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第3章 騙す人の考え方 | なぜあなたは騙されてしまうのか

・湾岸戦争の始まりはひとつのウソから

 
 我々が暮らす日本は世界的に見てサブカルチャー分野が非常に発達しており、2021年のアメリカにおけるゲーム売上高ランキングではトップテンのうち6つが日本企業及びその傘下の企業が販売するソフトでした。さらにその半数である3つが、言わずと知れたゲーム企業の最大手、任天堂のゲームです[1]。

 家庭用ビデオゲーム機「ファミリーコンピューター」の発売以来、世界的ゲーム企業として第一線を走り続けている任天堂ですが、その知名度ゆえ、戦争の別名に「ニンテンドー・ウォー(任天堂戦争)」と付けられてしまったこともあります。その戦争というのが、1991年に勃発した湾岸戦争です。湾岸戦争の最中に米軍の兵士が任天堂のゲーム機「ゲームボーイ」に興じており、爆撃を受けた土地から発見された黒焦げのゲームボーイが正常に作動したという逸話がありますが、「ニンテンドー・ウォー」の由来は別に存在します。それというのも、湾岸戦争ではアメリカをはじめとする参加国が当時の最先端技術を駆使した兵器を投入し、ミサイルを狙ったところに落とす様子がまるでビデオゲームのようであったことから、英語圏のメディアにより「ニンテンドー・ウォー」と揶揄されたのです[2]。

 このように、アメリカやイギリス、フランスなど様々な国が参加し、ハイテク兵器まで使用され1万人以上の死者を出す大規模な戦争となった湾岸戦争ですが、この開戦の裏には、実に恐ろしい謀略があったと言われています[3]。

 1990年10月10日、アメリカ・ワシントンの連邦議会で下院人権議員集会により公聴会が開催され、6人の証言者がイラク占領下のクウェートで行われたイラク兵による残虐行為を明らかにしました。その6人の中でも、当時15歳の少女・ナイラが泣きながら語ったクウェートの惨状は、出席者に衝撃を与えました[4]。以下に当時の発言を引用します。

   私はアル=アダン病院でボランティアとして働いていました……ある時、イラク軍の兵士が銃をもって私がいる病院に押し入りました。彼らは保育器で治療中の赤ん坊15人がいる病室に入り、保育器から赤ん坊たちを次々に取り出し、保育器を奪っていきました。残された赤ん坊たちは、冷たい床の上で死に絶えてしまいました[5]。

 この証言はすぐさま大きなニュースとなり、当時アメリカ大統領であったブッシュ(いわゆる「パパ・ブッシュ」の方)が「大勢の赤ん坊が殺された」とスピーチで取り上げ、イラクに対する軍事行動の開始を訴えました。その結果、湾岸戦争が行われたわけですが、戦争の終結後、この証言が虚偽であったことが発覚します。

 そもそも、ナイラという少女は当時のクウェート駐米大使、サウド・ナジール・アル・サバの娘であり、イラクによるクウェート占領中にはクウェートに滞在していませんでした。また、連邦議会で行われた公聴会自体がクウェートの亡命政権やアメリカ政府からの援助により立ち上げられた団体「自由なクウェート市民」によるPRイベントだったのです[4]。

 湾岸戦争の一因となった虚偽のスピーチは、その証言者の名前から「ナイラ証言」と呼ばれ、戦争や政治活動などにおける煽動行為を語る際にたびたび引用されます。このように、特定の思想を宣伝する行為を「プロパガンダ」と呼びますが、まずは、プロパガンダにおいてどのように人間の思考を操ろうと企図されているのかについて見ていくことにします。


・ナチスのプロパガンダ


 プロパガンダを語る上で、避けて通れないのがナチスドイツによる宣伝活動です。ナチスドイツにおいては、ナチスの指導者であったアドルフ・ヒトラーや、宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスなどにより、現代に通ずる様々な宣伝工作が行われたことが知られています。

 まず、ヒトラーはその卓越した演説の能力及び技術で国民に自身の考えを訴求しましたが、中でも有名なのが演説を行った時間です。ナチ党内部で着々と築き始めていた1920年頃、ヒトラーは夜の8時半から11時頃までの間に演説を行っていました。これは聴衆が1日の労働により疲弊し判断力を失っているため、意見を素直に受け入れることを狙って行われたと言われています[6]。

 実際、書店のビジネス書コーナーを見て回ると、大量のページの終盤にセミナーへの申し込みを促す書籍が見受けられます。セミナーの良し悪しは別として、このような手法もヒトラーの演説と同様の理屈なのでしょう。

 また、カルト教団やマルチ商法、ネットワークビジネスの勧誘にも、こうした手法が見られます。一般的にこれらの勧誘は数時間にわたって行われることも多く、長時間にわたり勧誘者の説明を聞かされると疲弊してしまいます。そうして判断力が鈍ることで説明を鵜呑みにしてしまい、結果として組織に引き込まれてしまう、という寸法です。したがって、怪しげな勧誘を受けた場合、いかに短時間で切り上げられるかという点が誘いに乗らないために有効であると考えられます。

 また、ヒトラーの演説には、人心を掌握するために弁論術が巧妙に用いられました。例えば、1925年12月12日に行われた演説では、導入として目前に控えたクリスマスの話題を提示し、イエス・キリストの時代と演説当時のドイツを重ね合わせることで自らを救済者として印象付けました。続いて主張、理由づけ、結論という順番で論を展開し、民衆に主張を理解させるのですが、それらの論の中に独特のレトリックが用いられました。まず、非常に多く見られたのが「AではなくB」という二分法です。二分法を用いて主張を行うと、Aという劣った(ように見せられている)選択肢によってBという選択肢が際立ち、聴衆に片方の選択肢、すなわちBを採用することを迫ることが可能です。

