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短編小説『笑顔』

心が豊かな人は笑顔も素敵。
 僕はそう思っている。
 ということは、逆を言えば、笑顔が素敵な人は心が豊かということだ。
 
 私は、その人に変えられた。何を変えられたのか。それは、私の心かもしれないし、性格かもしれない、もしかしたら、人生すべてを変えてもらったかもしれない。

「ほらやっぱり、その顔のほうがいいよ。君にはその方が似合ってる。僕は君の笑顔が好きだ」

 私が彼に出会ったのは小学四年生の時だ。彼とは同じクラスになった。私は友達が一人もいなかった。毎日が寂しかった。私は友達作りに失敗したのだ。
 私の通っている学校は小学四生になったら一度だけクラス替えがあった。そのクラス替えで彼と同じクラスになった。私の彼の第一印象は人気者だった。彼の周りにはクラス替え初日からたくさんの人がいた。友達が多いんだなと私は自分の席から遠目に眺めていた。私にはあの輪に入るは無理だな。きっと三年間。その人気者とも関わることもないなと思っていた。だけど、彼は私に話しかけてくれた。こんな根暗で友達も一人もいない私に。
「おはよう。明美ちゃん」
彼が私の席の前にやってきて、私に向かって挨拶をしている。最初に思ったのはなんで?だった。なんで私に挨拶なんか。私は戸惑った。どうすればいいのだろう。誰かに挨拶をしてもらうなんて久しぶりだった。とりあえず、私はとても小さな声で「おはよう」とだけ言って彼の顔を見た。彼は満足そうな笑顔を浮かべて私の席から離れて自分の席に戻った。私は彼の後姿を目で追った。彼の席には何人か友達が待っていた。わざわざ私のことろにやってきてくれたのか。何だか少しだけ、心が温かくなった。
 それから、次の日も彼は私に挨拶をしてくれた。私は昨日より少し大きなな声で挨拶を返した。そんな関係が何日か続いた後、私は彼に聞いてみた。
「どうして、私に挨拶してくれるの?」
「え、だって、明美ちゃんが暗い顔してたから」
そんなに私、暗い顔してただろうか。確かに自分でも根暗だとは思っている。だけど、顔に出さないようにはしていたつもりだった。
「顔に出てるよ。寂しいってね」
彼はそう言うと、自分の席に戻っていった。彼はなんでいつも楽しそうなんだろう。私は考えた。そして、彼のことを目で追うようになった。
 さらに、一カ月が過ぎた。私は相変わらず友達作りに失敗していた。教室では一人ぼっちだった。だけど、去年までとは違う。彼が私に毎日、挨拶をしてくれる。そして、たまにお話もする。いろんな話。彼がやっている習い事の話とか、彼の友達の話とか、彼の家族の話。私は彼の話を聞くことが楽しかった。
「たまには、明美ちゃんの話も聞かせてよ」
彼がそう言ってきた。でもあたしには彼を笑わせてあげれる話なんてなかった。
「でも、私面白い話なんてないよ」
「え、面白い話なんてしなくていいんだよ。ただ、明美ちゃんの話が聞きたいだけなんだから」
彼はそう言った。私の話。私は一体どんな人間なんだろうか。話すことなんてあるだろうか。私はしばらく考え込んだ。そのことに彼が気づいたのか、
「また明日聞かせてよ。それまでに考えといてね」
と言って、私に手を振って自分の席に戻った。私はその日一日考えた。自分のことを。
学校から帰った後も、夜、眠りにつく前もずっと考えた。だけど、考えれば考えるほど、私は空っぽだってことに気づいた。虚しくなった。だから、私は考えることをやめて眠った。
 次の日の朝。彼が私の席にやってきた。
「どう?明美ちゃんの話。聞かせてくれる?」
彼は笑顔で私に聞いた。私は下を向いて少し頷いた。
「どんな話?」彼の顔が見えなかった。きっと彼は興味津々な顔で私のことを見ている。どんな話をしよう。私は頭が真っ白になっていた。
