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「叱」

「わがこころの五百羅漢を求めて」(1983年作品)より

 ある日のあるレストランでの一場面。幼稚園児と小学校一、二年生ぐらいの兄弟が、何かを取り合い、大きな声で口喧嘩。母親は、メニューを見ながら、店員に注文するのに一生懸命。やがて、弟が大声で泣き始めるが、母親は、まだ叱る様子もなく、他の客の迷惑も考えず、メニューを覗くばかり。店員も母親を見詰めて、あきれ顔。全く、開いたロが塞がりません。

 中学生の非行が大きな問題になっている昨今、その母親のありかたに、全て語られている様に思われました。

 日本人は、一人だと非常に慎ましやかで、行儀が良いが、集団になるとその反対の人間に変わる。とよく他の国々の人から聞かされます。また、日本人ほど社会生活のきまりを持っていない人種も珍らしいとも云われます。

 大人が道端で用をたす。唾は、あちこちに吐きほうだい。春の公園では、奇声を上げての酒盛り。道を歩いていて、肩が触れ合っても、言葉のひとつも無し。たばこの吸い殼は、捨てほうだい。等々、数え上げれば切りがありません。外国ではめったにお目にかかれない事ばかりです。シンガポールでは、チリ紙を道に捨てただけでも罰金がかけられるそうです。日本にも、軽犯罪法(社会の叱責)があるにはありますが、その実は、ないようです。

 「親は、子供の鏡」と云われますが、本当に、良く云ったものです。姿、形だけでなく、良い事、悪い事、これ程までに、良く似たものだと想う親子が見られますが、それだけに、親の一挙手一投足が、子供に大きな影響を与えていると思うと、親自身が常に自分を叱る勇気を持たなければと思います。

 日本が戦後から現在まで、貿易立国を旗印に、海外に止めどなく商品を輸出し、世界のあちこちの国から叱られ通しの今、日本だけで地球は回ってはいない事をあらためて、知る必要に迫られています。これからの世界の中の日本を考える時、まず、身近な日常の社会の行儀を身に付けてこそ、世界の人々との会議の場に参加できるのではないでしょうか。

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