 次に、敵対勢力など自らの思想に合致しないものに対してメタファーを用いて糾弾する論法もみられました。同演説においては、ヴァイマル連合による統治を「毒によって生み出された時代」、ナチ党の政治活動を阻む国家権力の試みを「指導者たち(=ヒトラーを筆頭とするナチ党員)を倒して麻痺させようとするあらゆる試み」と、「毒」「麻痺」という喩えを用いて非難する場面が見られました。このようなメタファーは、抽象的で捉えにくい概念を具体化して想像しやすくするとともに、意味をずらして印象付けることで敵対勢力を恐怖の対象と認識させるために有効です。

 さらに、ヒトラーは演説の中で程度をずらして大きく印象づける「誇張法」を多用しました。同演説においては「最良の」「最もあわれむべき」という最上級表現のほか、「熱狂的な」「途方もない」という誇張表現、「どの~も」という例外を排除する表現もみられました。そして、演説中にみられた中でも非常に恐ろしいのが、「もし~ならば」という仮定表現です。同演説においては、「もしわれわれが鉄のような精力と粘り強さと最高の信仰を持ってわれわれの所業をなすならば、われわれの所業は如何なる現世の権力によってもくじかれることはありえないであろう」などの形で仮定表現が用いられています[7]。

 この構文を使用すれば、たとえ現実に即していない事象でも、話者の思うままに結論を導くことが可能です。例えば、私が(絶対にあり得ませんが)殺人を肯定したい場合には、「もし、人類がみな心の内に殺人の願望を抱いているならば、我々は常に危険にさらされていることになります。通りすがりの者はもちろん、我々の友人や同僚、家族でさえ、我々の生存を脅かす存在なのです。したがって、我々が自らの生を全うしようと思うならば、殺される前に殺す、すなわち殺意を明確に向けていない人間であろうと未然に殺人をする必要があるのです」という形で論理を展開することで私の目標は達成されます。当然ながら、現代社会において殺人は容認されませんが、「人類がみな心の内に殺人の願望を抱いている」という現実とかけ離れた仮定を用いれば、殺人の許容という非倫理的な言説すらも正当化されうるのです。

 これは第1章で述べた「信念バイアス」と全く逆の事象が起こっているわけですが、現にヒトラーはこのようなレトリックを駆使した演説によってドイツ国民の支持を得たのです。したがって、何者かが説得を試みている場合には、まずは二分法やメタファー、誇張法、仮定表現といった装飾品を取っ払った素の状態を見抜くことが重要です。そして、結論のもっともらしさにかかわらず、説得するための論理が正しいか、あるいは飛躍していないかを熟慮する必要があるのです。

 一方、ゲッベルスは宣伝省の大臣として、文化はもちろん芸術や娯楽をも利用したプロパガンダを指揮しました。中でも、彼は映画がもつ民衆への影響力を非常に高く評価していました。宣伝省の設置直後に行われた集会ではソビエト連邦の映画『戦艦ポチョムキン』を引き合いに出し、宣伝映画としての側面を高く評価しつつも、共産主義を宣伝している点については注意すべきであると、映画を用いた宣伝の(ナチ党にとっての)あるべき姿を映画関係者に対して説きました[8]。そうして制作されたのが、ナチ党の第五回党大会を記録した『信念の勝利』や、反ユダヤ主義を盛り込んだ『ロスチャイルド家』などの映画なのです。

・アカデミー賞映画とプロパガンダ


 映画をプロパガンダに利用していたのは、ソビエト連邦やナチスドイツだけではありません。第二次世界大戦においてナチスドイツと敵対していたアメリカでは、娯楽の成分を高めたプロパガンダ映画が製作されます。それが、第16回アカデミー賞で作品賞を受賞したアメリカ映画『カサブランカ』です。同映画は、モロッコの都市・カサブランカを舞台に繰り広げられる一組の男女の恋愛模様が描かれたドラマ映画で、現在でもハンフリー・ボガート演じるリックのセリフを和訳した「君の瞳に乾杯」が名訳として語り継がれるなど、日本でも長年にわたり高い評価を得ている不朽の名作です。それがプロパガンダ映画である、というのは一体どういうことなのでしょうか。

 実は、この映画の脚本家であるエブスタイン兄弟は、『カサブランカ』という映画が兵士の教育や士気の向上につながるように筋書きしたというのです。例えば、冒頭のシーンでは地球儀が登場するのですが、まずアメリカと日本が両方とも収まる画角で太平洋が映され、そこから地球儀が回り、中国、インド、アラビア半島、そして地中海に視点が移ります。この一連のシーンについて、コーク大学のデニス・リネハンは、当時のアメリカ情勢が反映されていると指摘しています。『カサブランカ』がアメリカで公開されたのは1942年11月であり、その前年、1941年12月には日本軍により真珠湾攻撃が行われました。真珠湾攻撃以来、第二次世界大戦におけるアメリカの最たる敵は日本であり、地球儀のシーンが太平洋を挟んでアメリカと日本が対立する画角から始まったのは、映画の観客にこの敵対関係を強調するためである、とリネハンは推測しています[9]。この他にも、米軍にアフリカ系アメリカ人が加入することを肯定する表現や、反ドイツ的な表現など、プロパガンダを意図したと思われるシーンは枚挙に暇がありません。

