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小さな島でホステスを始めたら、なぜか私の夢がひとつ叶っちゃった


「奄美大島、いいらしいよ。」

学生時代の友達とインド料理屋でランチをしたとき、こんな話を耳にした。

鹿児島県にある小さな島、奄美大島。

透き通った海が有名な場所で、沖縄ほど観光客が多くはないから、島の雰囲気は落ち着いている。ちなみにいい波がよく来るみたいで、サーフィン好きには楽園の島みたい。

「試しに行ってみたら?疲れてるんでしょ?」

食後のラッシーを飲んでいたら、友達がわりと的を射たことを言ってきた。

どこでもいい、どこか遠くへ逃げたかった。


2019年8月。
このときわたしは、5年もお世話になった会社を突然辞めた。

退職の理由は、心の疲れ。

新卒から5年、とにかくガムシャラに走り続けた。そしたらある日、心の中の糸がプツンと切れた音がしたんだ。

打ち合わせに行っても、言葉が出てこない。
通勤の電車で、涙が止まらない。
会社用の携帯が、怖くて見れない。

友達とは話せるのに、仕事仲間になるとダメ。

精神科医からは自律神経失調症と診断され、仕事を休むように言われた。つまり働ける精神状態ではない、ということか。

有給休暇をすべて使い切り、ギリギリまで自分と向き合ってみた。けれど、復帰の道筋なんていくら考えても浮かばなかった。

考えるだけで自分の胸が苦しくなり、涙が止まらなくなってしまうんだ。

「会社から、離れよう。」

それしかない。

いや、そのときわたしは、こんなことしかできなかったんだ。

次の仕事なんて何も決まってないのに、一週間後には退職が決まっている。

そんな状況を友達に話したら、奄美大島への長期滞在を勧められた。

地元を離れて、ゆっくり人生を考える……。たしかに、その場所として奄美大島は最適かもしれない。わたしはラッシーを飲みながら、友達の話を黙って聞いていた。

さらにその友達には奄美大島に知り合いがいた。どうやらその人は島のなかで顔が広いらしい。

相談したら短期アルバイトを紹介してくれそうだし、お金の心配をせずにゆっくりできるのでは?と教えてくれたのだ。心強すぎる!

「どこか遠くへ、逃げたい。」

漠然とした負の感情が、友達の一言で現実味を帯びてきた。

ふむふむ、奄美大島ね。……悪くないかも。

その人の連絡先を教えてもらい、2時間後、わたしはその人へ奄美大島での短期バイトと住まいの相談をした。

そしてランチから10日後、わたしは奄美大島へ旅立った。


2か月限定のリゾバと、さまざまな出会い。

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滞在期間は8月〜10月までの2か月間と決めた。
そしてその間は「ホステス」として働くことにした。

「ホステス」というと誤解があるかもしれないので補足するが、まあいわゆるリゾートバイトだ。リゾバ。

リゾバとは、長期休暇中に観光スポットで募集がかかる短期バイトのことで、高単価かつ宿舎付きの案件が多いから、1ヶ月以上の長期滞在も可能。

とにかく融通のきく、理想的なスタイルだ。

ちなみに紹介されたバイト先は、時給2000円(20~24時勤務:1万円/日)と奄美大島の中では高単価で、アクセスのよい場所に寮があった。

住む場所と仕事があれば、2ヶ月間心配なく暮らせる。

夜の仕事なんてまったくしたことがなかったけど、こんな好条件は他にない。それに夜の仕事と関わる機会なんて、今後そうそう訪れない。

そんなふうに考えたら、無性にワクワクしてきた。

仕事ではあれだけメソメソしていたのに、わたしってば薄情なやつだな。

環境が変わると、人って意外と心の中も変わるみたい。


その1:全身タトゥーの「ママ」との出会い。

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奄美大島、到着初日。

右も左も分からないわたしは空港の待合室で、働き先のママと待ち合わせをした。

「あの、まあやちゃんですよね?はじめまして!」

そう声をかけてくれたのは、ホステスのママというには若すぎる、お人形みたいなお姉さんだった。

着物にぴったりな長い黒髪に、ショート丈のワンピースがよく似合う、すらっとした体型。そしてきれいに日焼けした健康的な肌をしていた。

女性としてかなり魅力的な人。やはりさすがママ……と言いたいところだが、私が感じたママへの第一印象は「ちょっと怖い」だった。

その原因は、あちらこちらに彫られたタトゥー。

首も足も腕も胸元も、随所に個性的な柄が彫られていたこともあって、おおお…っと若干尻込みしてしまった。

どうやら、サーファーらしい。(そしてサーファーの大半はタトゥーを入れているらしい。笑)

