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オーストリアに来て感じているいろんな変化を感じながら。

なんとなく誰かのnoteを読んでいたら、ひさびさに自分も歌うように言葉を紡ぎたくなったので、『✏︎投稿』ボタンを押してまっさらなnoteをひらいてみる。

外は突然雨が降り出した。

リンツの天気は山に囲まれているので予測できない。

あっちに行ったり、こっちに行ったり、予測できない。
でもなんだかそれが心地よい。

晴れていれば泳ぎに行けばいいし、雨が降れば予定を変えればいい。リンツに来て1ヶ月、いろんな人と遊んだけれど、みんないつもそうやって予定を決めている。

なんだかそれが心地よい。

いまは、バルコニーに座って降り出した雨を眺めながら、返ってこない連絡を待ちながら、このnoteを書いている。

あ、雷が光った。

リンツに来てから1ヶ月、総じてすごく楽しい日々を送らせてもらっているのだけれど、なんだかとても健康になった気がする。

そういうと、東京にいた時健康じゃなかったのか、という話になるけど、もちろんそんなことはないのだけれど、「健康」だと思っていたその外側にもっと緑々しい世界があった、そんな感じ。

オーストリアの夏は日の出が早くて日の入りが遅いので、早寝早起きになった。毎日、2時3時までnoteを書いていた去年に比べると身体はすごく元気になった気がする。

あ、また雨が強く降り出した。
鳥の声もかき消されていく。

雫の音が耳に心地いい。

ただ、身体の健康というよりも、心がまんまるく自由になっているというか、いろんな鎖が剥がれ落ちているというか、「好き」「楽しい」と思う瞬間が増えた。

というより、「好き」や「楽しい」をまんまるくそのまま100%に感じていいんだな、と思うようになった。

もともと人がすごく好きだし、自分のことも好きだし、小さい頃から周りの人には本当に恵まれてきたと思っている。

ただ、なんだか今はそれをさらに超えて、なんというか、「基本的に『好き』で構成されている」みたいな、なんてハッピー野郎だと思うような、でもほんとにそんな感覚になっている。

今まであまり意識的に言葉にしてこなかったけれど、日本で「女性」として生きる中で少なからずいろんな息苦しさを感じていたんだなあと思うようになって、

小学校の頃からトレーニングされる、いわゆる「女の子らしさ」みたいな的にハマらない自分の部分が、自分はすごく自分らしくて誇りに思っているけれど、でもやっぱり「誰か」の目を感じていたんだなあということに、日本を離れてみて気がついている。

もちろんオーストリアが男女平等天国か、と言われるともちろんまだまだ難しいところはあるだろうし、この場所で生まれ育った人たちにとっては、その中で感じている息苦しさはあると思う。

でも、いま「Stranger」としてぽっとこの地に降り立った自分にとっては、知らない間に縛られていたいろんな規範からだんだん解き放たれているような気分で、居心地の良さを感じるたびに、居心地の悪さを感じていたんだと気づいて驚く、みたいな。

そんな小さな発見を日々繰り返している。

「ああ、自分はやっぱり『人』が好きなんだなあ」ということをあらためて実感しているし、自然も音楽もすぐそばにあって、道を歩く時も目を伏せずに、動いた心は言葉にしていいんだなあと、触覚の解像度が上がるようなそんな感じ。

だいぶ雨も雷も強くなってきたのでそろそろnoteを終わりにして、家の中で続きを読もうかなと思います。

明日は晴れるかなあ〜

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