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戦争トラウマの話が点と線で繋がった

信田さよ子さんの戦争トラウマの記事を読んでから、「昭和の暴力性」というやつが何かとちらほら思い浮かぶようになった。

ここに出てくるDVの話と、ほとんど同じことを私は昔父から聞いた。父の父がまさにそれだった。復員兵で、酒を飲んでは日本刀を振り回すようになり、結局家族は散り散りに逃げたのだということだった。

そうか、父に聞いた話は戦争トラウマの文脈にあったのか。数十年越しに思いもよらずクリアになった。めちゃくちゃ膝を打った。記事は、そのトラウマによる暴力性が「亭主関白」や「体罰」などとして正当化されてきたことに触れ、一方で笑いとともに受容されてきた例として「ちゃぶ台返し」を挙げていた。

なるほど昔はそうだった。私はアラフォーだから子ども時代を昭和で過ごした世代だが、思えばたしかに当時の日常は、暴力性の薄からぬ膜に覆われていた気がする。そういや「すぐ暴力を振う問題児」とかも1クラスに何人かはいたよな。普通に。家庭内暴力があって、子はアダルトチルドレンになる。加害と被害が絡んで、次世代の「生きづらさ」もさらに複雑になる。戦争トラウマは無自覚のうちに、こんなにも尾を引いていたのだ。つくづく戦争、あかん、ほんまに。

でも、世代を経て少しずつ暴力性も緩和されてきたと思う。ここ数年でポリコレとか多様性とかも相まって、急激に針が振れた感もある。オセロの石が一気にパタパタとひっくり返ったみたいな感じがする。昭和生まれにはそう感じるが、実際にはやっぱり緩やかに少しずつ毒は抜けつつあるんだろう。その過程で暴力はハラスメントへと形を変えたりしたんだと思う。それで、その「抑圧移譲」を生き抜くある種のコーピングとして「お笑い」があったんじゃないか。だって受容しないとしんどいもの。受容の手段として、笑いはたぶんうってつけだ。

笑いもまた、時代をさかのぼるほどに暴力的だった気がする(太平洋戦争以前はよく知らないけど)。暴力を笑いに変えることに、私は何かヒロイックなものすら感じてきた。その漠然とした印象は、おそらく私だけのものじゃないと思う。お笑い芸人に憧れる若者群も今なお少なくなさそうに見える。一方そのヒーロー感がどこからくるのかは、ずっと分からずにいた。というかあまり考えたことがなかった。でも今こうして戦争トラウマの文脈で捉えると、ものすごく腑に落ちる。理由も分からないまま圧倒的に蔓延っている「暴力」を、「笑い」がめちゃくちゃ直感的に受容させてくれるからだ。その点で、お笑い芸人にまさに救世主的な役割を見ていたのだ。みんながそういうわけじゃないだろうけど、少なくとも私の感情はその文脈でちょっと整理できた。けっこうすっきり。

あ、あと、うまく社会に適合できなくて「笑いもの」になっているような人を、「いじり」で名誉一軍として取り込む流れもある。いじりはフィジカルにしろメンタルにしろやはり暴力的だが、でもそれで笑いものが一転して人気者に変わるようなことがある。つまり、いじりというのは、笑いの質を「排除」から「受容」に変えるテクニックのようなものじゃないか。だからそのテクニックが欠けるとき、いじりはあっという間にいじめとなる。まあ、そもそも根底に暴力がある時点で、どんな構図であれ健全にはなりえないのだろうが。

ともあれ、暴力が戦争トラウマの影響かもしれない視点で見れば、暴力それ自体が笑いの手段なのじゃないことが言えるわけだ。まず先に抗えない暴力があって、それを受容するために笑いを手段にしたのだ。生き抜くためにあえて笑い飛ばそうとしたのだ。暴力的「お笑い」は、トラウマが癒える過渡期の苦肉のコーピングだったのだ。お笑いが一大ブームになるほどの支持を得たことなどは、いかに国民全体が無意識の暴力に囚われていたかの証左じゃなかろうか。あと、ついさっきチラッと見たニュースで、岸田総理が米議会のスピーチでジョークをかました話をしていたが、総理の訪米自体は良からぬシナリオだと思うのに「笑いを取った」ことが妙に好意的に語られていて、その辺りにも笑いにヒロイズムを見る文脈が読めるような気がしなくもない。

いろんなことが頭を巡る。しかしまあ、大前提として、暴力は受容するものじゃない。それがたとえトラウマだったとしてもだ。ようやく時の流れがそのフェーズにきた。だけど、それこそオセロみたいに白から黒へパタリとひっくり返すような反応をするのも違う気がする。それをやると、またいつか同じことを繰り返してしまうのじゃないか。暴力を受容すべく、むしろ暴力を積極的に取り入れてきたフェーズがあって、自分自身がその時代の構成員だったことを認めない限り、何かにつけて、つい「昭和はよかったなあ」なんてことになるのじゃないか。時代を経て、薄まりながら形を変えながら続いている暴力を、ついまた受容しようとしてしまうのじゃないか。

戦後70年を超えて、その傷痕が本当の意味でクリアになってきた。にも関わらず、2年前タモリさんは現下を「新しい戦前」と呼んだ。各地の争乱の残酷がリアルタイムで耳に入ってくる中、その言語化は私にも大いに刺さった。繰り返しちゃいけないのだ。そのために、どうすればいいだろう。せめて、形を変えた暴力性の名残りを受容しないようにしよう。ほら、Xが140文字で人となりを判断してよろしいってなってきてるのも、ちょっとした暴力性の受容な気がしたりして。そういう、ささやかに見えなくもない暴力と受容にアンテナを張っていたい。できるだけ色んな角度から「戦後」に舵を切り続けたい。そんなことを思った。というより、願った。なんとも言えない着地で情けないが。(おわり)

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