 そして、気がついたら彼はいなくなっていた。私はどんな話をしただろうか。その日一日はそのことで頭がいっぱいで、授業が頭に入ってこなかった。だから、私は今日も考えた。出けど、結果は昨日と同じ。今日は金曜日だったので、明日は休みだ。私は話のネタをさがすために外に出ようと思った。なんでこんなことを考えるようになったのだろう。きっと彼が、私に友達のように接してくれるからだろう。だから、彼の期待に応えたくなった。私は久しぶりに休みの日に外に出るということをした。
 土曜日は気持ちがいいほうほどの快晴だった。その天気にさすがの私も少しだけ心がワクワクした。さて、どこに行こうか。私はとりあえず歩き出した。なんの目的もなく。
 しばらく私は商店街を歩いた。ここを歩くのはいつぶりだろう。私は自分の記憶を思い出していた。けど、思い出せなかった。きっとそのくらいこの場所に足を運ばなかったのだろう。私は左右をキョロキョロと視線を動かしながら商店街を歩いた。ふと、いい匂いが私の香ってきた。この匂いは……。
 私はその匂いのする方へと歩みを進めた。そのお店は道の角にあった。私はそのお店の中に入った。初めて入ったそのお店は、パン屋さんだった。私は棚に並べられたパンを見てまわった。どれもおいしそうだった。あんパン。ソーセージパン。メロンパン。たまごサンド。どのパンも見てるだけでよだれが出そうだった。私はお金を持ってきていた。何かあったらいけないからと、お母さんが千円をくれていたのだ。私はそのお金を使ってパンを買うことにした。
 私は、メロンパンとたまごサンドを買ってお店を出た。そして、パンを食べれるところを探し歩いた。近くに公園を見つけた。私はその公園のベンチに座って、パンを食べることにした。初めに食べたのはたまごサンド。たまごがたっぷりと入っていて少し塩味がきいていてとても美味しかった。でも、私はそれだけでおなか一杯になってしまった。私はメロンパンを家に帰ってからおやつに食べようと思った。
 私はしばらくそのベンチで休憩をした。晴れ渡った空を眺めながら、今日のことを彼に話そうと思った。十分くらい休憩して、私は家に帰ることにした。来た道とは反対側の道を通って私は家に帰った。
 家に帰り、リビングのソファーに寝転がっているといつも間にか眠ってしまっていた。
目を覚ますと、お母さんが私の前に座てテレビを見ていた。
「お母さん、帰ってきてたんだ。おかえり」
「あら、起きたのね。ただいま」
「うん」
「お散歩はどうだった?」
お母さんが聞いてきた。お母さんは私の話を笑顔で聞いてくれた。
「そっか~。楽しかったんだね」
そうか。これが楽しいってことなのか。私は初めて楽しいという気持ちを感じた気がした。本当は何度も感じているはずなのに、いつの間にか心の奥にその感情をしまいこんでしまっていた。
「うん。楽しかった」
私はそう言って頷いた。彼にこの話をするのが待ち遠しかった。早く月曜日になってほしかった。でも、休みはもう一日ある。明日も何か彼に話せる話ができるかな。
「じゃあ、ご飯にしようか」
そう言われて思い出した。私のメロンパンはどこにいったのだろう。
「お母さん。メロンパンは?」
「冷蔵庫に入ってるよ」
私はホッとした。
「ほら、お皿の準備して」
私は、お母さんに言われた通り、食器棚から二人分の食器を出して机に並べた。二人で夕飯を食べ二人でお風呂に入ってると次第に眠くなってきて私は自分のベッドに行った。
 私は今日のことを頭の中に思い出していた。なんだか冒険に出たみたいだった。知らないパン屋さんでパンを買って始めていく公園でパンを食べる。たったそれだけなことなのに、なんだか少しだけ大人になった気がした。それもこれも、彼のためだった。彼に私の話を聞かせるために私は今日小さな冒険に出た。喜んでくれるかな。笑ってくれるかな。私は、そんなことを考えながら、眠りについた。