 さて、このように『カサブランカ』は娯楽映画として大成功を収めたプロパガンダ映画であったわけですが、プロパガンダを行う際には娯楽としての側面が重要であるということは、ゲッベルス自身も深く理解していました。実際、『戦艦ポチョムキン』を引用した先の演説の中で「このこと(=『戦艦ポチョムキン』によるプロパガンダ)は芸術作品の中に傾向を非常にうまく含めることができるということ、すぐれた芸術作品という手段を使って行われるなら、最悪の傾向でもプロパガンダできるということを示しています」と述べており、「非ドイツ的音楽」と揶揄されたジャズについても、娯楽を適度に活用したプロパガンダの効果を狙って積極的に利用されました[8]。

 これは何も第二次世界大戦中に限ったことではなく、現代でも手を変え品を変え活用されています。例えば、2022年に発生したロシアによるウクライナ侵攻に際しては、何者かがロシア国内のインフルエンサーに報酬を支払いティックトック(若年層を中心に人気のショートムービー投稿アプリ)で親ロシア的な投稿をさせたことが判明しました[10]。ティックトックはショートムービーを流し見するという特性上、ツイッターなどと比較して娯楽性が非常に高いアプリです。ここに親ロシア的なプロパガンダが紛れ込んだ場合、それは娯楽を活用したプロパガンダに該当すると言ってよいでしょう。このように、我々が普段「娯楽」として享受しているコンテンツでも、実はプロパガンダの材料であることがあるのです。

 さて、このように宣伝省の大臣としてプロパガンダを指揮したゲッベルスですが、彼はプロパガンダの手法については次のようにも述べています。

 一般市民は、私たちが想像する以上に原始的である。したがって、プロパガンダは常に単純な繰り返しでなくてはならない。結局、諸問題を簡単な言葉に置き換え、識者の反対をものともせずに、その言葉を簡明な形で繰り返し繰り返し主張し続けることができる人だけが、世論に影響を与えるという最終的な結果を残せるのだ[11]。

 我々を取り巻く環境を見直すと、ゲッベルスが説くところの「繰り返し繰り返し主張」が想像以上に溢れていることが分かります。テレビやラジオのコマーシャルや街頭の広告に加え、都市の街中ではキャッチーな楽曲を大音量で流しながら求人広告のラッピングをしたトラックが走り、選挙が近付けば街宣カーからしつこいほどに候補者の氏名が何度も叫ばれます。このような広告戦略が未だにとられているのは、ゲッベルスが言う通り、一般市民が原始的だからなのでしょうか。

・ヒトは繰り返し接したものに愛着をもつ


 ゲッベルスの話を引用した際に想起した方も多いかと思いますが、社会心理学の心理効果に「単純接触効果」というものがあります。単純接触効果とは、1968年にアメリカの心理学者、ロバート・ザイアンスにより提唱された心理効果で、ある対象に繰り返し接することでその対象への好感度が高まるというというものです[12]。提唱者であるザイアンスは、単純接触効果を発表した論文において、「ヒトの赤ちゃんは新しいものに対して恐怖や嫌悪を抱くが、それに繰り返し接することで興味を抱くようになる」という研究を引用しつつ、単純接触効果が理にかなったものであると述べています[13]。

 つまり、単純接触効果はヒトないし動物に生まれつき備わった、言うなれば「種族のイドラ」なのです。したがって、「繰り返し繰り返し主張」が有効なのは一般市民が原始的だからというより、一般市民を含めたヒト全体に備わった性質のためであると言った方がよいでしょう。

 ただ、単純接触効果を利用した広告戦略がほぼ全ての人間に有効であるからといって、決して広告の全てが悪であるわけではありません。我々は多種多様な広告に囲まれて生活しており、誰もが少なからず広告の影響を受けた行動をとっています。家具や家電製品、食品など、必需品を購入する際の動機にも広告の関与が考えられますし、それらを購入した店舗すら、広告によって選んでいる可能性があります。ですが、我々はそれによって不利益をどれだけ被っているのでしょうか。好きな俳優が出ているからという理由で特定の銘柄の洗濯用洗剤を選んで、騙されたと感じた方がどれほどいるでしょうか。電車の中吊り広告で見かけた雑誌を購入して、苦痛を味わった方がどれほどいるでしょうか。恐らく、そのような経験がないか、あっても些細な出来事と捉えている方がほとんどでしょう。

 それより、我々が注意を払うべきなのは、広告の影響を受けた後です。例えば、1980年代に存在した豊田商事という企業は、レオタードを身にまとった白人女性が大きなボールを打ち返し続けるという、業務内容に一切触れないコマーシャルを放送していました。しかし、同社は顧客が純金を購入し、同社が純金を預かっている証明として「純金ファミリー契約証券」という証券を顧客に渡すという手口で約2000億円(実被害額は推定で1470億円程度)を詐取しました[14]。また、豊田商事の手口はテレホンレディによる電話勧誘とセールスマンによる飛び込み営業の2本立てで、特に後者は家に上がり込んで五時間以上も居座り続けるという執拗な勧誘で知られています。そして、購入意欲を示した者や弱気を見せた者は豊田商事の営業所に来社し、そこで顧客は豪華な設備や調度類、同社の立派な建物の写真などを目にし、社員によるセールストークを受け、場合によっては金地金の現物を持たされたりもしました(ただし、自分のものになるわけではない)[15]。こうして、強引な勧誘と巧妙な話術により、3万人以上とも推定される顧客は大金を騙し取られてしまったのです。結局のところ、顧客の手元に純金の実物が渡ることはなく、その説明を受けた時点で怪しむべきだったのです。

 他にも、オレンジ共済や投資ジャーナルなど、コマーシャルを放送していた詐欺会社は豊田商事に限らず存在します。また、業務停止命令が下った健康関連会社や、悪質な取り立てにより自殺者を生んだ金融業者など、一般に「悪徳業者」と呼ばれる企業がコマーシャルを放送していることは珍しくありません。つまり、コマーシャルは決して企業の信頼性を保証するものではないのです。したがって、我々は企業の宣伝を見聞きした後、実際にその企業と失ったら手痛い額をやり取りする際、事業内容に疑うべき点がないかどうかを精査する必要があるのです。

