見出し画像

女性を大事にしない社会は滅びるよね、なぜなら

日本は社会の男女平等度を測るジェンダーギャップ指数で先進国中ダントツの最下位っていうのがもう何年も当たり前になっていて、今さら意外でも何でもなくなっている。
 
何だかんだで結局この国の文化は男尊女卑なんだから、どうしようもないとみんな思っているのだろうか? この状態を異常とも考えていなければ、不平等を解消しなければならないとも考えていないのだろうか?
 
この国では女性を軽く扱うことが深く根付いていて、もう無意識に行われているから、女性を軽く扱っている男性も、扱われている女性も、それがそうだと気づかなくなっているね。
 
でも、外から日本を見ると、男性があまりにも無意味に威張っている日本は、異常だよ。
 
まず見てすぐわかることで言えば、公共の場で、電車なんかで男性のほうが座って女性が立っていたりすること! これはまじで JAW-DROPPING!! 世界がひっくり返ったかと思うぐらいの衝撃だ! 自分の目が信じられない!
 
基本的に女性は男性より体力がないのだから、男としては弱者である女性をいたわるという意識があるのが自然でしょ。 それが何だ、男がふんぞり返って座席に座っていて、女性が立っているとは! 日本に帰国して間もない頃、ちょっと年配の団塊世代夫婦らしい 2人がまさにそういう感じで、小柄なおばあさんが立っているのに、その目の前でじいさんが偉そうに座っているのを見たときは、もう驚愕したし、むかついた。 若いカップルでも全く同じことをしている。
 
ほかの国ではそんなことないんだよ。 ニューヨークでもブラジルでもマレーシアでもどこでも、まず女性を座らせるから、女性が座って男性がその前に立ってるっていうのが普通の姿。 海外から日本に来た旅行者は、口には出さなくても、男が偉そうにしているこういう光景を見て日本の男尊女卑を実感しているのだ。
 
日本の男性はまず自分が座ることしか考えてないから、周りにどんな人が乗ってるのか見ていないし(というか見たくないのだろう)、女性がいても、お年寄りがいても、席をゆずるなんてことはないよね。 全くないとは言わないが、あるとしたら 「珍しいこと」 になってしまう。
 
ほかの国では違うんだよ。 ニューヨークの地下鉄では、若い男性は最初から座る気がなく、席が空いていても脇のほうに立っているような人がたくさんいる。 座っている人も、女性がいたら自然に席をゆずるよ。 別に妊婦でなくてもお年寄りでなくても、若い女性にでも席をゆずる。 レディーファーストがどうとか、そういう 「やらされている」 ようなことではなくて、自然で合理的なことなのだ。 なぜって、男性は何のために体力を与えられているのか? 自分で使うためにあるんじゃないよ。 その体力のない誰かのために使うんだよ。

席を譲るくらい何でもないこと。 譲られたら女性は男性に感謝する。 笑顔になる。 男性も嬉しくなる。 男と女はこういうことでいいのではないかと、見ていて思う。 こう言うと、「男女逆差別だ」 なんて言い出す単細胞がいるが、それは違う。 これは男女の生物的な体力の違いであるし、ここでは男性が女性に譲ったけれども、別の場面では女性が男性に何か違う形でお返しをすることがきっとあるのだ。 これで世の中は確実に平和になっているよ。
 
だいたい、女性を大事にしていないから、出生率も下がる一方だ。 妊婦や子連れの母に冷たかったり、育児後に職場復帰できなかったりするような社会で、子供を産む気になるわけないではないか。 こんな直接的な意味でも、日本は滅んでいってる。
 
でも私は、この社会の根底にある精神的な貧しさが、いま見えているもの以上にもっと深刻な問題だと思う。 女性を大切にできないというのは、人間の命を大切に思っていないということに等しい。 女性というのは、人間の命そのものだよ。 あなたはどうやってこの世に生まれてきたのか? 女性の存在は命の源だよ。 人類の未来だよ。 人間の基本形は女性なのだということは、サイエンスが教えてくれた。 男性より体力がなくて、特に日本人の女性はヒールのある靴を履いて通勤したりしてがんばって(無理して)いるのだから、思いやる気持ちが生まれて当然だと思うのだけれど。 妊婦(明らかに妊婦とわかる人)だけを気にしていればいいなんて、みみっちいことを考えていてはいけない。 妊娠しているかどうかなんて、特に妊娠初期は外見からはわからないから。 彼女らは自分の中の命が無事に育つように、一日一日を大事に生きているんだよ。 出産のときは、自分の命をかけて子供を生むんだよ。 そんな女性に対して尊敬とか感謝とか大事にする気持ちがわかないとしたら、人間の命も、自分の命も、尊いものだと感じていないんだろうね。
 
