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もやっと、ぬるっと回復した話

私の「回復」は、分かりやすい直線グラフではなかった。とはいえ曲線という感じでもなくて、というかそもそも線状の印象もなくて、なんというか、もわっと、ぬるっと治った感じ。ふと気づけば回復していた、そんな感覚だ。

大きなパニック発作は、認知行動療法を始めて最初の半年ぐらいでほとんど出なくなっていて、あと寛解までの1年半ぐらいは予期不安との戦いだった。あ、もちろんプチ発作的なものはちょこちょこあった。しかし思えば、回復に至る過程で「最近不安感じなくなってきたなー」などと噛みしめるようなことはなかった。どちらかと言うと、「いつどこで発作が出ても対処する自信がついてきたなー」という感じ。発作いつでもこいっ! どんとこい! な感じ。不安や緊張、発作手前みたいなもろもろの症状を、けっこう”受け入れて”いたと思う。いや、受け入れるというとちょっと達観めいているが、なんというかこう、「出るのはしょうがない、疾患だもの」という感じ。そういや「おや、寛解したかも?」と思う直前まで、自分の状態を「治療なう(古)」だと思っていた気がする。

発作どんとこい状態になると、もう私生活で行けない場所やできない事はなくなる。疾患以前の行動範囲をすでに取り戻してはいる。とはいえ、その日のコンディションによっては、同じシチュエーションでも不安になったりならなかったりと不安定なので、一応いつでも症状と対峙する覚悟はしておく。「出るでしょ、症状の1つ2つぐらい」みたいな感じ。で、出たときには「そりゃまあ治療なう(古)だし。でもこっちは乗り切るプロだし」みたいなメンタル。そんなこんなで過ごすうち、「そういやここ半年ぐらい症状出てないや」が「1年」と伸び「2年」と伸び、という感じだった。まあ、さすがに1年ぐらい経った段階で「おや、寛解したのか?」とは思った。考えてみれば「はい、今日から寛解!」とはいかないわけで、寛解に気づくのが数ヶ月後や数年後だったりするのは当たり前っちゃあ当たり前だ。だからこそ、治った時の印象が「もやっと、ぬるっと」しているのだろうな。

これ、わりとどんな疾患にも当てはまるのかもしれない。例えば切り傷すり傷などは回復の過程が目で見て分かるが、一方で目に見えない疾患もまた、もしかすると同じような過程をたどっているのじゃないか。傷はかさぶたとなり、かさぶたは厚くなり、やがて剥がれ、剥がれた部分の若くて白い皮膚が、少しずつ周りと同じ色に変わっていく。最後の段階を「治癒」と呼ぶにしろ、もうすでにかさぶたの段階で生活に支障はなくなるだろう。水が染みたりするようなこともないし。それでもかさぶたが薄いうちは、何かの拍子で裂けたり剥がれたりして、また血がにじんでくるようなこともある。だから、それなりに生活しつつ、それなりに傷にも気をつかう。パニック症の回復が同じような過程をたどっているとして、目には見えないからどうしても「今ここ」が分からない。でも治ってから振り返ると、確かにそれなりの段階はあった気もする。なんかそんな感じだったよなーと。

だからこそやっぱり思うのだけど、「今このへん」が分からないのだとしたら、その状態で大事なのは「なんとかかんとかやる」なんだきっと。「疾患だからできなくてもしょうがないや」で溜飲を下げるのじゃなくて、「疾患だから症状が出るのはしょうがないや」で納得するのだ。症状が出るのを大前提に、なんとかかんとか生活のあれこれをやり続けるしかない。だって、治ってからやるぞと決めたところで、いつ治ったかをリアルタイムで自覚できないのだから、どんぴしゃなタイミングが測れるはずもないわけで。

その上で、「なんとかかんとかやってる私てぇてぇー」とギャルマインドで自分を愛せたら、それこそ最強じゃないか。これは個人的な話でもあるが、実際、できない自分を愛すより、不器用ながらもやろうとする自分を愛す方が自分のニーズに合っていた。それまでの私は、「できないと分かってるんならやらねーかっこわりーじゃん」という昭和ヤンキーマインドだった。失敗が何より怖くて、ずっと斜に構え続けてきた。それで夢らしいものから逃げたりもした。そんな自分を、誰あろう自分自身が1番「かっこわりー」と思っていた。それもあって、「しんどくてもカッコ悪くても、転がりながらやる」ことが、自己肯定感を高めるためにも必要だったりしたのだ、その時の私にとって。いや、できなくってもいいと思う。てか、人間なんでもかんでもうまくできるわけじゃない。今となってはむしろ「できない自分」も愛しいと思える。ただ、この時は「治療なう(古)」状態で、「なんとかかんとかやる=曝露療法」の印象だったから、そっち方面にメンタルを引っ張ったんだと思う。「自分を好きになりたい」という切実な願いが、ちょうど治療と噛み合って、なんとなくいい感じの選択ができていたのかもしれない。その点、ちょっとラッキーだった。

あ、あと、その頃抱えていた人間関係のストレスを、物理的にうまく遠ざけられたこともラッキーだったと思う。ストレスはたぶんかなりデカい。ストレスがあると、シンプルに「がんばれない」。とりわけ曝露は、がんばらないとなかなかできない。そういう意味では、環境調整含めメンタル、フィジカル両面でストレスをできる限り排除するってのは、治療にとってめちゃくちゃ大切な土台づくりなんだと思う。その時ストレスから解放されて、「え、ストレスがないって、こんなにも日々が軽やかなの?」と思えた。この経験ができたことは、私の人生においても相当重要だったと思っている。

というわけで、パニック症の回復はもやっと、ぬるっとなのだ。自分が今、回復の過程のどの辺にいるのかは、別に知る必要はないのだろうと思う。ていうか知るのむずいし。分からないからこそ、やるしかない。たとえ失敗しても、それでもまたやろうとする自分を尊ぶのがきっといい。少なくともそのマインドで、私は回復と自己肯定感の二兎を得た。すごく恵まれた例だと我ながら思うが、とりあえず記録として残してみた次第。noteを文字通りメモ的に使ってるよなと、つくづく思う。(おわり)

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