 さて、こうした悪徳業者が利用する手口は、決してコマーシャルだけではありません。続いては、悪徳業者がどのような手口で騙すのか、ということについて見ていくことにします。


・あなたがうなぎ屋で「竹」を選ぶ理由


 通販番組などを視聴している際、「通常価格が○○円のところ、本日ご注文の方に限り△△円でご提供させていただきます」などという売り文句が聞かれることが多々あります。これに類似した商法は、通販番組に限らず、もっと身近な場所でもみられます。量販店のチラシやポップなどでみられる通常価格と特価の併記(=二重価格表示)や、スーパーマーケットの「表示価格より○割引」という販売方法なども、先ほどの通販番組の例と同じ原理です。

 以上の例のように、未知の数値を見積もる前に特定の数値を提示されると、提示された数値を基準に判断してしまう傾向のことを「アンカリング効果」、あるいは単に「アンカリング」といいます[16]。また、アンカリングの影響を受けた判断のことを「アジャストメント」といいます[17]。ちなみに、これに似た心理効果に「おとり効果」と呼ばれるものも存在します。おとり効果とは、選ばれにくい選択肢を入れることで他の選択肢が魅力的に見える心理効果のことです[18]。例えば、焼肉屋やうなぎ屋などの飲食店でみられる並・上・特上の3種類のラインナップで上が選ばれがちなのも、このおとり効果によるものです。3種類のラインナップについては、特上だと高いが、並だと質が悪そう、という考えに基づき上ランクを注文する頻度が高くなる、という理屈です。

 通販番組や量販店、スーパーマーケットの例は、景品表示法に抵触しない限りは問題がないものと思われますし、消費者の心理を利用した経営戦略として容認されるべきでしょう。その一方、代替医療機器や健康食品などを販売する悪質な業者で用いられる場合もあります。ある代替医療機器業者の場合、高い効果を得られるという数百万円の「A」という商品がありますが、庶民には数百万円など簡単に手を出すことができない価格です。そのため、別の選択肢として、Aより効果は劣るが数万円で購入することができる「B」という商品が存在します。このスキームとしては、Aの数百万円という高額な価格設定で顧客をアンカリングし、その後にBの数万円という手の届く価格を提示することで、顧客に「安い!」と思わせる(=アジャストメント)というものです。しかし、冷静に考えれば数万円でも十分に高額であり、商品Bを安価であると思い込むのは感覚が麻痺しているのです。


・日本車が売れるとアメリカ人が自殺する!?


 また、代替医療機器や健康食品などの販売業者について、ホームページに疑似科学や誤った科学的知識が説明されていることがあります。科学に関するリテラシーを備えた方であればまず騙されないのですが、科学に暗い方の場合には第1章で述べた「認知閾」を超えてしまい、ホームページの誤情報を鵜呑みにしてしまう、ということも考えられます。その最たる例が、一時期話題となった「水素水」です。

 水素水とは、その名の通り水素を通常より多く含んだ水のことで、酸化防止や老化予防などの効能が謳われました。実際に高濃度水素水の臨床研究では、関節リウマチ患者へ投与したところC反応性タンパク質(CRP)という炎症を示すタンパク質の血中濃度が低下するなど、病態や体調の改善を示すデータが得られています[19]。しかし、岡山大学の中尾篤典によると、市販の水素水では水素濃度が非常に低く、有効性を示すのは難しいようです[20]。それにもかかわらず、中小企業だけでなく大手企業までもがブームに乗じて水素水を発売し、ホームページ上でそれらしい説明を行うまでに至りました。そして、業者の中には「H10O」や「H14O」などという常識を大きく逸脱した化学式を表示したり、水素水に関する論文を引用し、自身に都合のいいよう曲解して説明に加えたりする手合いまで現れました。

 このように、騙す手合いはしばしば数字やデータを用いて欺くことが多々あります。まず、代表的な手法に「疑似相関」というものが存在します。疑似相関とは、実際には無関係の2つのデータをあたかも関係があるように示すことです。「tylervigen.com」というアメリカのサイトでは様々な疑似相関が提示されていますが、そのうち「モッツァレラチーズの支出と土木工学者の受賞数は比例する」という疑似相関であれば「そんなバカな」で済まされますが、「アメリカにおける日本車の売り上げと車の衝突による自殺者数は比例する」という疑似相関であれば、「車」という共通項があるぶんもっともらしく考えてしまってもおかしくないでしょう[21]。

 また、疑似相関には「第三の因子」が存在することもあります。例えば、飲酒量と肺癌の罹患率は比例するのですが、これには喫煙者が飲酒する割合が高いことが関係しています[22]。つまり、飲酒量が多い人はタバコを多く吸う、タバコを多く吸う人は肺癌に罹りやすい、という図式から「タバコを多く吸う」という要素が欠落したことにより飲酒量と肺癌の発生率が比例するように見えてしまったのです。実際、国立がん研究センターの報告でも、非喫煙者において飲酒量と肺癌の罹患率に比例関係は確認されませんでした(ただし、喫煙者では飲酒量と肺癌の罹患率が比例するようです)[23]。この例における喫煙のように、実際は無関係な2つの事象を関係があるように見せてしまう因子のことを「交絡因子」と呼びます。したがって、我々は相関のデータを見せられた際、データが科学的に正しいものか否かはもちろん、本当に二者間に関係があるのか、交絡因子が存在していないか、ということも考える必要があるのです。