この国では未だに、女性の発言力は低い。 男性社会の中で、女性が訴える女性の問題は優先順位が限りなく低いものであり、女性の発言は男性のものほどは価値がないとみなされる。 たとえ同じことを喋っていても、男性の話は真剣に聞くが、女性の発言は話半分にしか聞いていないのだ。
 
つい先日、帝京大学の教授がゼミ募集で女子学生を優遇していたということがニュースになった。 女子学生なら即採用の上、一緒にお茶しようと誘っていたのだとか。
 
(【独自】帝京大教授 ゼミでセクハラか 「あんたは女だと思ったから」名前で女性と“勘違い”
https://www.fnn.jp/articles/-/449500  ←リンク切れのため後日更新)
 
とんでもない職権乱用でただの下劣なスケベオヤジであるわけだが、私がここで言いたいのはマスコミの反応のしかた。 これが最初に SNS に出てから上記の FNNプライムオンラインが取り上げるまでとても早かった(ここが最初なのかどうかは確認できなかったが、もっと早いところもあったかも)。 このように SNS での話題がネット上でニュースになるのは普通によくあることだけれど、今回はすぐに地上波のニュース番組でも取り上げられていた! 新たに被害者本人にもインタビューしていたようだ。
 
こういう行為がニュースで伝えられて、世に知らしめられるのは意味のあることだ。 ニュースにする価値があると判断されたから、こんなに早く、地上波でも報道されることになったのだろう。
 
だけど、どうだろう。 今回は、女子を優遇する(女子に下心のある)という教授によって、「男子が疎外」 されることになって、ニュースになった。 これが逆だったら、ニュースになっていただろうか?
 
「男子を優遇したい(男子しか相手にしてない)教授が、建前では男女とも募集と言いながら、実際は女子を疎外していた」。 なんだ、これって私たちの社会の日常ではないか。 入社試験で何度同じ話を聞いただろうか? いつも男子が優遇されて、女子が落とされる。 何年も前からこのことは女性の側では問題にしているのに、社会で真剣に議論されていないし、またか、となるだけで、ニュースバリューがないということだ。 ネットで話題になることがあっても、地上波で改めてニュースになることなんてほとんどない。
 
男子の身の上に起こって初めて、マスコミはやっと、これが大変なことだ、問題だ、という想像力が働くのだろうか。 今回のことが問題になったのは良かったけれども、その前にまず、この件が明らかにならなかったら被害にあっていただろう多数の女子のことは意識にのぼらないだろうか。 これまでにもいたかもしれない女子の被害者が、もしかしたら被害を訴えていたのに、真剣に対応していなかったなんてことはないだろうか。 または訴えても無駄だと思わせる環境なのではなかったか。 長年ずっと女子(女性) が社会から受け続けている不当な扱いは、いくら訴えても社会の中枢には聞き入れてもらえていない。 日本の社会の表面には、今でも何も届いていない。
 
単純に言って、女性が社会で活躍できない(男性と同じ地位につけない) のは社会の損失だ。 男性より女性が劣っているなんてことは決してない。 むしろ、入社試験では女性のほうが成績がよいらしい。 日本社会のほうに、女性を活かすキャパシティがないだけ。
 
元外交官の小和田雅子さん(現在の皇后さま) が皇太子妃となったとき、その経歴には度肝を抜かれた! こんな優秀な女性が日本にもいるのだ。 彼女より優秀な人が、男性女性問わず、この日本にどれだけいるというのか(もちろん何名もいらっしゃいますが、当時の自分からは見えなかった・・・)。 Empress Masako のことは、海外では尊敬と親しみをもって報道されている。 ハーバード大学卒という彼女が日本では適応障害なんてことになって、その能力を活かすどころか封じこめられているのはどういうことだと、外から見ると不可解でしかない。 日本はいったいどうなっているのだ、という目で見られていることを知っておくのは悪くない。
 
