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自分の機嫌を”アウトソーシングしない”生き方

「まあやさんって、誰かにイラッとすることないんですか?」
年下の友人と寿司ランチをしていたとき、こんなことを聞かれた。

イラッとしたこと……。あ、ある。

サランラップが本体に巻き付いちゃって、なかなか剥がれないとき。あれは心底チッて思う。

「そうじゃなくて!”人”に、ですよ!

ちょっと強めなツッコミが入った。わたしがあまりに的外れな回答をしたせいか、逆に友人をイラッとさせてしまったようだ。

誰かに、イラッとしたこと……ねぇ。

その後もじっくり考えたけれど、やっぱりサランラップの緑のパッケージくらいしか思い浮かばなかった。

ここ数年、わたしの感情は「凪」の状態であることが多い。

凪(なぎ):風がやみ波が穏やかになること。

昔は感情の起伏が激しい方だった。すぐ怒ってはすぐ泣くタイプ。

学生のころは、やる気のない部員を締め上げたこともあったし(おい)、好きな人のことで親友と喧嘩して大泣きしたこともあった。

社会人になってもその勢いは変わらず、些細なことでよく上司に突っかかっていた。「上司のやり方は間違ってる!!」……なんて20歳も離れた大先輩に向かって、一丁前に抗議したこともあったっけ。

そんな血の気の多かったわたしが、いつの間にか「怒り」を忘れていた。

いつからこんなに丸くなったんだろう……。決して悪いことではないのに、なぜか感情的だった昔の自分が懐かしくなった。

振り返ってみると、感情の整理ができるようになったのは、ここ2年くらいの話。

自分の心が追いつかず、5年勤めた会社を突然やめたことから始まった。

そこから色々な人に出会って、色々なことを学んだ。

もちろん、今までも学校で散々勉強して学んできた。
けれど、学校で得られたのは「正解のある学び」だけだった。

2年前くらいからは「正解のない学び」をたくさん得るようになった。たくさんの人と出会い、その人の生き方を聞き「価値観」を知る。

サーフィンが大好きすぎてホステスをする人とも仲良くなったし、ロックバンドのボーカルだったけど、今は農家としてパッションフルーツを愛でている人とも出会った。

それぞれがぶっ飛んだ価値観を持っていて、その個性が強烈すぎて羨ましかった。

それからかな。
興味のベクトルが「自分自身」に向くようになったのは。

感情の起伏が激しかったときは、いつも他人に対してベクトルが向いていた。自分の価値観を相手に押し付けることもあったし、他人からの期待にうまく応えられずに苦しい思いもした。

「なんでこの人は、動いてくれないんだろう」
「どうして自分は、できないんだろう」

そんなふうに他人や自分に対して「ないものをねだる」ことを何度もしていたのかもしれない。

でも自分自身にベクトルが向くようになってからは、ネガティブな感情とも上手に付き合えるようになった。

「この人はこう言っているけど、確かにそういう考えもあるなあ。」「私は私のできることをしよう!」なんて、自分なりに解釈できるようになってきたのかもしれない。

自分の機嫌って、外部の要因から左右されてしまうこともあるけれど、それってあんまりヘルシーではないよね。

自分のご機嫌は、自分で整える。
2022年も「凪」なわたしでいたいな!


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