相関関係に関しては、「錯誤相関」が手法として用いられることもあります。錯誤相関とは、実際は無関係な複数の出来事に関連性を見出すという認知バイアスのことです[24]。例えば、靴を飛ばして行う天気占いも、体の動きや地面の形状などから偶然に生まれた靴の向きが、気候という全く無関係な要素と結びつけられており、錯誤相関の典型的な例と言えるでしょう。

 では、錯誤相関はどのように怪しいビジネスに応用されているのでしょうか。皆さんの中には、雑誌や新聞などで恋愛が成就するアクセサリーや金運アップのパワーストーンなどの広告を見かけたことのある方も多いでしょう。実際に購入したことがあるという方も、もしかするといるかもしれません。そういった広告には、使用者の声として「使い始めてから宝くじで高額当選しました!」「商品を購入してから事業が大成功しました!」といった喜ばしい経験談が添えられていることもよくあります。果たして、こうした商品には実際に効能はあるのでしょうか。

 あくまでも個人の意見に過ぎませんが、私はこうした商品に効能はないと考えています。それというのも、宣伝に使用されている経験談は、仮に本当だとしても1つのサンプルに過ぎず、その商品を購入した場合と購入しなかった場合で明確な差が生じるか否かを示すものではありません。また、実際に商品を購入した後に喜ばしい出来事が起こると、それを錯誤相関によってアイテムが幸運を呼び込んだと勘違いすることが考えられます。そして、得てしてアイテムが有する力を信じ込んでしまい、その結果としてスピリチュアルにのめり込んでしまう、ということも考えられるのです。


・みんなの特性は自分だけの特性?


スピリチュアル関連では、「バーナム効果」を利用する例も頻繁に見られます。バーナム効果とは、一般化された曖昧な文章を、自分の性格に該当するものとして受け取ってしまう傾向のことです[25]。この心理効果が用いられる事象として、非常に有名なものが占いや心理テストです。例えば、血液型占いではA型の人は几帳面、B型の人はマイペースといったステレオタイプが存在しますが、几帳面でないA型の人も、協調性の高いB型の人も、きっと皆さんの周囲にいらっしゃることでしょう。ただ、それが自分に当てはまるかどうかという視点だと、話が少し違うようです。それというのも、人間は様々な性格や特性を少しは備えており、自らの記憶から占いの結果に合致する例を引き出し、占いが当たっていると解釈してしまうようなのです[26]。

 バーナム効果は決して占いや心理テストの全てに当てはまるものではなく、真っ当なものであれば、それらの存在を否定するつもりもありません。それに、過度に占いに依存して行動の全てを占いに任せたり、占いに通い詰めるあまり相談料を払いすぎて自己破産したり、ということでもない限りは占いや心理テストが実害をもたらすことはそこまでないでしょう。

 それよりも、バーナム効果が我々に損害を与えるのは、詐欺師がこの効果を利用した場合です。詐欺師にとって、ターゲットの信頼を得ることが非常に重要である、ということは言うまでもないでしょう。そのための手段として、大部分の人間に該当する事柄をあたかもターゲットのみに当てはまるかのように語ることで、ターゲットの懐に入り込むことが考えられます。また、詐欺師はここにコールド・リーディング(外見や会話から相手の情報を言い当てる手法)などの話術を組み合わせ、ターゲットを信じ込ませる、ということも考えられます。そして、すっかり詐欺師に心を許してしまったターゲットは、残念なことに金品を巻き上げられてしまうのです。

 読者の皆様にはこうした手口で騙されないよう警戒していただきたいのですが、特に「こんな手口で自分が騙されるわけがない」と感じた方はご注意ください。第1章で「正常性バイアス」という認知バイアスを紹介しましたが、自分が詐欺に遭うはずなどない、という考え方は正常性バイアスによる可能性があるのです。このバイアスが働いている状態では、都合の悪い情報(ここでは「自分が詐欺の被害に遭う」という事象)を過小評価してしまうため、詐欺を軽視した結果騙されやすくなってしまうのです[27]。詐欺被害のリスクは誰にでも少なからず存在しますので、他人事として捉えず、自分が騙されていないかというアンテナを高く張っておく必要があるのです。

 さて、これまでは騙される側の視点で騙しの手口を見てきましたが、続いては騙す側の視点から騙しの手口を見ていくことにします。


・騙しには信頼が必要


 まず、誰かを騙そうとする場合、自説に説得力をもたせる必要があります。そのためには、自説を裏付けるだけの証拠を用意しなければなりません。この証拠集めの段階で生じるのが、「チェリーピッキング」という行為です。マーケティングの世界では収益を見込める顧客を選び取ることをチェリーピッキングと呼ぶそうですが、ここでは、自らにとって都合の良い根拠のみを選び取ってこじつけることを指します[28]。

 チェリーピッキングは決して騙しの手口のみに用いられるわけではなく、故意か否かはさておき、学問の世界でもしばしば利用されてしまいます。アカデミックな場面でチェリーピッキングが用いられた場合、実験結果や報告が真実であるか判断しづらくなり、最悪の場合には研究が有効でないと見なされてしまいます[29]。したがって、騙しの手口としてチェリーピッキングが用いられた場合にも、提示された証拠が妥当かどうか判別しにくくなることが予想されます。それゆえ、騙しの手口としてのチェリーピッキングは非常に厄介な手段であるといえます。

ちなみに、チェリーピッキングと類似した概念に「確証バイアス」というものが存在します。これは、自身が正しいと考えている事柄を支持するものばかりに注意する傾向のことを指します[30]。

