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「わがこころの五百羅漢を求めて」(1983年作品)より

 私の小学生の頃は、すいとんや蒸しいもを随分食べたものですが、食べても、食べても満腹感が得られなかったように思います。
 それに反して、今の子供達は、「しっかり食べなさい!」「もっと食べなさい!」「これは栄養があるから……」等々と母親から叱咜激励されながら食事をするのが当り前のようです。なんと裕富なことでしょう、日本は。
 でも、この狭い地球の半数近くの人々が毎日の食事にも事欠く飢餓生活を強いられていることは、まぎれもない事実です。
 ところで最近、はなばなしく注目を集めている、遺伝子組み変え技術を使って、新種子の開発戦争がある一部の国や企業で繰り広げられているとのことです。或る企業がコ—ンの遺伝子を操作することに依り、従来の種子の倍以上の収獲が可能な「多収獲種子」の開発に成功したのですが、これには裏がありました。それで叹獲された実からは、翌年に蒔く種子が出来ないように遺伝子が組み変えられているのです。それは自然の摂理の否定に他なりません。
 今、世界では、「貪糧を制した国が世界を制す」とまで言われているようですが、一部の国や企業の都合に依って、食糧飢饉が人為的に引き起こされたり、食糧を兵器とされる危険を感じます。一部の国や企業によって人の命脈が握られてはたまりません。
 工業最優先でつっ走ってきた戦後の日本の農業軽視の結果、現在の日本の食糧の実に九割までも輸入に頼っている私達は、いつでも餓と背中合わせにいます。コンピューターも結構ですが、私達の生活と文化の基礎である農業を、いま一度、見直しても良い時期ではないでしょうか。
 ニューヨークや東京を初め、世界各地の大都会のように、土の匂いを感じない所ほど、人々にこころの餓が見られるように思います。「生命は、土に生まれ、土に帰る」と云われる様に、私達も土の恵みを愉しみ、土の暖かさを喜ぶのが自然なことでしょう。自然の摂理は人のこころと同じく、人間の力で変えようとして変えてはならないと思うこの頃です。

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