2021年の夏に東京オリンピックが予定の 1年遅れで開催された。 2013年に TOKYO 2020 が決定してから、日本では準備が進められた。 その中で、社会が変わったな、影響があったな、と思うことが自分的に 2つある。 公共の場所での禁煙化(分煙化) が進んだことと、コンビニからエロ本が消えたことだ。
 
この 2点はどちらも、何十年も前から(昭和の時代から) 問題視する声は上がっていたものの、社会の 「偉い人」 たちが聞く耳を持っていなかったから実現しなかった。 問題を訴えていたのは主に女性だった。 タバコの煙は、吸わない人にとっては非常に苦痛だ。 そのうち、副流煙は主流煙よりも有害だということがわかったりしたのだけど、「食後の一服」 をやめられないおっさんたちは、女性が何と言おうと、子供のためにもやめてくれと言われようとも、耳を貸さなかったものだ。 エロ本だって同じだ。 下品で煽情的な表紙が堂々とコンビニに並んでいるのは、こんなものを喜ぶ自分たちのレベルの低さとその無神経さを世の中に向けて陳列している恥さらしでしかないわけだが、そんなことには気付きたくなかったらしい。 それとも、こういうのが好きな自分たちってかわいいでしょ、というウケ狙いだったのか(そんなワケあるかい!)。 どこまでいっても自分に甘い、自分が一番かわいいおっさんたち。
 
そして、オリンピックを控え、やっと海外の目を意識する時が来たらしい。 今まであんなに 「一般庶民の声」 を無視していたのに、ばたばたと禁煙化が進み、路上は基本的に禁煙となったり、飲食店では分煙化が徹底されて、喫煙エリアのほうが狭く小さくなったりした。 コンビニからエロ本も消えた。 これらの変化は良い変化ではある。 でも、問題があるという声はずっと以前から日本の中で出ていたのだから、その時点で何も対応できていなかった(していなかった) のは恥ずべきことではないのか。 女性たちは切実な理由があって声をあげていたのに、おっさんたちは聞き耳を持たず、「女が口を出すな」 とか 「しょせんは女の言うこと」 なんて言って片付けていたのだ。 浅薄なのはどちらだろう? このような社会で育った男性はまた同じように、女性の意見はクダラナイと思いこむようになる。 自己中心的で幼稚なバカの再生産である。 いや、刷り込みは幼ければ幼いほど強固になるから、ただの再生産ではなく拡大再生産だ。
 
男性より女性のほうが、本質的に 「命」 に近い。 生物としての人間にとって何が大事なのかを、男性よりも理解しているのだ。 男性にとって、よくわからないから、馴染みがないから面倒くさいと思いがちだが、実は大事なことを言っていたりするのだ。 社会が女性や子供にとって住みやすいものになるというのは、男性にとっても住みやすい社会であるはず。 女性の発言を理解できないというのは、社会がそれだけやせ細っているということ。 柔軟性をなくしているということ。 人間の大事なものをなくしているということ。 理解できないからといってその発言を締め出していれば、社会はどんどんやせ細っていく一方だろう。
 
1990年代にバブルが弾けたあと、大小かかわらず企業がいくつも倒産した。 そんな時によく言われていたのが、「女性がどんどん辞めていく会社は危ない」。 男性は、過去の栄光が忘れられないとか、誰々が言ってたから大丈夫とか、とかく実体のない希望にしがみついてなかなか実情に気が付かない中、女性のほうが冷静に会社の状態を観察しているというのだ。 男性より五感を使っているというか、本質を見抜いているというか。 この会社は危ないと察知して、さっさと辞めていく。
 
女性の感覚をあなどってはいけない。 男性には見えないけど、女性には見えているものは本当にあるのだ。 男性の浮気は必ず女性にバレる、というのが何故だか考えてみたことがあるだろうか? 女性にしか見えないのだから、それを言葉で伝えても男性には理解できないのは仕方のないことかもしれないが、「女性にしか見えないこと」 は無益ではない。 社会が成長していくための貴重なアイデア(資源)なのだ。 それを理解できないような、鈍感で偏狭な社会は、遅かれ早かれ滅びるよね。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?