 このバイアスが示された有名な実験に、「2-4-6課題」というものがあります。この実験において、被験者は「2、4、6」という三つの数字の並びが簡単な規則に従って並んでいることを伝えられ、続いて被験者はその規則がどのようなものであるかという仮説を立て、それを立証するような3つの数字の並びを提示することを求められます。その提示に対し、実験者は規則に従っているか否かを被験者に伝えます。そして、被験者は本当の規則の立証に必要な最低限の数字の組み合わせを提示するまで、仮説の検討と3つの数字の提示を繰り返します。

 この実験において、本当の規則は「だんだん数字が増えていく」なのですが、1回目の提示でこの規則にたどり着いた被験者は、29人中わずか6人に留まりました。ただ、この実験の本質は、いかに少ない回数で正解にたどり着けるかではありません。このように法則性を探す作業においては、仮説に反する例を挙げることが重要です。例えば、この実験において、「2、4、6」という数列を見て「2ずつ増える」(実験において1回目の解答で最も多かった仮説)という仮説を見出したとします。この場合、仮説を否定するような数列(「1、4、7」や「2、8、12」)を提示し、仮説以外の可能性を潰すのが妥当です。それというのも、この仮説においては、「2ずつ増える」に該当する組み合わせに比べ該当しない組み合わせの方が圧倒的に多く、仮説は本当の規則に当てはまる数列のうちの特殊なものである可能性が高いのです。しかし、実験においては、仮説に当てはまる例の解答が半数以上を占めたのです[31]。

 この実験結果からわかる通り、我々は自らの考えに合致する事柄にとらわれ、その他の事象に目を向けないという傾向を有しています。もし我々がそのように盲目的な行動をとっていることに気付かない場合、知らず知らずのうちにチェリーピッキングを行ってしまい、事実とは異なる根拠を述べてしまう、すなわち意図せず他者に誤ったことを言う可能性があるのです。そのような事態を避けるために、確証バイアスがどのようなものであるかを知っておくことは有用でしょう。


・公園のアリを踏み殺してもよいのか


 次に、誰かを騙そうとする際、自説と矛盾する事実を突きつけられた場合には、上手く切り返して相手を丸め込む必要があります。この時、しばしば用いられるのが詭弁です。一応確認しておくと、詭弁とは「こじつけ・ごまかしの議論」という意味です[32]。詭弁の種類にも様々ありますが、今回は「騙しのテクニック」として重要と考えられるものを4つほど紹介します。

 1つ目は、論点をすり替えることです。専門的には「論点変更の虚偽」などとも言うようです[33]。論点のすり替えは基本的な詭弁ではありますが、意外にもあらゆる場所で、手を変え品を変え用いられています。この詭弁が用いられるケースとして、次の会話を想定します。

A「アリにも命があるんだから、簡単に殺しちゃいけないよ?」
B「アリはそこら中を歩いてるんだから、みんな知らない間に踏みつぶしてるよ。アリの命なんて、所詮はそんなものだよ」

 このケースでは、Aの論点がアリを殺すことの善悪であったのに対し、Bの論点はアリを踏みつぶす人間の多さについてであり、Bにより論点がすり替えられていることが分かります。これがセールストークにおいて用いられる場合、例えば高額の配当金を謳う商品であれば、次のような会話が想定されます。

顧客C「このシステムに加入した場合、預けた元金は戻ってきますか?」
セールスマンD「心配しないでください。加入していただければ、元金の一%に相当する配当金が毎月振り込まれます」

 このケースにおいて、Cの論点は預けた元金が戻るか否かである一方、Dの論点は月々の配当金についてであり、Dにより論点がすり替えられています。したがって、この会話において、DはCに対して元金を保証していないことになります。

 また、論点のすり替えに類似する詭弁に「藁人形論法」というものがあります。この論法は、議論している相手の言葉を正しく引用しなかったり、歪めて解釈したりすること、または歪められて生じた架空の意見そのものを指します[33]。以下に使用例を挙げます。

E「私は掃除が苦手だから、できることなら教室掃除をしたくない」
F「掃除をしなければ、この教室がゴミやホコリだらけになって、いずれ授業をまともに受けられない環境になってしまうよ」

 この例においては、Eの「掃除が苦手だからしたくない」という論点を、Fが「Eは掃除をするつもりがない」と歪めています。その上で、Fは掃除をしなかった場合の教室を誤って引用し、掃除をしない想定のEを非難しています。

 また、この例には「滑り坂論法」という別の論法も用いられています。滑り坂論法とは、ある事象Aが容認された場合、最終的に望ましくない事象Bが起こってしまう、というような論法です[34]。ことわざの「風が吹けば桶屋が儲かる」も、この論法を用いた一例と言えるでしょう。この例においては、「掃除をしない」という事象が、「ゴミやホコリだらけになる」という事象を経て「授業をまともに受けられない環境になる」という望ましくない事象に至る、という形で滑り坂論法が用いられています。滑り坂論法の場合、論点のすり替えや藁人形論法と異なり因果関係が必ずしも誤っているとは限りませんが、自説を強化するための不適切な引用として用いられることもしばしばあります。

 また、滑り坂論法が用いられた最たる例として「ドミノ理論」が挙げられます。ドミノ理論とは、東西冷戦下の1954年に当時のアメリカ合衆国大統領であったドワイト・アイゼンハワーが提唱した理論で、ある国が共産主義化すると周辺国もドミノ倒し状に共産主義化するという内容です[35]。この理論を引用してアイゼンハワーが訴えたのが、アメリカによるインドシナへの軍事介入の必要性、すなわちベトナム戦争への参加です[36]。そして、ベトナム戦争下でアメリカによりもたらされたのが、枯葉剤による胎児奇形の増加やベトナムの一般市民の虐殺である、というのは周知の事実でしょう。

