最期まで笑ってたいから、エンディングノートを書いたよ
「死」って、自分の世界からどこか遠くにある気がしていた。
今まで大きな病気をしたことはないし、若くして亡くなった友人はいない。だからかな、わたしにとって「死」は、60年くらい先の遠い未来のこと。
なぜか、他人事だと思っていたんだ。
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そんなわたしの死生観が変わったのは、ベトナムに住みはじめてから。
バイクや車の交通量が多いベトナムでは、ときどき接触事故を見かける。その度に「死って、意外と身近にあるんだ」ってことを肌で感じた。
実際にわたしも事故にあいそうになったことは何度もある。それに一歩間違えば大ケガ…なんて瞬間にも遭遇した。
こんな日々を繰り返しているせいかな。
いつの間にか、ごくごく自然と「死」について考えるようになった。
人はいつか死ぬ。でもその「いつか」は選べない。
毎日生きることって、当たり前なんかじゃなくて、実は「奇跡の連続」なんだよね。
もしかすると明日、その奇跡が途絶えてしまう…なんてことだって十分に考えられる。そのときわたしは、本当に悔いなく旅立てるのかな。
まだ“言葉”とも呼べないモヤモヤした感情だけれど、ゆっくり自分のペースでわたしなりに向き合うことにした。
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そんな想いから、この春、一冊のノートを迎えた。
エンディングノート。終活用ノートだ。
このノートには、口座やクレジットカードの情報など自分しか知らないような情報をすべて書き込むことができる。
万が一自分が亡くなったときに伝えてほしい友人の連絡先や、お墓に入る?入らない?などの話も網羅されている、心強い一冊。
この話を友達すると「20代で終活?!さすがに早すぎるでしょ〜!」と笑われてしまうんだけど、まあ別にいいかな。
大切なのは、身体がなくなる最期のときまで「自分の意思」で生きること。
そんなふうに、わたしはそう思っているから。
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もしわたしが死んでしまったら、家族にはちゃんと「悲しみ」に浸ってほしいな、と思う。
それでわたしは天国から「ほ〜ら!やっぱりわたしのこと大事だったでしょ?」なんて笑っていたい。
そのためには、家族がちゃんと悲しみと向き合えるように、わたししか知らない情報をクリアにしておく必要があった。
日本とベトナムの預金は?借金は?保険は?携帯の暗証番号は?
お墓は?所有している不動産は?(持ってないけど)
こんな情報をまとめておけば、万が一わたしの身になにかあっても家族には余計な負担はかけなくて済む。そう思った。
実際に書いてみたら、備えあれば憂いなし効果なのかな。なぜか心の中がスッと軽くなったんだ。
もしかすると、理想とする「最期」が、ほんの少しだけイメージできたからなのかもしれない。
たしかに終わりを考えるのはちょっぴり寂しいけれど、自分の意思とちがう最期を迎える方がもっと寂しいと思う。
それならわたしは、自分の「最期」ときちんと向き合っておきたい。
そんな想いから、エンディングノートを書いたよ。
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