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「拒」

「わがこころの五百羅漢を求めて」(1983年作品)より

 ある朝、友人の訃報を新聞で見てびっくり。享年三十九才、あまりにも若か過ぎた他界であった。

 ほんの半年余りの短い間の友人だったが、木に魅せられた、一人男の生き方を強く印象づけて、彼は逝ってしまった。

 木漆を本業としていた彼は、いつか、「切り取られた木は、その年輪と同じ年数だけ耐える強さがある」と話していた。永年、木を見つめ、木をいとおしんで来た彼は、水の精の強さに圧倒され、振り回わされ、苦闘していた。また、絶対、無駄に木を切るべきでないと云っていた彼は、やさしく、温かい木の本質から自然の厳しさを見つめていたのでしょう。それだけに、木を大切にするこころは人一倍持っていたようです。

 所で、私達が日常使っている割ばしは、年間に、いくら位の木材を消費しているのでしょうか。一人一人が割ばしぐらいと、簡単に考えて、それぞれが無意識のうちに、自然破壊に協力しているように思います。紙と違って、再生のきかない割りばしを、あらためて考えて見る必要が有るように思います。

 外国の人々から、よく、日本ほど緑の多い国はないと云われますが、その緑も永遠ではありません。いま、アマゾン流域のジャングルでは、大規模な都市開発が進められ、緑が年々失われているとのこと。森林の伐採により、最近、雨量が以前より少なくなり、一部では、砂漠化の様子さえ現われて来たと云われています。

 人々の生活の向上と云う美名のもとこのような大規模の開発(破壊)が世界各地で進むと、先ず、気候に影響が表われ、自然の循環作用が破壊され、地球は、早々に老化の一途をたどることになるでしょう。シルクロードのあちこちに見られる、砂漠にねむる古代都市の遺品や、残映に、改ためて、自然の猛威を感じずにはいられません。いまや、当り前に与えられる自然を、当り前に享受する時は過ぎさってしまったのではないでしょうか。

 いま生きる人類のためでなく、先の世代に、この青い地球を手渡すために、緑を造る努力をしなければ、“SF”のように、人類は、地球から拒まれ宇宙に旅立たなければならないでしよう。
 合掌。

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