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銀ちゃんといっしょ 66

入院生活

胃を3分の2切りました
胃ガンでした
43歳の誕生日を挟んでの入院

自宅から車で三時間ほどの
香川県にある 国立讃岐まんのう公園

広い敷地に四季折々の花が綺麗に咲き
自由に遊べる広い広い芝生の広場があり
花を見ながら敷地を一巡りできる自転車コースや
いろいろな体験のできる棟が点在しています

ただ片道三時間のドライブなら
運転好きの私たちには問題ないけれど
とにかく敷地が広いので
歩く歩く歩く……

だから
ここへ行くのはちょっとしんどいイベントです

でも子どもたちがおもいっきり遊べるし
何よりリーズナブルなので
わりとよく行っていました

その年の10月だったでしょうか

……私はこだわりがないので終わった事の日時を
はっきり記憶していません
胃の手術をしたのも〝確か43歳〟です……

その年の10月にまんのう公園に行きました
子どもたちが
小2と幼稚園の年長さん年中さんの歳の時でした

元々おとなしめな子どもたちなので
そんなに大はしゃぎ!っていうほどでもないけれど
やっぱり前日からウキウキ そわそわ
とても嬉しそうでした

ところが
当日の朝トイレへ行くと…
便器の中がイカ墨になってしまいました
下血です
これはヤバいやつだ…と思ったけれど
ワクワクで準備をしている子どもたちを見て
とても〝中止!〟とは言えませんでした

主人にもあいまいに言ったまま
まんのう公園へ向かいました
いつものように時間の許す限り遊ばせましたが

私は敷地内の全部のトイレに行ったのでは?ぐらい
ずっとトイレに通い続けイカ墨を排出していました
どこかが痛い訳でもなく
ただひたすら便意がありイカ墨が出る状態でした

私がそんな状態なので
往復運転した主人もしんどかったと思います

病院嫌いの私もさすがにまずいと病院へ行きました

個人病院で胃カメラ検査をしました

その医師は大好きな医師で
パソコンばかり見ずに
きちんと体ごと患者の方を向いて
話をしてくださる医師です

〝悪いものがありました〟
〝手術をして取り除けば大丈夫でしょう〟

そうおっしゃいました

出血は胃潰瘍からのものでこちらは問題ない
そのすぐ横に胃ガンができていました
胃潰瘍で下血がなければもっと大きくなるまで
検査をせずに
気がつかないままだったかも知れません

すぐに国立病院への
紹介状を作っていただきました

病院を出て駐車場に停めた車の中から
主人へ電話をしました

〝胃ガンだったよ〟
〝手術でのけたら大丈夫って〟

そう伝えると

〝のけたら大丈夫なんやな〟

〝ほーよ〟(そうよ)

これだけの会話でした

☆☆☆

通常は精密検査のために入院をします
でも私は
仕事と子どもたちを優先しました
借金地獄の時だったし
まだ幼稚園と低学年の小学生の子どもたち

1ヶ月以上も家をあけるのを選択しませんでした

通いでの検査は正直大変でした

胃を空にしないといけない検査
腸を空にしないといけない検査
などなど
入院してなら食事管理がされているので
考えなくて良いのに
日常の家事と仕事をしながらだと
なかなか面倒な事でした

手術日が決まり
その前後合わせて2週間の入院を
お正月を挟んで決めました
主人が休める時を選びました
子育てに関してもかなり常識はずれな義実家を
頼りたくない一心でした

幼稚園の有料の預かり保育なども駆使して
主人もやりきりました
夕食に出るついでにお見舞いに来てくれましたが
いつも不安げな微妙な表情の子どもたちを見るのは
辛かったですね

辛かった…と言いながら
入院生活としてはかなり有意義に過ごせました
有意義といったら変ですが
読書をするなんていう時間が
一時も作れない生活から
1日中自分の事だけしていれば良い毎日です

いったい何冊の本を読んだか…
携帯電話もまだガラケーの時だったので
たいしたゲームもなくネットサーフィンもできず
ただひたすら本を読んでいました

動ける時はベッドにはいなくて
廊下の暖かくて人の来ないポイントを
あちこち移動しながら本を読んでいました

医師の回診の時にも不在で
バッタリ廊下で遭遇して慌てて部屋へ戻る始末
いつも大笑いされていました
〝それだけ元気なら大丈夫!〟と

入院生活2週間の間に

胃を3分の2切除し
17歳から吸い続けていた煙草をやめ
誕生日がきて1つ歳をとり
新しい年を迎え
生命保険の保険金で会社の支払金分を稼ぎ
退院したら
クリスマスケーキとお節料理を作ろうと決意し
退院したら
あれもこれも捨てようと目論み
退院したら
少しゆったりペースで生活しようと思い描き
大量の本を読み続けました

大晦日の深夜
ベッドサイドのテレビをつけていました
年が開けて一番に耳にしたのが
ジェームス・ブラウン…JBの唄うバラード
大好きなJBです

〝今年はいい年になるぞ〟って思いました

退院の日
家族でラーメン屋さんへ行き炒飯を少し食べ
スーパーでいろんな食材を買い
帰りました

退院してすぐ子どもたちの始業の日だったし
会社の支払日もすぐだったので
結局
たぶん
翌日から
入院前と同じ生活が始まりました

クリスマスケーキもお節料理も作りませんでした

もちろん断捨離など考えもしませんでした

私にとって夢のような入院生活は
頭の中からあっという間に消え去り

JBのバラードを口ずさむ事と
少食になった食事と
お腹の傷跡だけが
入院生活が確かにあった事の証となりました

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