日記を書いてみる。
おはようございます。
昨日ふと散歩に出てみたら、水色とピンクが混じったような、紫のようなオンジのような水彩画の空に出会って、とてもうれしいきもちになりました。
ここ最近は、すごくエネルギッシュで熱いnoteが続いたので、今日はちょっぴりおだやかでささいなことを。
実は、この世界がコロナショックになってから、ひとつはじめたことがあります。
それが、日記を書くことです。
日記と言っても、眠くて寝てしまったり、忘れていたりする日もあるので、毎日ではありません。でもできるだけ、たった100文字でも、その日経験した世界について言葉にしておこうと思っています。
日記をはじめた約1ヶ月前、わたしはこんな風に書いていました。
日記を書くなんて何年ぶり。というか、まともに書いたことないかもしれない。
毎日文章を書くということをしていたことはあるけれど、どちらかというと「自己実現ノート」みたいな感じで、『未来』を言語化していくものだったから、今日起きたこと、感じたことを、そのままに記録してくのははじめてかもしれない。
でもまさか、日記っていう文章にこんなに価値が出る日が来ると思わなかった。
地震だったり、戦争みたいに、ある日揺れが起きたり、誰かが何かを宣言して非日常に突入していくんじゃなくて、じわじわ毎日が少しずつ動いて、気づいたらこんな世界になっている。
そんな気分。
『日記』に辿りついた理由は、ここに書いているように、
地震だったり、戦争みたいに、ある日揺れが起きたり、誰かが何かを宣言して非日常に突入していくんじゃなくて、じわじわ毎日が少しずつ動いて、気づいたらこんな世界になっている。
そう感じているからです。
「気づいたらこうなっている」世界の中で、何が起きて、それをどんな風に捉えているかをただ記録していくことは、「記録」以上の価値があると思いました。
(株)NISHINOでインターンをはじめた3月から、このnoteも毎日書いているので、そういう意味ではこれも一種の日記なのですが、ここに文章を書くときは、「誰に向けて書くのか」「何を伝えたいのか」を考えて書くので、やっぱり日記とはちょっとちがいます。
むしろこのnoteでは、「起きたこと」よりも「考えたこと」、「出来事」そのままではなくて、そこから生まれた「思考」を書くように意識している。
なので、あらためて出来事をつらつら並べていく日記を書くと、新鮮なきもちになります。
それに日記だと、結論のない感覚的な話が書きやすい。結論に向かって文章を組み立てていくのではなくて、スクラップブックを作るように、その日感性がふれた時間や空間を切り取って、並べていくことができる。
街の音とか、花の匂いとか。
そういったささいな日常の中に隠れている「世界」を掘り出すことができるのかもしれないなと思いました。
そして、いまこのnoteを書きながら気づいたのだけれど、「言葉」にこだわらなくても、日によっては、写真だけ・音だけの日記もあってもいいんじゃないかと。
だってわたしたちは、24時間・365日、『ことば』で世界を切り取ってるわけじゃないし、もっと五感や感性を使ってるはずです。
写真を撮ったり、映像を撮ったりされている方が、どんな風に日々世界をみているのか、お話を聴いてみたいなと思いました。
そんなわけで、今日も日記を書いてみます。
みなさんは、日記を書いたりしますか?
今日も一日、がんばりましょう〜!!
------------------------------------
【みんなの夢幻鉄道】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?