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安倍元首相銃撃考察山上容疑者

1.現代のポピュリズム

今巷では、「年収1億なんかこの方法で誰でも稼げる=yutube動画」「20代で年収100億=海外で優雅な暮らし」「知れば稼げるビジネス講演参加費3万円で年収1000万円」「必ず稼げるブログ=教材と講座会員30〜50万円」などに殺到する刹那的世の中。

炎上すれば登録数と閲覧数稼げる→登録者数が多ければ信用度が上がる→教材や講座が売れ、講演にも参加者が増える→あらゆるツールで宣伝で、有能であり優秀な成績を残したわけでもない人間が「儲けるプロセス構築」のみで、中抜きしてる構図でもある。

「金持ちがヒーロー」であり「金持ちが正義」が蔓延し偏重した世の中。
人間性や人徳が抜け落ちている。

最近ビジネスを語ってる人たちは、いわばバーチャルの世界で儲けただけであり、その世界には実質的に生産する労働がないものも含まれる。
私に言わせれば昔流行った鼠講と似て近しで儲けてる輩も多数いるのだ。
それらに支払った代金以上を回収できる方はごくわずかなのに。

確かに一人一人に手を差し伸べ稼げるまで補償する経営者もいるが、一般の上場企業でさえ月々一人100万円から多くても1000万円売上て、経常利益がその10%あれば良しとし、1000人〜10000人以上の社員を雇用している。
それでなんとか100億〜1000億円の利益をだしているのだ。
だから、社長で年収5億もあれば、かなり貰っているほうなのである。

それと比較して、人間性も知性も共に高いネットビジネスの社長はほとんどいない。まず上場企業の社長は年収を自慢したりしない。
しかし、有名人の評価が年収という偏重がステータスになっている現在は、自慢していることを否定できない。
騙されたくないのであれば、モノではなく、金だけを大きく動かし利益を得たり、googleやSNS・インスタの金が生まれる仕組みに乗って、バズって軌道に乗っただけで偉そうにしてるYouTuberを私たちを、見極めなければならない時代に突入している。

情報過多の理由で、自分の不幸せが際立つ世の中になってしまったわけだから、今回の銃撃事件は、誇張され過ぎた「格差社会」の弊害でもあるかも知れない。

また、多数の「アベガー」たちの声からも、統一教会と関係してる安倍元首相が元凶だと思い込むのも容易だったに違いない。
山上容疑者の様に、家族が不幸に巻き込まれ貧困だからという理由だけでは、関係のない第三者に対する偏向情報が拡散されない昔には、同様の事件は起きなかっただろう。
他人と比べてこそ自分の立ち位置を人は知るし、偏向であれ虚飾やでまかせであってもメディアやSNSの声での情報拡散は早いわけで、それに流されず常に自分の良心と思慮深い判断で見極め、それに流された行動だとしても自分や家族に責任が及ぶ事を常に考えなければいけない。

2.昭和の時代

山口百恵さんは、詳しい家族の事情は忘れたが、確か父がおらず母子家庭で貧困家庭の為に、中学時代から新聞配達して生活を助け、芸能界入りした。
X JapanのYOSHIKIも母子家庭だったし、同年代のトンネルズの貴明なども母子家庭であった。
華やかな芸能人も昔は「苦労話」が皆に必ずあった。
しかし、彼らは夢を売る仕事に徹し、それすらも笑顔で吹き飛ばしていた。
今でも多額の親の借金に、もがきながら対処したり切迫してる方など山ほどいる。

自分の時代は「公務員になれば安泰」と言う時代でもあり、私の父は不動産会社を経営していたので浮き沈みがあり、公務員家庭の友人を羨ましく思った記憶がある。
母もずっと働き苦労したのを見て私も中学時代から高校2年まで新聞配達をした。
なので学費は育成会などの奨学金で大学まで行き、親から小遣いや引越し代などを貰った記憶はない。

そういう時代が昭和だった。
良しも悪しも自己責任が浸透していた。
自分が切り開く強い思いの人が成功した。

世代ではバンドブームがあり、自宅にPCや手のひらサイズの携帯電話すら無かった。メディアの1記者の感想がそのまま評価になってしまう時代でもあった。
サザンオールスターズもYOSHIKIのエックスもデビュー当時は世間から馬鹿にされたが、少しづつ実績を積み上げトップに躍り出た。
その時代時代に、出た杭は打たれ、障害や苦難や誹謗中傷がつきまとうのである。それをはねのけ、「実績を積み上げて成功する」時代でもあったのが昭和なのだ。

3.昭和天皇崩御から平成

小渕元首相が官房長官だった時、小渕さんが菅さんの様に「平成」の色紙をカメラに向けて全国に放映された。
この頃は更に宗教ブームでもあった。
幸福の科学も活発であったし、オウム真理教もメディアでもてはやされ、統一教会も桜田淳子の合同結婚式が話題になり日本での活動が活発化した。
山上容疑者の母が統一教会に入信してしまう下地もあったのだ。

