天使のつぶやき

私には娘が一人いる。

3歳。天使で悪魔。マイペースで人見知り。怖がりなのに向こう見ず。食べるの好きなのに偏食。シャイなのにお調子者。いろんな顔を持つ彼女だが、時々こちらがハッとするようなことを口走る。

ある日、夕食前に娘がテレビでアニメのDVDを観ていた。配膳が済んだ頃に「もうごはんの時間だから、一旦止めておこうね」と言って、リモコンで一時停止した。

すると娘が「ママ!このこ、おめめがにじみたいだよ!」と嬉しそうに言った。画面を見てみると、そこには目を細めにっこり笑ったキャラクターの顔がアップになっていた。

突然の100%ピュア名言に面食らった私は「そ、そうか!笑ったらお顔に虹がかかるんだね!」と、それっぽく返した。
娘は満足そうに笑った。

このやりとりの後、ふと思い出したことがある。

私が子どもの頃、母が地域の子育てサークルに参加していた。そこではお母さんたちが子どもたちのつぶやいた言葉を書き留めて持ち寄り、厳選して冊子にしていたのだ。

私が大学を出て就職した頃に、母がその冊子を私にくれた。そこには幼い私や弟の言葉が並んでいた。思わず笑った言葉、ちょっと泣ける言葉、感心する言葉。気恥ずかしくもあったけれど、慌ただしい日々の中で私たちの何気ないつぶやきを拾ってくれていたのだと思うと、素直に嬉しかった。

それからというもの、仕事に疲れたとき、恋愛や人間関係が上手くいかなかったとき、なんとなく手に取るのはこの冊子だった。これは私が家族から優しく見守られながら育ったという証のひとつだったから。大切にされてきた自分を、今度は自分で大切にするのだと思えたからだ。

娘が生まれてからずっと、自分に問いかけてきたことがあった。母として、この子にしてあげられることは何だろう。
お料理が得意なわけでも、お裁縫が得意なわけでもない私は、手の込んだ可愛いキャラ弁も手作りのワンピースも作ってあげられない。手に職は無いし、これといった特技も無い。

そんな私に何か出来るとしたら、それは娘のつぶやきを集めることなのかもしれないと考えたりする。
彼女の言の葉を集めて、大きな木にするのだ。

これから先、娘にはたくさんの試練が待ち受けているだろう。
お友達とうまくいかない日があるかもしれない。
勉強や部活で行き詰まることがあるかもしれない。
失恋したり、転職したり、もしかすると病気を患うことがあるかもしれない。
人生には予測できない様々な転機がある。

そんなとき、このつぶやきの木があったなら…

もたれかかってゆっくりと深呼吸ができるかもしれない。少しの間雨を凌いだり、木陰でのんびり過ごすことができるかもしれない。
…私がそうだったように。

そんなことをふんわりと思いながら、かつての母の愛とまなざしを胸に抱き、今日も私は娘の落とした煌めく葉っぱを拾い集めている。

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