 このように、論点のすり替えや藁人形論法では意見の曲解が行われ、それに付随する滑り坂論法では自説を補強するために、時に起こりえない結論が導かれます。これらの論法に屈しないためには、議論の争点を明確にし、争点をずらされた場合には指摘して戻すこと、また滑り坂論法を悪用された場合には、その過程や結論が根拠に裏付けられたものであるか否かを確認することが重要だと考えられます。

 テクニックの2つ目は、複数の意味を有する単語を混同して用いることです。専門的には「媒概念曖昧の虚偽」と言うようです[37]。この詭弁について、まずは簡単な例から見ていくことにします。

A「朝食のことを朝ごはんとも言う。ごはんは白米のことである。したがって、朝食は白米であるべきだ」

 この例においては、「ごはん」という単語がもつ「食事」と「米」の2つの意味を混同して用いており、朝食が白米であるべきだという筋の通らない結論が出されています。正直、この例のようなことを主張する方はいないと思います。ただ、これを応用すれば、無理筋を通すこともできてしまいます。その一例と思われるのが、霊感商法や代替医療などに関して言われる「波動」です。

 波動は、物理学の分野においては「ある点で生じた振動が、周囲に広がっていく現象」と説明されます[38]。例えば、海や湖で生じる波の場合は、媒質が水であり、状態の変化は位置の変化にあたります。すなわち、波とは水面の位置変化が次々に伝わっていくことで生じる波動の一種であるといえます。

 一方、スピリチュアルの分野における波動の意味を調べたところ、正直なところ理解に苦しむ内容ばかりで、捉えどころのない概念であるという印象です。ざっくりとしたイメージでは、スピリチュアルでいう波動とは「物質がもつエネルギー」という意味合いのようです。さらに深掘りすると、スピリチュアルの世界では全ての物質は素粒子で構成されているため波動を有しており、波動は高低で表されるようです。例えば、波動が低い状態で活動すると仕事で結果が出ず、逆に波動が高い状態では体調が良く気分が高まる、といった要領で波動の高低が語られます。加えて、この波動は他者にも伝播し、波動の低い者と行動を共にすると重大な疾患に罹ってしまう、という言説も見られます。実際、あらゆる物質の根源である素粒子は波の性質を有しており、自然界の根本には波動が潜んでいると言って良いでしょう[39]。ただ、波動の高低に関しては「気分の浮き沈み」という言葉で言い換えるのが妥当でしょう。

 このように、「波動」という単語の意味は物理学とスピリチュアル業界で大きく異なります。こうした差異を故意に混同して用いた場合、例えば代替医療では、がん治療について次のような説明がなされます。

私たちの身体は、全て素粒子で構成されています。素粒子はそれぞれ固有の波動を有しており、私たちを形作る細胞も固有の周波数で波動しています。この波動に乱れが生じると、細胞のがん化が起こり、周囲の細胞に波動の乱れが伝わることでがん細胞が増殖していきます。

 この説明においては、素粒子の波動という物理学的な意味と、周囲に波動の乱れが伝わるというスピリチュアル的な意味を混同して用いています。このように、霊感商法や代替医療では、波動などの科学的な用語とスピリチュアル的な解釈を混用することで、科学的根拠に基づかない商品や治療法をあたかも根拠に立脚しているものと見せかける方法が横行しています。このような詭弁に惑わされないためには、語彙が正しく使われているかを精査することが重要であると考えられます。

 テクニックの3つ目は、多数の選択肢が存在する問題や両立しうる事象を2択の問題として取り上げることです。用語としては「誤った二分法」や「虚偽択一法」などと呼ばれます[33][40]。例えば、「人間本来の性格は善か悪か?」という問題については、「善でも悪でもない」という第三の選択肢や、「善でも悪でもある」という両立的な選択肢も取り得ます。したがって、この問いも誤った二分法の一種であると言えるでしょう。また、関係が冷え込む夫婦における女性側のステレオタイプとして語られる「仕事と私、どっちが大事なの?」というセリフも、誤った二分法を用いた言動であると言えるでしょう。

 誤った二分法を用いると、例えば金融商品のセールストークでは、以下のように主張することが可能です。

ここだけの話、この商品の価値はこれからずっと上がり続けます。なので、資産としてもっておけば、必ず将来的に利益を生んでくれます。買わずに損をするより、買って得をした方が嬉しくないですか?

 この例においては、選択肢が「買わずに損をする」と「買って得をする」に限定されており、「この商品を買わず、別の手段で得をする」などの選択肢が抜け落ちています。そもそも、損益が確実でない金融商品について「必ず価値が上がる」などと確実性を謳う行為は「断定的判断の提供」といい、金融商品取引法第38条第2項で禁止されています[41]。したがって、「買って損をする」という選択肢が抜け落ちている点については違法性が認められ、この例は極めて悪質なセールストークであると言えるでしょう。

 このように、商談の場では第三、第四の選択肢があるにもかかわらず、それを隠匿して自説の主張が行われる場合があります。このような詭弁に丸め込まれないためには、選択肢が過不足なく提示されているか否かを考慮する必要があるでしょう。

