見出し画像

安全な安楽死マシン「サルコ(Sarco)」

尊厳死・安楽死という言葉が、医療者ではなく、一般の人々にもだいぶ知られるようになってきたな、と感じています。
そんな安楽死について、X(旧Twitter)のタイムラインで偶然目にした情報にビックリ&興味がわいたため、記事として書きました。

内容は、オーストラリアの非営利団体、エグジット・インターナショナル(Exit International)が開発した「安全な安楽死マシン サルコ」について。
そして、さらに驚いたのは、サルコの開発年が2018年であること。

何年も前に開発されたマシンの話が、なぜ流れてきたのか、というと。
「『サルコ』をスイスで運用するための法的審査を通過した」タイミングだったから。

安楽死の合法化どころか、話し合いもされないままの日本に住んでいると、”安楽死を安全に運用する”という概念が存在すること自体にとても驚きました。
該当国が進みすぎているのか、日本が遅れすぎているのか・・・。

それはさておき。
この内容を読んだ率直な感想は「いよいよSFネタで観てきた『苦しまず亡くなれるマシン』が現実になったかー」でした。

そして、ふと、思い浮かんだことがひとつ。


Netflixで配信されている『攻殻機動隊SAC_2045』の1エピソードである、「PIE IN THE SKY / はじめての銀行強盗」に登場した、おばあさんの姿でした。

エピソード内で、公安9課のバトーさんが(すごい偶然なんですが)銀行強盗の現場に居合わせるシーンがありまして。

『攻殻機動隊』の世界では”義体化”と呼ばれる”体をサイボーグ化する技術”で、大多数の人間が、なんらかの義体化を施されています。
そして、義体化と同じく”電脳化”という技術もあります。
ものすごく雑に説明すると「頭の中にハイスペックなマシン(パソコンやスマホ等)」が入っている状態です。・・・だいぶ雑ですね、スミマセン。

で、頭の中にハイスペックマシンが入っているという事は、現在私たちがパソコンやスマホでできていることは、全てできる。
すなわち。

電脳化されている人は、インターネットバンキング等、オンラインで用事が 済むため、リアル銀行の店舗に行く必要がないという事です。

そのためか、バトーさんが行った銀行内にも若い客はいませんでした。
高齢者ばかりです。
いつの時代も「新しいことはわからん」という拒否権が発動しているんでしょうか・・・。

まあ、「義体化に体質があわない」「宗教の規則で行えない」等、義体化していない人間も存在している描写は過去作であったので、義体化しないのは高齢者ばかりではないとは思いますが。

まあ、この銀行強盗エピソードにでてくる高齢者は、実際に義体化率が低いようでした。
入り口の本人認証システム(義体化できてれば即通れるシステム)で足止めされているのも高齢者ばかりでしたし。

まるで平日の開院直後の病院か老人ホームの様相を呈しています。

あ、ちなみに病院や老人ホームは皮肉ではなく、”私が最初に感じた印象・イメージ”としての感想ですのであしからず。

そんな中、強盗犯が犯行に至った動機やストーリーテーマは深刻なのに。

おおそらく義体化していないおじいさんが銀行強盗と、
現金化した預金レートのせいで額面が足りず大騒ぎしてるおばあさんと、
強盗に乗っかるバトーさんと。

色々な複合要因がからみあい、しっちゃかめっちゃかな状態がコメディのようなノリになってるのが好きで、印象に残っています。


だいぶ話が本題から逸れましたので、おばあさんの話に戻します。
”現金化した預金のレートのせいで額面が足りないおばあさん”のことです。

そのおばあさん、なんのために預金を下ろしたかというと
「安楽死ツアーに行くためだ」って、いうんです。

確かに、私たちの現実でも、いくつかの外国で行われている安楽死ツアー(自殺ツーリズム)は存在しています。

お金と相応の理由、医師の判断や診断書など、いくつかの条件をクリアできれば、安楽死する権利が与えられることがあるようです。


ただ、銀行にいたおばあさんの言動からは、「安楽死を許可されるために満たす必要のある条件」が、お金以外には読み取れませんでした。

まるでふつうの海外旅行のノリで行けそうな気軽さになっていることに驚きつつも、「現代の問題を未来風刺的な話で盛り込む」のは、攻殻機動隊でいくつもあったしな・・・という感想。

そして、将来ほんとうに実現しそうで、ちょっと怖いけど、謎の納得感もありました。

「生きる」権利があるなら「死ぬ」権利も補償してほしいな、とは常日頃から思っています。

だいたいの人間はギリギリの所まで生きようともがくとは思いますが、もがいた後にどうにもならなかったら?どこからの助けも望めなかったら?

そんな絶望感の漂う先に「好きなタイミングで亡くなれる権利」が手元にあれば、「いつでも逝けるし、もうちょっと生きててもいいか」という。
ある意味での生きる理由になるんじゃないかな、と、私自身の身に置き換えて考えることがあります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?