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【パフォーマンス評】 マルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』

演ずるとは、ある種のペルソナを自身が纏うということだ。
ペルソナを纏うことにより、それを見る者に、何らかの誘引作用を引き起こす作業のことである。
ところが、演ずる者がペルソナを欠く(あるいは封印した)としたら、事態はどのようになるのか。それは、「見るとは何か」、という問いを、わたしたちに投げかけることでもある。

京都芸術センターで開催されたマルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』KYOTO EXPERIMENT 2013(原題:De repente fica tudo preto de gente)。
開場とともに、見る者たちの集団(つま観客たち)の周囲に薄暗い蛍光灯がともされ、見る者たちはボクシングかレスリングのリングのような囲いの中に誘導される。その中を、全身真っ黒に塗った全裸のパフォーマーたちが腕をつなぎ合わせ輪になって無言で動きまわっている。

パフォーマーたちは性別も国籍も異にするらしいのだが、全身に塗られた墨と照明の照度の低さから、人間としての固有性も出自も判断できない。なにか得体の知れないものたちの動きとでしかないように思われる。その動きに応じて、見る者はパフォーマーたちにぶつからないように避け、また別な見る者は彼らの後を追う。パフォーマーらも、見る者たちにぶつからないよう、微妙に動きを変えているようだ。

やがてパフォーマーらの輪は糸のように絡まり、縺れ合う黒い集塊となって蠢き始める。そして制御を失ったかのように、塊となった肉体は床に投げつけられ、呻きとともに積み重なる。
観客として見る者たちは、とんでもないハプニングか儀式に遭遇した群衆のように興奮と驚怖に襲われる。それが幾度か繰り返され、やがて黒い塊は解かれ、パフォーマーたちは、散り散りとなった見る者たちに歩によりはじめる。

マルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』-2

真っ黒に塗られた顔の中に鋭く輝く眼。その眼は見る者たちに向けられる。
パフォーマーたちは視線を受けとめてくれる見る者の眼を探し、リング内をゆっくりと徘徊する。そこにあるのは、パフォーマーたちの身体ではなく、彼らの眼と見る者の眼である。わたしたちに向けられる視線は不気味で、身体ごと逸らそうとする者、眼を合わせるようでいて微妙に回避する者、そして、逆に挑発するかのように視線を投げ返そうとする者さまざまである。
見る者たちにその選択の自由は与えられているのだが、囲いの外に逃れることは基本的には許されない。つまり、見る者たちも、パフォーマーたちの舞台……見る者たちとパフォーマーらの共有する床……から逃れることはできないのだ。

公演時間は一時間ほどというアナウンスが公演に先立ってあったのだが、早くこの場から逃れたいとばかりに時計に目をやり、公演の終了を望む者もいれば、自らパフォーマーに接近する者もいる。
そのとき気づく。〝見る者〟と理解しているわたしたちも、開場とともに、囲いという舞台上をパフォームしているのだと。

黒塗りの塊こそ、〝見る者〟と思い込んでいるに過ぎない観客を見ているのではないか。輪になり、囲いの中を動き回りながらも観客に視線を注いでいたパフォーマーたち。そのとき、パフォーマーはペルソナを失った〝彼ないし彼女〟という単なる人称になっていたのではないかと思えた。

ペルソナを欠いた黒塗りの身体。本来的に非ペルソナ的存在である〝見る者〟の身体。その両者が同じ囲いにあることで、《見る者/見られる者》の境界は曖昧になり、〝パフォーム〟という演じることの〝囲い〟そのものを無化したのである。
そして、パフォーマーたちは囲いの外に消え、囲いの中にいるのは〝見る者〟と思い込んでいるわたしたち観客ばかりになっていた。
気づくと、《見る/見られる》という関係は曖昧になるばかりでなく、反転していたのである。

(クリエーションメンバー)
アンドレ=リーン・ジッゼ、ダニエル・バラ、エリエルソン・パチェコ、長洲仁美、ジェル・カローネ、ルス=ファン=デル・プリット、マルセロ・エヴェリン、マルシオ・ノナト、レジーナ・ヴェロソ、ロサンジェラ・スリダーデ、セルジオ・カッダー、瀧口翔、タマール・ブロム、ヴィルフレッド・ロープストラ

(振付家ルセロ・エヴァンリンについて)
KYOTO EXPERIMENTの資料によると、ルセロ・エヴァンリンはブラジルのピアウイ州の州都テレジナ(Teresina)を拠点に活動を繰り広げる振付家・ダンサーである。

日本での最初の公演は『マタドウロ(屠場)』(KYOTO EXPERIMENT2011)。
本公演『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』との関連で述べれば、仮面を被ったほぼ全裸のパフォーマーたちが一時間にわたってひたすら輪になって走り続けた果てに、観客を挑発的に凝視するという作品。
いわば観客を混乱の渦の中に強制的に巻き込むというコンセプトが今回の公演と共通する。
KYOTO EXPERIMENT2012の一環として本作の滞在制作を行い、その後、コンテンポラリーダンスの祭典『フェスティバル・パノラマ』(リオデジャネイロ)にて世界初演。そして、今回、KYOTO EXPERIMENT2013へと続いたということである。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)


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