見出し画像

母が亡くなった5年前の自分に。

おはようございます。

今日は少し自分自身のことについて書かせていただこうかなと思います。

2015年10月30日。
わたしが19歳の時に、大切な母が亡くなりました。

あれから5年が経ちました。

今日は母の命日です。

でも、これから書こうとしているのは悲しい話じゃなくて、いますごくあったかい気持ちでいっぱいなので、そのつもりで最後まで読んでいただけたらうれしいです。


母が亡くなったのは癌でした。

わたしが高校1年生の時にそれがわかって、5年生存率もあんまりないと言われて、わたしが20歳になるまで見届けられないかもとわかって。

約4年間、闘病しました。

ただこう書くと、家族でカウントダウンを切実に過ごした、みたいに聞こえるんですが、全然そんな感じではなくて。

「大事な話があるから・・・」なんて言われた記憶もなくて、知らない間に、なんとなく母が癌だとわかって、なんとなく大変そうだとわかって、なんとなくずっと一緒にはいられないんだろうな、と思ってて。

だんだんと気づいていった、みたいな感じです。

母は看護師でした。だから自分のことはすごくよくわかってたと思います。


大学に入ってからは、わたしは音楽活動に夢中で、路上ライブをしたり、コンサートに出たり、いろんなことをしていました。

19歳の時は、「CDを作るぞ!単独コンサートをやってみるぞ!」と思って、ほとんどそのことばかりやっていました。

10月10日。

その日はレコーディングで、バタバタ家を出ようと、「いってきます!!」と勢いよく階段を降りて靴を履いた時、なんか母の顔を見て言ったほうがいい気がして、わざわざ靴を脱いで「いってきます!」と言いにいきました。

よく考えると、あれが母が家にいるのを見た最後でした。

レコーディングが終わって夜中に家に帰ると、誰もいなくて。なんとなく怖かったけど、その日は普通に寝て、次の日起きると、父が家にいました。

そして、「今日、明日がもう山場かもしれない」と。

ずっと一緒にいられないとは思っていたけど、そんな明日のことだなんて思っていなくて。泣きながら、どうしたらいいのかわからないまま、病院へ行きました。

すると、母が普通にベッドに座っていて、「ああ、来たん?」みたいなテンションで、わたしは拍子抜けしてしまって。

「あんたは自分のやることやりなさい」と言われて、あまりに母が普通すぎて、結局その日はレコーディングに行きました。

そして、次の日からはもう学校も音楽活動も止めて、病院にいることにしました。ただ、10月30日に自分で企画したコンサートがあって、すでにチケットも100枚くらい売っていて。