 最後のテクニックについて、初めに例を2つ示します。何が詭弁に当たるのか、それぞれ考えてみてください。

例①:A「命あるものを頂いているのだから、残さず食べなさい」
   B「無精卵や種なしブドウは命がないよ、だから残していいよね?」

例②:C「夏目漱石の小説『こころ』に登場したK曰く、精神的に向上心のない奴は馬鹿だという。つまり、馬鹿には向上心がないのだ」

 ここで、以上の2例の詭弁について考える前に、論理学の基本を押さえておく必要があります。まず、「PならばQである」という命題が存在するとして、「PでないならばQでない」という関係を「裏」、「QならばPである」という関係を「逆」、「QでないならばPでない」という関係を「対偶」と呼びます。命題が真(=事実)である場合、対偶は真になりますが、裏と逆は必ずしも真になるとは限りません。それというのも、「PならばQである」が真である場合はPがQの一部であり、裏や逆の場合にはQのうちPでない部分が偽(=事実でないこと)になってしまいます(図2)。

「PならばQ」の時、確実にPはQの中に含まれる。しかし、Qの要素の中にはPでないものも
存在することがあり、その場合には「QならばP」は必ずしも成り立たない。

 これを踏まえて例を見ていくと、①については「命あるものを食べる時は、残さず食べなければいけない」というAの論理を裏返し、Bは「命がないものを食べる時は、残しても構わない」と発言しています。一方、②について、Cは「向上心のない奴は馬鹿である」という論理の逆をとり、「馬鹿には向上心がない」と解釈しています。これらはいずれも、先ほどの「PならばQである」の図式で説明した通り、必ずしも正しいとは言えません。したがって、これらの論法を自説の主張のためにわざと用いると詭弁にあたるのです。ちなみに、例①の詭弁を「前件否定」、例②の詭弁を「後件肯定」と呼びます[28][40]。前の3項目に比べると直感で理解しにくい詭弁ではありますが、論理を用いて丸め込もうとする手合いに騙されないように覚えておくとよいでしょう。

・悪魔の言葉「私たち、友達だよね?」

 
 以上の4つのテクニックは自説を相手に信じ込ませるためのものでしたが、セールストークをはじめとする会話の場面では、相手に自身のことを信用させておくということも自説を主張する際に有効です。そのためにしばしば用いられるのが、「グランファルーンテクニック」というテクニックです。このテクニックは、個人をある集団に分類することでその集団に所属しているという意識を植え付け、そのことに対する誇りや連帯感を生じさせる手法です[42]。

 「グランファルーン」という名称は、カート・ヴォネガットの小説『猫のゆりかご』で登場する単語に由来します[43]。集団への分類という行為は、我々の周囲で高頻度に見られます。例えば、学校でのクラス分けや、学校や職場などの県人会などもその一部と言えるでしょう。確かに、学校でのクラス分けは偏りのないよう振り分けられており、運動会などのイベントを通してクラスの雰囲気が向上することも考えられます。また、県人会では連帯感の増強や故郷を離れた人々が語らう場として重要な役割をもっています。むしろ、世間で当たりまえに行われていることがグランファルーンテクニックに該当してしまう、と言った方がよいかもしれません。

 しかし、集団への帰属意識を利用して、プロパガンダが行われることがあるのです。その最たる例が、ヒトラーの演説です。ヒトラーは演説の中でドイツ民族を優秀な「アーリア人種」であると帰属意識を植え付け、共産主義者やユダヤ人を脅威として仕立て上げることで、「われわれアーリア人種は団結して共産主義者やユダヤ人に徹底して対抗せねばならない」という風潮を作り上げました[44]。

 また、このテクニックを用いるにあたり、個人を分類する集団は何でもよく、例えばコイントスによって決定しても構いません。そうして形成された集団に振り分けられた者は、集団内にいる(と思っている)者に対し信頼感をもち、集団に対し愛着を有したり貢献したりします。そして、その意識を悪用する者は、信頼感や愛着を利用して甘い話で誘う、という寸法です。そのような点で言えば、たびたび問題となるマルチ(まがい)商法やネットワークビジネスも、「かつてのクラスメイト」や「同じ地域の住民」などの集団意識を利用した商法と言えるでしょう。また、第1章で述べた豊川信用金庫事件では、知人から入手した情報の正確性は実際よりも高く評価される傾向があるという話をしました。この傾向も、グランファルーンテクニックの効力を強める原因であると考えられます。したがって、グランファルーンテクニックに乗らないためには、テクニックを利用している人物が自身と意味のある集団でつながっているのか、またその人物の言動に正当性はあるのか、ということを十分に考慮する必要があるでしょう。

 さて、ここまで騙しや宣伝のテクニックについてプロパガンダを中心に説明してきましたが、そもそも「プロパガンダ」の原義は何なのでしょうか。これについて、ドイツ語学者の高田博行は以下のように述べています。

 「プロパガンダ」という語の元になるラテン語の動詞は「繁殖させる」、「種子をまく」という意味である。情報の送り手と受け手との関係から言うと、プロパガンダの最終目的は、送り手が流す情報をあたかも自発的であるかのように受け手に受け入れさせることである[45]。

 また、三省堂編修所によると、「プロパガンダ」の原義はラテン語で「挿し木・接ぎ木で増やす」という意味であるそうです[46]。いずれにしても、プロパガンダという言葉には「増やす」というニュアンスが存在するようです。そして、プロパガンダの恐ろしい点は、先の引用にもあるように「送り手が流す情報をあたかも自発的であるかのように」考えてしまうことです。我々はどうしても、自らの信念を覆すことに難儀してしまう傾向があります。そのため、プロパガンダをプロパガンダであると見抜けずに情報を信じ込んでしまうと、自身が好んで信じている情報であると勘違いし、修正できずに誤った方向へ流されてしまう可能性が十分に存在します。

 我々は、意図をもって騙しや悪質な宣伝を行う手合いから、どのように身を護ればよいのでしょうか。そこで1つ有効な手段として考えられるのが、今更言うまでもないかもしれませんが、疑うことです。次の章では、「疑う」という行為がいかに重要であるかということを、実例を交えて検討していくこととします。

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