扁桃体と喋ってるのか?

自分の好き嫌いを勝手に宣言されるのが苦手だ。

なにげない話をしていて、あの芸能人の顔が好き、あの俳優さん嫌いなんですよね、などなど、突然話の中で登場した人物やそこから勝手に連想した人物についての好き嫌いを発表してくる人がいる。いや、多いと思っている。

正直、そこの価値観は共有していない関係のなかで好き嫌いを突然発表され、わたしはいつも戸惑っている。

わたしは必ずしもその相手の趣味やセンスが良いと思って付き合っているわけではないので、好きだの嫌いだのと言われても、わたしにとってはどうでもいい情報だし、なんなら、わたしは好き嫌いを判断するほどその対象について関心を持っていないことが大半だし、ひどいときにはその人の好きが嫌いで嫌いが好きだったりということも少なくないのである。

それにも関わらず、無防備にそんな発表をわたしにされてもただただ反応に困るし、迷惑なのだ。

心に余裕があれば、へえ〜そうなんだね、で済ませられるが、そうでないときは、わたしは好きじゃない、わたしは嫌いじゃないと、わざわざこちらまで好き嫌いを発表する羽目になり、巻き込まれた感で自己嫌悪である。

その好き嫌いについて、なぜならば〜と興味深い考察を述べてくれるのであれば大いに耳を傾け、わたしだけでは気づかなかった特徴などを知ることができるチャンスになるので、できればもう少し説得力を持って話してくれればいいのだが、この手の話というのは、99%、感覚値なのである。なんとなく、なのである。いや、なんとなくにも必ず理由があるのだから、そこまで本人が掘り下げるべきなのだが(少なくとも口から音声として発し、人様の鼓膜に響かせる責任を負うのであれば!)、その作業を怠っているケースがほとんどである。

とにかく、センスが良くもないのに、会話の途中で自身の好き嫌いについて無防備に発表することは控えてもらいたい、と世の中の同世代の女性に伝えたかった。

なんなら、わたしはそれを聞いて、やっぱこの人のセンスはあまり良いとは言えないな、と思っているよ。


これを書きながら一つ思い出したのが、わたしがこどものころ、両親がたくさん海外旅行に連れて行ってくれた。どこかへ行くたび、父はわたしに、例えばイタリアに行ったとしたら、今回のイタリアのどこがよかった?と毎回振り返りの感想も求められた。その上、なんでそれがよかったのか?という理由まで質問されていた。当時5−6歳のわたしはいつもその質問に答えるのがプレッシャーだった。もちろん旅行は楽しいが、どういうところが?とまで聞かれるとそんなすんなりとは答えられないものだ。今思い出しても、旅行でどこが良かったかという思い出より、その質問がプレッシャーだった、という思い出の方が鮮明に記憶に残っている。

そんなことが影響しているのかも。

ではまた〜

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