukra「明日(に);いつかそのうちに、いつの日にか」)、マアレーシュ(マアレシュ)(Malesh「ごめんなさい、すみません;大したことはないからお気になさらず」)の3つ[1]とされるが、Mについては他の表現に置き換えられていることもある。
一般的なアラブの民族性として語られがちな「怠惰」「時間にルーズで何事も先送りにしてしまう」「生産性が低い」「開き直り」というマイナスイメージとともに紹介されることが多いが、中には意味の誤解から不当な非難になっている事例も見られる。

Wikipedia

現代となってはコンピューターを製造しなくなりITやコンサルティングに業態を変えているIBM(International Business Machines Corporation)の正式な名称を知っている人も少ないのかも知れないけど、その三文字は当時でも絶大な知名度があったのです。

それがアラブ圏になるとこんな風にIBMを読み替えるんだよ!っていう風刺だったと思います。

ところが、自分自身が不慮の事故に出くわし約束が守れなくなった時や前述したような交通事故を目撃した時などつくづくマカピーでもインシャアラーを実感するのでした。

人知を超えたところにある運命

だからと言って、誤解してはいけないのは投げやりになって「あとは神頼みをしていればいい」とはなりません。

マカピーには中国の諺にある「人知を尽くして天命を待つ」という感覚に近いものがあると考えています。

あの骸となってしまった人たちも、きっと沢山の将来の計画を持っていたと思うんです。

インシャアラー

マカピーが乗るミニバスはその交通事故現場の大渋滞を抜けると、ロスタイムを挽回するように猛烈な追い抜きを繰り返して進むので、おもわず手すりにしがみつくほどでした。

このドライバーは先ほどの光景を見ても、毎日のありふれた光景の一つであって「それはそれ」って思っているのかな?

マカピーが追い越しに目を見開いていたのが気になったらしく、ドライバーがバックミラー越しに「え、怖いの?」と笑いかけるのでマカピーもニヤリと返します。

あの骸たちは沢山マカピーに語りかけるのでした。

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。今日も心静かに生きましょう



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