見出し画像

ニガテなことは「キライ」になる前に成仏させるべし

自分で言うのもなんだけど、わたしは典型的な「器用貧乏」タイプである。

話すことも書くことも、そこそこできる。
プレゼンは緊張するけど「やれ」と言われたら卒なくこなすし、テキストでのコミュニケーションも割りかし得意。

20代前半のころは「アタシ、デキル」って前髪をかきあげているクソ生意気な人種だったと思うし、根拠のない自信を盾に上司に噛みつくこともあった。(おい)

それなのに最近は「ニガテかもな〜」「できないな〜」と思うことが増えてきた気がする。

たとえば、校正作業。

私は、文章を書くことが好きだし得意(だと思っている)。だけど、誰かが書いた文章をチェックして、誤字脱字を修正する校正作業はニガテだ。

同じ「文章」に関する仕事なのに、「執筆」と「校正」は脳の使い方が全然違うんだよね。

そのせいか、誤字脱字をよく見落とす。その度に「あ"あ”〜〜〜もう何度目だよ!」とキレつつ、ミスった自分をその記憶もろとも脳内で爆破している。

あとは、マニュアル化された仕事もニガテだ。

すでに業務が効率化されているルーティン作業は、「ニガテ」を超えて「ツラい」に変わる。

実は以前『ストレングスファインダー』という強み診断を受けたことがあるんだけど、そのときに分かったわたしの強みは「適応性」。

つまり、そのときその瞬間に起こることを、柔軟に対処していくのが好きだし得意…ということだ。

だから、ふつうだったらありがたい「効率化されたマニュアル」も、わたしにとっては全然うれしくない。

柔軟な発想でトライ&エラーするのが好きなわたしにとって、マニュアル仕事は、肉の入っていない肉まんのようなものなのだ。

つまり、アレンジの余地がない作業になると、わたしはわたしの強みを発揮できない。だからニガテを超えてツラいんだろうな…と思っている。

…とまあ、最近は根拠のない自信が少しずつ剥がれてきて「ニガテ!」「できない!」に気付けるようになってきた。

まあ、昔のわたしが見栄っ張りなだけだったのかもしれないけど(笑)。

**

日本の教育のせいか、私みたいな器用貧乏タイプって意外と多い気がする。それで、そんな人ほど「ニガテセンサー」が鈍っているんだよね。

なんでも70〜80点レベルで出来る人って、いざトラブルが発生すると、それが「うっかりミス」なのか「資質として得意・不得意」なのかを見分けることが、そもそもニガテなことも多い。

だからシンプルに不得意なことも、つい「うっかりミス」という名前のフォルダに入れてしまって、ミスを溜め続けてしまう。

そうやって、うっかりミスのフォルダーにポイポイ放りこんでしまうと、あっという間に容量オーバーになる。

ニガテが「キライ」に変わる瞬間だ

ある一つのタスクがニガテなだけなのに、その仕事全体がキライになる。
それならまだしも、人によっては自分自身がキライになることだってあるだろう

もちろん「ニガテ」と「キライ」をきっちり棲み分けている人もいるけど、大半の人はグラデーションのような感情なはず。

「ニガテ」は、ある行為を上手にできないこと…だとしたら、少し暗いけど淡白な色な気がするけど、「キライ」はもっと深くて重くて暗い色。

黒色はどんな色でも黒に染めてしまうのと同じように、「キライ」というレッテルも一度貼ってしまうと剥がすのが大変だ。

だからこそ、そうなる前に「ニガテセンサー」を発動させて、気持ちの変化に気づくことが大切なんじゃないかな。

ちなみにわたしは、同じミスを3回したら「もしかすると…ニガテ?」とセンサーを機動させている。

それが結果的に、自分と周りの人をハッピーにすることだと信じているから。

ニガテなことは見切りをつけて、キライになる前に成仏させるべし!

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?