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「愉」

「わがこころの五百羅漢を求めて」(1983年作品)より

 ある日の午後。昼時に、中華料理店に入って注文を待っていると、四十五、六のご婦人を中心にしたグループが六人、どやどやと、私の横の席に陣取った。席に座るなり、注文するのも忘れて、他の客のことなど眼中にない様子で、しゃべりまくり、うるさいこと。同じテーブルの客は唖然として、食べるのも忘れる程。全くひどいものでした。

 ご婦人たちは、話しを愉しみにしているのかも知れませんが、折角、ゆっくりビールでも飲みながら食事をしようとこころづもりをしていた私にとって、最悪の食事になりました。

 小学生か中学生の子供をお持ちのご婦人達のご家庭では、何んと云って、子供達に躾をしているのでしょうか。人の迷惑を考えず、自分の好きな様に生きなさい、とでも云っているのでしょうか。
 校内暴力や日常繰り広げられている子供達の引き起す事件の背景には、この様な家庭の中で、その芽が培養されている様に思えてなりません。
 人生には、人それぞれ、いろいろな愉しみ方があるとは思いますが、それはあくまで、自分の中での愉しみにしていただきたいものです。

 よく云われることですが、生の根源である、食べ物や、食べることをいかに大切に考えているか、いないかで、その人の生き方が表われるようです。

 子供の頃、ご飯粒を一粒でも残していると、祖母に「お米を作っているお百姓さんの血と汗で、その一粒か出来ているのだ」とよく云われたものです。
 その時は煩い小言と聞き流していましたが、彼女は、一粒のお米を通して、人間の生き方の一端を教えて呉れていたのでしょう。

 戦後しばらく、物の無い時代が続きましたが、現在のような見せかけの豊さより、不足ぎみの方が良かったのかも知れません。それに依り、食べ物の大切さや、食べ物の味の見極めができたように思います。
 もっとも、もう二度と戦争で、食糧危機を起こされるのはごめんこうむりますが。

 愉しみも極度に達すれば哀みを生ずる、のたとえ通り、おしゃべりの愉しみをおさえて、ご注文の食ベ物のこころを解かってやって下さい。ご婦人方。

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