「もしかすると、お葬式やら色々終わって、このコンサートの頃にはちょうど落ち着いてるかもしれないな」と思ってました。

まさかその日まで母が見届けてくれるとは思っていなかったけど。

結局、病院には20日間いました。

正直、何を話したのか、何を考えていたのか、その20日間の記憶はあんまりありません。最後に母と何を話したのかも、それがどんな感じだったのかも、思い出せなくて。

でも、すごく穏やかな時間が流れていたなあと思います。

ただ、「次の春は笑えるのかなあ」

自分にとって大切な人が目の前でいなくなった時、自分がどうなってしまうのかわからなくて、そんなことを本気で思ったのを覚えています。

でも、その20日間、毎日誰かがわたしのお見舞いに来てくれました。幼なじみや家族や、中学校の友達や、高校の友達や、大学の友達。

みんな、病院にずっといるわたしの方を心配して、なんなら母の見舞いより多かったんじゃないかってくらい誰かがずっと隣にいてくれました。

すごくギリギリの状態だったのに、修学旅行みたいな楽しい思い出になってます。

そして、母はびっくりするくらい粘り強かった。

検査の数字で見ると、なんでいま普通に話したり食べたりできてるのかわからない状態だったけれど、まさかまさかと思ううちに、20日が経ちました。

そして、10月30日。

この日だけはステージに立とうと決めていたので、もうその時はほとんど母は意識がなかったけれど、病室からライブハウスのリハに行きました。

15時くらいに病室をでて。

あとあと聞くと、その2時間後くらいに母は息を引き取っていました。

でもお医者さんが、わたしが戻るまで「診察」を待ってくださっていたので、お墓には「22時58分」と刻まれています。

無事コンサートが終わって、病院に帰って、きれいに化粧されていた母に、コンサートでもらった花束をあげました。

病院から家に向かう車の中で、曲がり角をまがった時、隣で寝ている母がごろんと転がって。

その時、「あ、もうここにいるのはお母さんじゃないんだ」

そう思ったのを覚えています。

お葬式も家の片付けも。みなさんに助けてもらって、淡々と終わって、11月半ばくらいからは大学に行きはじめて、音楽も再開して、12月には単独コンサートをしました。

立ち止まったら、悲しいことの方が大きくなってしまうから。

とにかく歩いていました。

父とわたしはよく似ていて、誰かの嬉しいことや悲しいことに、自分のことのように気持ちを持っていかれるので、ふたりで一緒にいるのがきつかった。

がんばって、なんとか、わたしはわたしで立つから。

だから、まだ寄りかからないで。もうちょっと待って。

悲しいことを一緒に悲しいって言いたい、泣きたいんだろうなあと感じていたけど、いっぱいいっぱいで、そんな風に知らんぷりするので精一杯でした。

その翌年も、おばあちゃんが亡くなったり、もともと身体が弱い父が心臓病の手術をしたり、その時付き合っていた人と別れたり。

なんでこんなに心がちぎれそうになることばっかり起きるんだろうなあ。20歳ってきついなあって思ってました。

そんな時、いまの音楽の先生に出会って、東京に行きました。

「一人でも立っていかないと」

そんな意識が強くて、一人で家を決めて、引越し手続きをしました。東大に行くことも、ほぼ決まってから言いました。

うちの家系は、東大どころか、そもそも大学に行っている人もいないような家だったので、みんなびっくりして(笑)

でも、昔も今も、わたしのやりたいと言ったことを絶対に否定しない両親だったので、応援してくれています。

そして、東京に来てからはずっと別の世界を生きているような気分になっています。もちろん昔からの友達も家族もいるし、地元にも帰るんですが。

でも、いまのいろんな状況に、「母がいた」とは思えないんです。

東京に来てから、母のことを思い出すことはほとんどなくて、でももちろん忘れているわけではなくて。

パラレルワールドというか、あの時までの世界はあの世界で、今はまた新しいちがう世界を走っているような、そんな感覚です。

自分のやりたいことに、すべての時間や気持ちを使えることがどれだけ幸せなことか。ましてやそこに一緒に走ってくれたり、応援してくれる人がいるのがどんなに恵まれていることか。

自分ではどうしようもできないことに心が引っ張られてしまう時があったからこそ、本当にそのありがたさを感じてます。

ただ、それでも時々、欲張ってしまうこともあって。
母がいたらどうだったかなって考える時もある。

いまの歌を聴いたらどう思うかなあ。
東大行ったってきいたら、なんて言っただろうなあ。
一緒にドイツの音楽とかアートとか、いっぱい浴びてみたかったなあ。
西野さんの作るエンタメこんなおもしろいんだよって教えてあげたかったなあ。
たぶんVRなんて見たことないから、見せてあげたかった。実はいま作ってるなんてきいたらなんて言っただろうなあ。

絶対に交わることはないってわかっているんだけど、時々そんな風に思ってしまって、ちょっと寂しくなります。


母と病院で過ごした日の夜。

いろんなことが不安で、母に聞きました。

「本当に困った時、辛い時、どうしたらいい?」

すると、母は一言こう言いました。

「大丈夫。みんなおる。」


あの日から5年間。
たくさんの人がわたしの人生に登場してくれて、いろんな世界を教えてくれて。誰ひとり欠けても今のわたしはいないし、そうやってみんながバトンをつないできてくれたから、いまこうして笑って毎日過ごせるんだなと思います。

「大丈夫。みんなおる。」

その言葉が本当か確かめたくて、その言葉を本当にしたくて、とにかく必死に歩いてきました。


10月30日、コンサートを終えた時に、「ああ、わたしはこうやって生きていくんだなあ」

そう思いました。

血が繋がっている。生まれた場所が同じ。
そんなことで「いつでも、絶対に変わらずそこにある」ものなんてなくて。

だから自分でどんどん場所を作ってかなきゃいけない。

こうやって音楽と一緒にいれば、エンタメを作っていれば、そうやって場所を作っていける。

そう思いました。

今も、ご飯のあと、打ち合わせの終わり。そういう何気ない瞬間に、「ああ、もうこの人とは一生会えないかもな」と思うことが多々あります。

結局みんな一人で、立っていかないといけない。

でも、だからこそ「みんな」と一緒にいる。

いまわたしの周りにはたくさんの人がいてくれて、でも、この人たちとももう、すぐに一緒にいられなくなってしまうんだろうなあ。

そう思ってます。

だからこそ、一緒にいられる時間を大事にしたいなあと。



あの時から、簡単に涙が出るようになりました。

母が亡くなった直後は、泣いてしまうと自分がどこまでいってしまうかわからなくて、なかなか泣くのが怖かった。

でも、最近はよく泣きます。

誰かの前で泣けるってすごく幸せなことだと思っていて、涙を流せるのは、心をゆるめても戻ってこれる、大丈夫ってわかってるから。誰かがきっと受け止めてくれると思えているから。

そう思うと、泣いてる途中にまた変に感動しちゃって、2倍泣く、みたいなことがよく起きます。

目の前で泣かれた人からしたら、すごく迷惑な話です(笑)
でも最後の方はいつも幸せの涙です(笑)


ここまで出会ってくれたみなさん、いま一緒に時間を過ごしてくれているみなさん、そして、これから未来でわたしを待ってくれているみなさん。

本当に、本当に、ありがとうございます。

そして。

19歳の自分に。

あの時がんばってくれてありがとう。踏ん張ってくれてありがとう。
音楽を、エンタメを選んでくれてありがとう。

そう伝えたいです。

そして、

未来はめっちゃ楽しくなるから、大丈夫

と。



6年目の秋。今日が終わったらまた、新しい季節がはじまります。

これからどんな楽しいことが待ってるんだろう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました😊






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?