 日曜日。天気は昨日と打って変わって、雨だった。空は灰色の雲で覆われていた。私の気分も昨日とは違ってどんよりとしていた。天気一つで気分も変わるのか。そう思った。今まではそんなことを思ったことはなかった。空を見ることすら少なかったか、どんな空でも気分が一緒だったから。だけど、彼と出会ったから気分が前と変わった気がする。どう変わったのかは自分で説明するのは難しいけれど、天気一つで気分が変わるくらいには変わった。
 仕方がないので、私は今日一日家で過ごそうと決めた。あの空は、きっとそのうち雨が降ってくるだろう。私は昨日買ったメロンパンを冷蔵庫から出して、電子レンジで温めて朝ご飯として食べることにした。本当は昨日のおやつとして食べるつもりだったけど、私は夕方くらいまで眠っていて、おやつの時間に食べ損ねた。
「おいしい」
 誰もいない一人のリビングで私は呟いた。お母さんはもう仕事に仕事に行っている。時刻は午前八時。お母さんの仕事は土日でも関係なく仕事があるお仕事らしい。今日は休日出勤というやつだった。私がもう少し小さかった頃は寂しくてよく泣いていたけど、今はもう慣れてしまって何とも思わなくなった。
 私はメロンパンを食べ終えると自分の部屋に戻って宿題をすることにした。宿題をすべて終わらせると私は少しだけお昼寝をすることにした。私は唯一この一人の時間が好きだった。誰にも邪魔されず何も考えなくてもいいこの時間が。
 私はお昼過ぎまで眠っていた。リビングに下りて外を見てもまだ、空は曇っていた。どうしようか。お昼にして私はやることがなくなってしまった。友達の一人でもいればこういう時に遊んだりするのだろうけど、私には一人もいなかった。とりあえず、私はお昼ご飯を食べることにした。冷蔵庫を開けて、お母さんが作り置きしてくれているお昼ご飯を食べた。
 それから、私は何をしていただろうか。気がついたらお母さんが家に帰ってきていた。私はリビングに下りていった。
「おかえり」
「ただいま」
お母さんは笑顔で言ってくれた。お母さんはどんなに疲れていてもいつも笑顔だった。私はお母さんの笑顔が好きだった。なのに、どうして私は笑えなくなってしまっただろう。いつから私は笑うことを忘れてしまったのだろう。お母さんにも笑顔を見せていないのではないだろうか。そう思ったら、なんだかとても心が痛くなった。でも、私は笑顔の作り方を忘れてしまっている。どうしたら、思い出せるのだろうか。
「ご飯にしようか」
「うん」
私はご飯の準備をお母さんと一緒にした。
 それからは、ほとんど昨日と同じことを繰り返した。お母さんと一緒にお風呂に入って寝た。

 そして、待ちに待った月曜日。私はドキドキして自分の席に座って彼が来るのを待った。
「おはよう」
来た。彼が来た。私はそっと顔をあげた。彼が目の前に立っていた。私はいつもより大きな声でおはようと言った。
「お、今日はなんか元気だね」
彼が笑顔でそう言った。
「なにか、いいことでもあった」
いいこと。確かにいいことなのかもしれない。彼と話せていること。それだけ。私にとってはそれだけでいいことだった。でも、そんなこと言えない。だから、私は頷くことだけした。
「そっか」そう言うと彼が私の席から離れようとした。
「待って」私は勇気を振り絞ってそう言った。
「何?」彼が立ち止まって、私の方を振り返った。
「あ、あの。話。話考えてきた」
私がそう言うと彼は笑った。
「考えてきたって。そっか、じゃあ聞かせてよ」
私の席の前に彼が戻ってきた。そして、私は土曜日の冒険のことを話した。
「へ~。パン屋さか。俺も行ったことないな。土曜日。楽しかったんだね」
彼がはにかんだ。
「え?」
私は思わず聞き返してしまった。
「だって、明美ちゃん。笑ってるから」
「え」
私が笑ってる。それは、本当だろうか。笑顔の作り方も忘れてしまっているのに私は笑っているのだろうか。
「いい笑顔だ。そっちの方がいいよ」
「え」
私はこの言葉しか出せなくなっていた。私の心の中にいろんな感情が湧き上がってきていた。困惑。驚き。喜び。不安。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
「じゃあね」
そう言うと、彼は自分の席に戻っていった。
 私が笑っていた。本当に笑っていたのだろうか。でも、彼がそういうのなら間違えないのかな。鏡を見たかった。私はどんな笑顔をしていただろうか。彼のようにまぶしい笑顔を作れていただろうか。久しぶりに笑顔になった私はちゃんと笑えていただろうか。


