使用の心理学
どうもまあさるです
先日妻と子供の教育について
バトってきたのでアウトプットと反省をします
まず 議題は
子供に寝る前にボードゲームやテレビゲームをさせることの是非
についてでした
妻の主張
・寝る前にゲームをすると子供のやきょう(寝ぼけてわめいたりする)がひどいからやめて欲しい
私の主張
・本人がやりたいと言うならやらせてあげればいいし私も付き合って楽しむ
・そもそもやきょうは6歳児までは誰にでも起こりうること(治療不要)らしいから心配することではないのでは
私はどうしても寝る前のゲームによる
やきょうのこじつけ感(妻なりの統計では高確率らしいが)が拭えなかったのです
そこで私は目的論に従ってこう考えました
やきょうが酷いから寝る前のゲームを辞めさせたいのではなく、寝る前のゲームを辞めさせたい目的のためやきょうが酷いという理由をこじつけた
または他の目的のためやきょうが・・・と
答えは他に目的がありました
やきょうの因果関係について課題の分離を交えながら問答を繰り返していくと妻が声を奮わせ涙を浮かべながら
じゃあ寝かし付けーや!
と言い放ちました
ああこれねと妻の目的がわかったので
一旦落ち着かせようと落ち着こうかと妻に言いました
これが妻の闘志に火をつけました
冷静なんやけど?
と反論されたので
冷静な人は涙を流したりしません
と答えましたすると
そっちが逆撫でしてるのわかってる?ムカつく
と捲し立ててきました
しまったー!と思いましたが私の頭の中では
私が逆撫でしたから貴方は怒っているのではなくて
安直に私を屈服させたいという目的のために
怒りという感情を作り出しているんですよ
怒りというのは最も低コストで愚かなコミュニケーションツールです
と次々と反論が浮かんでおりましたが
これでは権力争いに成りかねないと感じたので
別のアウトプットに切り換えることにしました
(転勤して間もないのでアウトプットを聞いてくれる同僚が居ませんので妻でしています)
私はアドラー(岸見さんの?)の三角柱を思い出しました
今までの話を振り返ってみるとだいたいは
「悪いあの人(ここでは私)」の話だとわかります
ということで悪いあの人と可哀想な私の裏の面の話
「これからどうするか」
に話題をかなり強引にふりました
結局私も寝かし付ける、寝る前はゲーム(ボードゲーム含む)しないということで合意しました
私はどっちが正解かなんてわからないのでふたりで納得できるところまで話し合えたらと思っていましたが・・・
私が折れることでしか話がまとまりませんね
やはりアドラー心理学の実践は難しいですねえ
それではまたっ
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