しかし実際に話してみると、いかついタトゥーとは対照的に、物腰の柔らかい印象を感じた。

大丈夫、やっていける。多分。

ママは、私より6つ上のお姉さんだった。

高校卒業後に夜のお仕事をはじめ、2019年に旦那さんの故郷である奄美大島で、自分のお店をオープンさせたらしい。

でも私はふと思った。
なぜママは夜の仕事を始めたんだろう?と。

私も実際に体験して思ったけど、夜の仕事って本当に大変だ。

お客様をもてなす所作や言葉遣い、リピートしたいと思わせる心地よい空間づくりなど、どれも気を遣わなければいけない。

それなのにお客様の心ない一言で傷つき、心がすり減りそうになることもある。

楽な仕事は他にもいくらでもあるのに。そう思って私は、ママに夜の仕事をしている理由を尋ねてみた。

そしたらママは、あっけらかんとした顔でこう話した。

「え、だってサーフィンがしたいから。」

ママの言い分は、こうだった。

1日24時間ある中で、仕事はいつでもできる。でもサーフィンは日が出ているときしかできない。そう考えたら、サーフィンの方が優先度が高いよね。しかもその中でいい波が来る日なんて限られるし、せっかくいい波がきているのに、仕事でサーフィンが出来なかったら人生がもったいない!


私はつい、労働は昼間。空いた時間に好きなこと!って勝手に決めていた。

けれどママにそんな話をしたら「それって誰の偏見よ?」と少し怒られた。

サーフィンをするために私は生きている!
仕事をするために、うまれていない!

こんなふうに語るママの背中を見て、素直に生きる人のカッコよさを学んだ気がした。

偏見を捨てて自由に生きる。
そして自分のやりたいことにもっと貪欲になる。

ママの教えに習って、わたしも「やりたいこと」を書き出してみた。

すると、思いもよらない言葉が最初に出てきたのだ。

「海外で暮らしてみたい。」

もともと海外には興味があったのだろう。スッとこの言葉が出てきた。

安直ではあるが、海外生活となれば日本とは違う価値観が得られるし、今までにない刺激が期待できる。人生に一度は経験してみたい。そう思っていた。

けれど、自分が暮らすイメージがイマイチ湧かないんだ。だからこの想いは、心の奥底に閉まっていたのかもしれない。

だって理想は、いつも「現実」とかけ離れているから。

言葉は大丈夫?
仕事は?お金は?
病気したらどうするの?

不安なんて考え出すとキリがない。妄想に近いはずの恐怖心なのに、それを払拭する術をわたしは持ちあわせていなかった。

いや。

できない理由を見つけて、本心をしまいこんでいたのかもしれない。ケガをしないために。

でも今は、どうだ?勢い余って会社を辞めちゃったし、なんなら自由だ。

あれ?出来ない理由……なくなっている?
わたしは今、何にも縛られていない。

なんだか急に、無職の自分が誇らしく思えた。


その2:東京から来た「おじさんたち」との出会い。

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奄美暮らしをはじめて3週間くらい経ったある日、お店に4人のおじさんが遊びにきた。

奄美には毎年来るものの、どうやら今回が初めての来店らしい。

東京からいらっしゃった方だったので、東京出身のわたしがテーブルについて、たわいもない話をすることになった。

明日は何するんですか〜?

観光客向けのテンプレのような会話文を投げかけると「明日はゴルフするんだよ〜!」と嬉しそうに話してくれた。

(ご……ゴルフ?!)

ゴルフと聞いて、思わず私もテンションが上がってしまった。実は前職のときによく接待ゴルフしてたから、結構得意だったんだ。

いいですね〜!私もやりたいです!
なんて話をすると、思いもよらぬ返事がきた。

「きみも明日、くる?」

どうやら明日のゴルフに行くのは3人のようで、一枠余っている。もしよかったらゴルフ代はいらないから、一緒にやろうよ!とのことだった。

おおお……これに対して、なんと答えればいいんだろう。

お客さんからの誘いに対する返答方法をママから教えてもらわなかったけど、個人的にはゴルフしたいし、迷ったあげく素直に「行きます」と返事した。

このお誘いが、わたしの夢を叶えるきっかけとなるとは、つゆ知らずに。

次の日。

お酒が抜けたおじさんたちは人が変わったように、真剣な表情でゴルフを楽しんでいた。出会って2日目とはいえ、やっぱり誰かとスポーツするのは楽しい。

時間はあっという間に過ぎ、ゴルフ後はみんなで奄美名物の鶏飯を食べに行くことになった。

料理が来るのを待っている間、
一人のおじさんが私にこんな質問をしてきた。

「きみは、将来どうなりたいんだ?」

まさに私が奄美大島で考えようとしていた質問を投げかけてきた。

たぶん私が夜の人ではないと理解していて、この子には何か事情があるんじゃないか……と思ったんだと思う。多分。

その目は優しくも厳しく、私に詰め寄る雰囲気だった。

(ああ……これは正直に話そう。)