 それから、少しばかり時は流れた。今では私は笑顔を普通に作れるようになっていた。お母さんんも褒められた。うれしかった。でも、一つだけ悲しい出来事が起こった。彼が遠くに転校してしまうことになった。私がそれを聞いたのは、夏休み。彼と一緒にパン屋さんに言ったときのことだった。あの公園で二人ベンチに並んでパンを食べているときに唐突に言われた。
「おれ、転校することになった」
「え……」
私はその言葉を頭の中で繰り返した。転校……。彼がいなくなるってこと。そう思ったら私は悲しくなってきた。
「本当なの?」
「うん」
彼は何も気にしてない様子だった。いつもと変わらない笑顔でそう言った。
「そっか」
私だけが悲しかった。私はたぶん彼に恋をしている。
「泣かないでよ」
私はどうやら自分でも気づかないうちに泣いていたようだった。
「ねえ、笑てよ」
彼がそう言った。無理だよ悲しくて無理。
「ねえ、知ってる。笑顔ってさ。凄いんだよ。笑顔ってさ、人を変えるんだよ。俺はそのことをおばあちゃんに教えてもらった。俺も昔は明美ちゃんみたいに暗い子だったんだよ。でもね、毎日笑ってるとね。自然と楽しいことが増えていった。自分自身が明るくなっていくのを感じた。笑顔ってね。幸せの象徴なんだって。これも、おばあちゃんから教えてもらった」
「幸せの象徴……」
「そう。だから、俺は毎日笑顔でいることを心がけるようになった。そうしたらさ、本当に幸せになった気がする。友達もたくさんできたし、毎日が楽しかった。家族ともよく話すようになった」
「そうだったんだ」
彼が私と同じ暗い子だったなんて想像できない。でも、笑顔によって変わったってのは分かる。だって、私も変わったから。彼が私に笑顔を取り戻させてくれたから、今こうして彼と一緒にいることができている。だから、笑顔によって人が変わるってのは本当だと思う。
「それにさ、俺、人の笑顔が見るのが好きなんだ。自分は笑わなかったくせに、昔から人の笑顔を見ることは好きだったんだよ。でも、自分でも笑うようになって分かった。誰かの笑顔を見るのってうれしいことなんだな~って。俺の笑顔を見ている人たちはみんな嬉しそうな顔をしている気がする。だから、俺はできるだけ笑顔でいようって思った」
私は静かに彼の話を聞いた。
「だから、明美ちゃんにも笑顔になってもらいたかった。こんなこと言ったら、傲慢だけどさ、俺の笑顔を見て嬉しくなってもらいたかった。あの頃の俺と同じ
顔をしていた明美ちゃんを助けたかった。だから、俺は君に声をかけた」
「そうだったんだ」
私は、ますます涙を流した。
「うん。だから、明美ちゃんの笑顔が見れてよかった。もう、これで最後かもしれないけど、君の笑顔が見れてよかった。だから、もう泣かないで、最後くらい笑ってよ」
私は彼の顔を見た。彼は今にも泣きだしそうな顔で笑っていた。
 ああ、彼は本当にどんな時でも笑顔なんだな。悲しいとき。嬉しいとき。苦しいとき。楽しいとき。彼はきっとどんな時でも今と変わらない素敵な笑顔をしているんだろうな。私はその想像が簡単にできた。
 私は笑った。今までにない最高の笑顔を彼に送った。きっと泣き顔を混ざって可愛くない顔になっているだろうけど、それでよかった。彼が一番見たかった顔を最後にプレゼントとして送りたかった。
「ありがとう。ほらやっぱり、その顔のほうがいいよ。君にはその方が似合ってる。僕は君の笑顔が好きだ」
彼は私にそう言い残すと、さよならも言わずに私の前から姿を消えた。学校が始まるともう彼は転校していた。私は悲しかった。寂しかった。
 でも、私は笑った。彼が好きといってくれたこの笑顔を私は壊したくなかった。

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