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腐れ縁の英語

なぜ私が英語の勉強をするのか。

英語が必要な環境にいるわけでもなく、英語を使った仕事がしたいわけでもない。
話せるようになりたいという熱烈な望みも実はない。(でも勉強するからにはそこが目標にはなるけど)

でもなぜか英語学習は自分の人生で切り離せない、まさに腐れ縁のような存在だ。

振り返れば、保育園児だった頃、保育時間の後に保育園で習い事として英語教室が開かれていて、5〜6歳の間にそこに通っていた。
当時は今と違って英語を習っている子供は少数派だったので「ヘビはスネーク、ぶどうはグレープ!」といくつか英単語を知っていることに得意げだった私。

それが英語に関して苦手意識を持つことなく、中学で本格的に英語の授業が始まっても何の抵抗感もなく受け入れられたきっかけになったので、英語教室に通わせてくれた母には感謝である。
中学での英語の授業は特に困ることがなく、教科書の巻末にある文法事項のまとめを読んでも「全部覚えてる」と思った記憶がある。
その頃は深夜にBSで流れるワールドニュースをたまに見ていた。何だか海外に繋がっているような気がしてワクワクしながら見ていた。

しかし高校では一転、あまり好きな教科じゃなくなった。
新興の進学校で勉強にかなり厳しい高校で、毎週15問の英単語テストがあり、10点未満は再テストだったんだけど、暗記が大の苦手な私は再テストの常連だった。
先生たちとも相性が良くなくて嫌々授業を受けていたので、高校英語の文法はまるっと記憶にない。なので大人になってから分詞構文などの理解に四苦八苦した。

そんな中、月刊漫画の巻末にある通信講座の広告の一覧に「海外ペンパル」という項目があり、何だか面白そうと思って申し込んでみた。
日本人との文通を希望している何人かの外国人の住所が送られてきて、手紙を書いて送るシステムだったと思う。
その中でもイギリスに住む女の子との文通は何年も続いた。
だんだん楽しくなってきて、今度は自分でパソコンでペンパル募集サイトを見つけて、本当にたくさんの国の子達と文通をしていた。
マレーシア、オーストラリア、フランス、アメリカ、インド、韓国、ポーランド、リトアニアなどなど。

今思えば自分の書いた英文は文法も単語の語法もめちゃくちゃだったけど、私がリーディングを好きになったのは間違いなくこの経験がきっかけだ。

大学は社会科学系に進んだけれど、英語に力を入れている学校だったので英語学習はここでも途切れることはなかった。
社会人になっても英語は何だか気になる存在で、度々「勉強したい」と思ってちょっとラジオ英会話を聞いてみたり、CNNのテキストを買ってみたりしていた。

とまぁ、なんだかんだと英語は割と自分にとって身近な存在というか、なぜかまとわりついてくる存在だった。
この腐れ縁はおそらく、英語は嫌いじゃないし、他の学問とは違って頑張れば何とかなりそうという考えが根底にあるのかもしれない。

ただ、このなぜか自分の人生に度々関わってくる英語は無視してはいけない存在に違いないという、きっと神様からのメッセージじゃないのかなと、最近になって思うようになった(無宗教だけど)
そんな訳で今の毎日の英語学習に繋がっている。

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