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いつ果てるとも知れぬ命なれば マカピーな日々#0708

マカピーです。

マカピーが尊敬するマハトマ・ガンジーの言葉があります。ガンジーさんはインド独立の立役者だった方で、最初は南アで活動していた弁護士だったんです。

明日死ぬつもりで生きなさい。永遠にいきるつもりで学びなさい。    Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.  マハトマ・ガンジー.

そして、その言葉を聞くと更に孔子の教えである「論語」の一節を思い出すのでした。

これって、孔子様も教えるばかりではなく、自身も真理を探し続けた求道者であったから言えた言葉かもしれません。

納得して人生を終えたいという気持ちが、こうした警句となっているのかと思うのですが、マカピー自身の事となると、果たして潔くこの世とサラバできるのかちょっと不安になります。

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例えばこんな逸話を思い出しました。

明治維新の頃、日本は内政が混沌としていました。尊王攘夷運動、大政奉還、戊辰戦争、西南の役などなど、つまりは国を挙げて「内戦状態」になってしまったわけですよね。

もうどっちの陣営の主義が正しいのかよくわからない・・・悲惨な戦いが繰り広げられるのですが、官軍も幕軍の兵士も何とか諸外国から「この国を守りたい」気持ちがあったと思うのです。

そして、この戦いが治まったら「新しい日本を作ろう」という気概は共通していたのでしょう、若い兵士たちが戦闘の休憩の間にも懐から取り出した単語帳をめくっていたのは、外国との交流が始まれば相手国の言葉を知っておくべきだと教わったからだと思います。

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マカピー妻の両親は会津藩(福島県)の鶴ヶ城城下(会津若松市)出身だったので、飯森山で自害した「白虎隊」の話を聞き、実際にお城や飯森山の記念碑などを見て回ったのですが、中でも「日新館」という藩校が印象的でした。

御存じの通り、その後日本は日清、日露の戦いを経て第二次世界大戦に突入して、焦土と化した国土から再度復興しました。

それは「国を再興するんだ」という気概を持った人材が九死に一生を得て戦地から帰ってきて、亡くなった戦友の分まで頑張って経済復興して行ったのが戦後日本だったと考えるからです。

マカピーの祖父もビルマ(ミャンマー)から復員して村の復興に尽力したのを知っています。

いろいろな考え方があるので、「これが正しい歴史観」というわけには行きませんが、マカピー達も知らぬうちに手渡されたバトンを今度は次世代に引き渡す時が必ず来ます。

どんな未来を次世代に託すのか、意識しながら毎日を過ごしたいです。

死ぬことが必定であってもそれが何時か分かりません。

明日の朝、目が覚めない事だってあり得るのが世の中です。

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だから、死ぬまで勉強しましょう!

だから、知りたい事を追求しましょう!

もしもラッキーだったら、死ぬ前に「求めていた物の正体」が分かるかも知れません!

マカピーはそんな風に生きたいのです。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。探求心を衰えさせない!




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