また、この頃からフロッピーディスクで1色だけの高額なPCが出始め、その後数年で有名なWindows98により、日本ではMacからWindows主流の時代となった。
ホリエモンのライブドアなども今現在のヒロミが広告塔になり掲示板や情報社会の幕開けでもあった。
上山容疑者の高校時代である。

彼の兄は頭が陥没していて言語が不自由だったとのメディアの取材から、小児性脳腫瘍やらで重度障害者であったのであろう。また母は統一教会に多額の寄付をし、妹共々山上容疑者の家族は貧困だったとあるが、智慧があれば「父が自殺した事により母親が心神喪失して生活できません」と、役所や福祉事務所に行き相談すべきであった。
当然、兄は重度障害者として介護施設に入るかもしれないし、母親と引き離された可能性もある。しかし、負のエネルギーからは回避できたであろう。
自分だけの事を考えて生きられるのだから。

貧しい方に共通するのは、「他人に相談しない」こと。
捨てる神あれば拾う神ありで、最終的には生活保護もあるわけだから、一人で悩むべきではない。
同じ境遇の人は五万と居るものだ。


4.IQとEQ

山上容疑者の高校時代は学力優秀で通称「団長」と呼ばれ皆に慕われていたらしい。
昔し優等生は挫折に弱いのも良く聞く話だ。

昭和の時代の「道徳」や「倫理」「哲学」などの教えは、今でも私の道程となる部分があるのだが、勿論その後の独学での知識の方が多いが、色々な所に入ってみて経験した
自称宗教博士の私は「自捨新生(じしゃしんせい)=崇教真光」や「冬は必ず春となる=創価学会」などを自分に言い聞かせ、苦難を乗り切る智慧が必要である事を知ってるが、騙されていると一方的に母を責め、母と真剣に対峙しなかった彼も想像できる。全てを排他していた彼はその智慧も言葉もどこらからも得ず、「他人のせい」にするしかなかった。今の学校での「学力偏重主義」にも一石投じもの言いたい。
人を思いやる生徒を褒めるなど、心の偏差値も評価すべきである。

IQ知能指数とEQ心の知能指数は全く別もの。

貧しさから哲学が生まれ、自らのEQも高まるのが普通であり、苦しみ悲しみの果てに誰しもが共感する「哲学」も生まれてきたのだ。
「鉄は熱いうちに打て」と言われるほど、キチンと道徳や哲学や倫理教育を受けたのか教えられたのか、今の学力偏重の教育に問題はないのかとも疑ってしまう。

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5.宗教は理解できたから盲信してる人が多い

私は昔から好奇心が強かったので、オウム真理教や統一教会を除く他いくつかの宗教に接してみた経験がある。
私が経験したどの宗教の信者も非常に優しく人間が出来ている印象であった。体裁上では他宗教をそれぞれが「邪教」と呼んでいるが、私にはそんな風には感じなかった。
それぞれに良い点悪い点があるわけで、私個人の境界としては「多額のお布施を要求する」「勧誘を血眼になる」「壺や物をたくさん買わせる」そういったことがなければ「宗教の自由」も世界で認められているので非難すべきではないと思う。
ただ、昔の幸福の科学の刊行誌の中の大川隆法の背後霊診断で、オウム真理教の麻原彰晃に対して「暴れん坊の神様がついている」には笑ったが。

さて、山上容疑者の母親が統一教会だと言う事で、メディアでは「カルト」なる言葉も行きかっているが、カルトとは元来は、「儀礼・祭祀」の意味を表す宗教用語でしかなかったが、最近では「犯罪行為をするような反社会的な集団」を指して使用される 。
その宗教を経験せずして何でもかんでも「カルト」と呼ぶのには私は違和感を覚える。

しかし、どの宗教に於いても「自我を抑制する」法は必ずあり、信者になればなるほど世間というか俗世の考えとは異なる部分があるのは否めない。
問題があるとすれば、「自分を認めてくれた」「心に響き理解できた」の理由だけで、その宗教の本髄や側面、また信者の人となりを観察せずに盲信する人だ。
また逆に、それをせず「宗教は悪だ」と頭から決めつけその宗教だけでなく信者さえも攻撃する無宗教・無神論者も問題だ。

かといって、今回の山上容疑者の「母親が騙されたから安部元首相を標的にした」行為は、「悲劇のヒロイン」並みのナルシストであり、思春期に色々な出来事が重なり、全て誰かのせいとして「恨み」「妬み」「辛み」の無意識が形成されてしまったのであろうが、正常な思考能力またはEQが高けれ起こらなかった事件である。

人を否定する時は、「人を恨めば穴二つ」また「人を呪わば穴二つ」である事を覚悟し、十分その人となりや背景、または裏付けを得て、それでも自分の行為が誰を傷つけ悲しませ、自分のエゴでしかないのかを立ち止まって塾考することが大切である。

ともあれ、安部元首相の「人となり」は政治家の中では群を抜いていたであろう。本人以外の所で問題が起き、心労も想像を得ない程あったであろう。
今はご冥福をお祈りするばかりである。
合掌。


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