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モヤモヤするのでSNSを見るのをやめました

「日本中、世界中の人に向けて発信したい」
「優秀な人たちと繋がりたい」
「影響力を持ちたい」

こんな理由で、TwitterとFacebookを始めました。

正確に言うと、Twitterは匿名登録から実名登録に、Facebookは見る専門から活動報告用に運用方法を変更しました。


それぞれ運用し始めて1年くらい経ちましたが、なんかすごく「モヤモヤ」するので、一旦見るのをやめることにしました。


「いいねがたくさん集まった」
「影響力のある人と繋がった」
「時代の最先端を走る人たちの投稿を毎日チェックしている」

なんか、「だからなんなの?」って思っちゃったんです。


好かれる投稿をして、その投稿にみんなで群がって、「数字」にしがみついている感じ。
そして、その内の一人にどんどん自分がなっていく感じ。

はじめのうちは、色んな方の投稿を見て、「前向きな発信をしている人だな」とか「同じ公務員にもこんなに勢力的に活動している人がいるんだな」と思い、刺激をもらっている気がしていました。

でも、続けていくうちに、SNSの画面を開くこと自体が目的になり、常にSNSに繋がって情報を仕入れていなければならない感じがするようになりました。
同時に、自分も何か有益な情報を発信しなければならない、早くネット上で影響力を持たなければならない、という切迫感を感じるようになりました。

自分以外にも、ネット上にはそんな人で溢れかえってる気がします。
一生懸命、情報発信して、見てもらえるように工夫して、誰かのツイートを追いかけて、フォロワーを増やして。
結果、Twitter村やFacebook村には同じようなアカウントや投稿だらけ。
影響力をつけようとした結果(=唯一無二の存在になろうとした結果)、コモディティ化(一般化)する。

なんか疲れるし、めっちゃ違和感を感じます。


「モヤモヤ」の正体は、きっと「リアル感」がないことだと思います。
つまり、ネット上でどれだけフォロワーを増やしても、いいねを増やしても、現実(リアル)で何も積み上がっていないこと。

本の要約とか、偉人の名言とか、論文の引用とか、一生懸命集めてきてそれっぽい投稿を作ったところで、「で、お前は『誰』なの?」ってなる。
ネット上で喜ばれそうな情報を流して、フォロワーやいいねの数字が増えて喜ぶ。
それって、向き合うべき目の前の現実から逃げてるだけなんじゃないの?って思う(自分に対してですよ)。

それより、農協の直売所に新鮮な野菜を並べるために、四苦八苦しながら栽培方法を模索する、現役を引退してセカンドライフを謳歌するおじいちゃんの方がよっぽど毎日が生産的だし、積み上がっている感じがします。


自分は「借り物の知識」ではなく、「自分で得た知恵」を伝えられるような人になりたいです。

もっと、手の届く範囲のヒト・コトから丁寧に向き合い、少しずつ自分の幅を広げていきたいと思います。

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