私は包み隠さず、すべてを打ち明けることにした。

仕事に復帰できず辞めてしまったこと
次の仕事が見つかっていないこと
何をしたらよいか今探している途中だということ、などを。

そうかそうかと頷きながらも「何かやりたいことはないの?」ともう一度質問してきた。まるで壁打ちじゃないか。

(……やりたいこと。)

それはママとの会話で、ひとつ気づいたことがあった。「海外で暮らしてみたい」という想いだ。

「海外に行ってみたいと思います!!!」

思わず、口に出してしまった。まだなにも考えていないのに。これ、突っ込まれても何も語れないぞ。

とドギマギしていると、今度は別のおじさんが食いついてきた。

「え!海外?!海外ってどこに行きたいの?」

(や、やっぱり来た。なんも決めてないし……どうしよう。)

そうですね……と言葉を濁すわたしをみて、そのおじさんは思いもよらぬ発言をした。

「ベトナムとか、興味ある?」

(…………!??????)

このときわたしは初めて、とんでもないおじさん達とゴルフをしていたことに気づかされた。

どうやらこのおじさんたちは、アジア諸国(ベトナム・ミャンマー・ラオスなどなど)にある日本語学校と繋がりが深いようで、今まで2000人以上もの学生を日本へ留学させた人たちだったのだ。

それに加えて、学生の質を高めるために、ベトナムで働いてくれる日本語教師を探しているとのこと。

ひょんなお誘いに二つ返事でOKするフットワークが軽さ、活発さ(に見えたらしい)、標準語が話せるわたしは、日本語教師にぴったりだ!と言ってくれた。そして興味があれば、ぜひ紹介したい!とのこと。

あまりの話に「これは新手の詐欺なのでは?」と少々疑ったが、悠々とゴルフを楽しむおじさまが、無職の小娘を騙して1mmも徳はない。

そう、確信していた。ちょっと悲しいけど。

日本語教師……か。

実はわたし、大学時代のときは「先生」になりたいと思っていた。それで中学校と高校の教職課程を取得し、実際に教育実習で生徒に教えた経験もある。

就活ギリギリまで進路を迷っていたが、日本の教育の実態をニュースで耳にするたび、前向きな気持ちになれず一般企業へ就職した過去があった。

おもしろそうだな……。

とはいうものの、さすがに想像外の展開すぎる。やはり「ちょっと考えていいですか?」なんて一呼吸あけて考えることにした。

ひとまず名刺をもらい、現地の日本語学校へ見学する予定をたてる。その次の日、それぞれのフライトでおじさんたちは東京へと帰っていった。

言葉に出すだけで、夢へと近づけるんだ……。

人生、言ったもん勝ち。

なんて言葉を聞いたことがあるけど、本当にそうなのかもしれない。

「ベトナム」という言葉を聞いただけで、なぜか武者震いがした。


さまざまな出会いから、1年半経った今。

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奄美大島の生活から1年半が過ぎた今、わたしはベトナムの暮らしを満喫している。

やはり、あの話は本当だった。

奄美大島から帰った後わたしはすぐにベトナムへ向い、現地の様子を確認。そして自分自身の気持ちと向き合い、日本語教師という道を選択した。

2020年の1月にベトナムへ移り、住んでもう1年になる。

不便じゃないの?日本の方が絶対いいでしょ?

出国前はそんなことを言われたこともあったが、わたしは今楽しく生きている。

たしかに日本よりは不便なこともたくさんある。けれど、決して不幸せではない。かえってその不便さを楽しむ余裕さえある。

ベトナムでの生活は、とにかく楽で自由だ。

物価は安くて生活費がかからないし、服装だって着飾る必要がない。

カフェの店員さんはYouTube見ていて接客してくれないし、おつりはだいたい四捨五入。

その適当さが、なんだか心地いいんだ。

わたしはベトナムにきて、完璧を求められないことが、ここまで気持ちいい世界だということを初めて知った。

日本で仕事をしていたとき、突如自分の中で糸が切れてしまったけど、それはきっと完璧を求めすぎていた結果だったのかもしれない。

肩の力を抜いて、楽に生きよう!

それがわたしの幸せなんだから。


今日という日があるのは、すべて
奄美大島での出会いのおかけだ。

あのとき、友達が奄美大島を勧めなかったら
あのとき、仕事を紹介してもらえなかったら
あのとき、ママと仕事の話をしていなかったら
あのとき、おじさんたちがお店に来なかったら
あのとき、ゴルフに行くって言わなかったら
あのとき、海外に行きたい!と言わなかったら

今の生活はないし、きっと今の「わたし」はいない。

日本にいたときは、仕事を辞めて何をしたらよいかわからず途方にくれていたけれど、今は肩の力をぬいて、気楽に自由に生きている。

ひょんなことから始まった奄美大島の生活は、私の人生を変えたステキな出会いの連続だった。


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