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2月のお裾分けを


人間は皆、唯一無二であり、特別なのだけれど、それを特に実感するのは、誕生日月だと思っている。つまり、今これを書いている人間の誕生日月、2月をいつもより少しばかり、感じてみたいと思う。


「冬生まれなんだけど、寒がりなんだよね」という言葉を一体人生で何度口にしたのかわからない。そして、その言葉が持つ意味も、自分ではわかっていない。冬が嫌いだということを遠回しに表現しながら、自分が生まれたことを、頭の片隅で何度も悔いていたのかもしれない。

それなりに、誕生日パーティーみたいなものを開いたこともあった。食べたものも、貰ったものも何一つ覚えていないけれど、母が気にかける子は、髪が長くて、大人しくて、スカートを履き、ピアノが上手な子だった。

髪の短い、スカートが嫌いな、ピアノを辞めた私は、中学3年生の時、父親の財布から三千円を盗んだことがある。自分のことをいじめていた人間の誕生日会へ持参するプレゼントを買うお金がなかったから。日曜日の昼に、リビングで寝転がっている父を横目に、財布に手を伸ばしたんだ。千円くらいの物だと、笑われるから。だから、千円の交通費と、二千円のプレゼント代を握りしめた。

その日中にバレて怒られたが、そんなことどうでもよかった。自分の世界では、もう2度と、自分がいじめを受けないように生きることが何よりも重要だったから。そんな痛みを知らない両親の方が悪いと思っていたし、自分がこんなことをしてまで、生きていかなければならないのは、彼らの所為だと本気で思っていた。


私は長い間ずっと、彼らに、君たちが愛し合っていた頃などないと、子どもを産んだことは間違いだったと、君たちの所為でこんなに苦しいのだと、示したくて仕方がなかったんだ。彼らが間違っていて、私はその犠牲者で、それで、だから、お金を盗むことなど容易くできてしまう、でもほら、ちゃんと叱れないでしょう?自分たちだって、私の人生の加害者なんだからと。

そうやって、心の内では恨みという名の炎が燃えたぎり、いつしか灰に変わっていた。荒んだ心は彼らの謝罪で潤うものでもなく、生まれてきた自分を責め立てた。


あの時の三千円を返したら、誕生日に「おめでとう」の一言くらい届くようになるのだろうかと、涙を流した夜もあった。どうでもよくなったり、どうでもよくはならなくなったり。


ゆらり、のらり、

ふわり。


こんなことを書けるようになった自分がいて、母の幸せを願う自分がいる。どこにいるかもわからない父に、どこかで会えたならば、あの時の三千円と、12年の利息分のご馳走をしようと思っている自分がいる。

簡単じゃなかったよね。
生きることも。
彼らの所為ではないと認めることも。
それでも尚、生きることを選ぶことも。


愛が欲しいと嘆いていた自分に何年もかけて何度も会いに行ったよね。

今はもう、こうして、自分の人生の一部として見れるし、書けるし、語れるようになったんだ。何度も辛い2月を過ごした自分へ。


愛しているよ。
これからもずっと。




同じ、二月生まれの方がいたら、一緒にお祝いしましょう。
おめでとう、と、自分にたくさんの言葉かけましょう。

そして、それ以外の方がいたら、あなたのお誕生日は特別だと何度も
伝えさせてください。

どんな人生を過ごし、どんな誕生日を過ごそうとも、かけがえのないあなたという存在をあなたが違和感なく受け入れられますように。


アスファルトに溶けていく雪のように、
生きる上での苦しみが辛さが、ゆっくり、確実に、目の前で、癒されていきますように。


そんな願いを込めて。




p.s しんしんと降る雪という表現が好きで使いたかったのですが、使うタイミングがありませんでした。悲しい。

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