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既踏峰ファーストスタジオアルバム「既踏峰」について

小寺諒(Ryo Kodera)が主宰しているバンドである既踏峰のファーストスタジオアルバム「既踏峰」のリリースに先駆けて、このアルバムが生まれるに至った経緯などを語っていこうと思います。曲自体のネタばらしみたいなものはありませんので、安心してお読みいただけると思います。

スタジオ録音を行うに至ったきっかけ

そもそも、既踏峰は私の宅録ソロプロジェクトで、社会人として働きながら趣味で曲を作っていこうというものでした。自分が聴いてみたい曲を作って発表する。それだけのものになるはずでした。ですが「絵」「月」「足跡」「海辺」という四曲をサウンドクラウドにアップロードしたあたりで突然、モナレコードのブッカーを務めるミズカミさんから「下北沢で行われるNewlink! というサーキットイベントにバンドとして出演しませんか?」というお誘いをいただきました。それは僕にとっては信じられないような出来事で、ただなんとなく自分で聴きたくて作っていただけの音楽が誰かの胸に響いたことが嬉しくて、その嬉しいテンションのままTwitterでバンドとして演奏ができそうな方に声をかけてまわりました。そうして既踏峰がバンドとして動き出したわけです。

下北沢のThreeでライブを行ったあと(とても緊張しました)、ひとりの女性が「すごく良かったです。CDとかありますか?」と声をかけてくれました。その方の嬉しそうな表情の純粋さに胸を打たれ、思わず泣き出しそうになりました(帰ってから一人で泣きました)。私個人としてはこの経験がとても大きくて「自分の心が誰かの心に届いたのだ!」といまでもなんだかほっこりとした気持ちになります。

それから一年くらい経って、宅録の2ndアルバム「夢をみる方法」をリリースしました。そのときに、いろいろな人からたくさん褒めてもらったり、メンバーのアイデアをどんどん曲に反映させていったりして、バンドは楽しいのだという気持ちが芽生えてきました。同時に、宅録の限界を感じ始めました。録音の粗や打ち込みのドラムの貧弱さ……様々な音の処理の甘さを隠すために深くかけたリバーブやディレイ(カラオケのエコーみたいなものです)は確かにサイケデリックなムードを出してはくれましたが、音の輪郭が薄れるため、聴きづらいのではないかと思い始めました。
また、バンドの状態も良くなってきていたため、今の姿を記録したいという思いが強くなり、何ヶ月か悶々としたのちに、プロのエンジニアさんと共に、しっかりしたスタジオで録音しようと決意したのです。レコーディングスタジオ選びには苦労しませんでした。生ドラムを良い音で録れる、を条件に考えてみたところ、私の大好きなバンドであるTaiko Super Kicksの大好きな作品「感性の網目/bones」というシングル(特にドラムの音の手触りが衝撃的だったので)が思い浮かび、さっそくクレジットを確認すると、スタジオクルーソーというところで録音されていることがわかりました。クルーソーの公式サイトの機材一覧を見ると、ヴィンテージの名機がズラッと並んでおり、ここしかない! と即決しました。そうして録音がスタートしたのでした。

自分の音楽のルーツ


私にとって音楽は、聴くと不思議な気持ちにさせてくれる魔法のようなもので、初めてそのへんてこな感覚を覚えたのは、幼少期にテレビで流れていたビートルズの「Hello, Goodbye」「All You Need Is Love」を聴いた時でした。知らないのに懐かしくて、無限に落ち続けるような気持ちになっているうちに曲が終わり、短い時間を永遠のように感じたのを覚えています。もちろんその時はビートルズを知らなかったので、まともに聴くようになったのは中学校に上がった頃でした。その頃はオールディーズが好きで、Shoutcastというプレイステーション・ポータブルに入っていたラジオのソフトでよく聴いていました。

幼い頃から小説を読むのが好きで(現実逃避のため)、中学の頃は星新一を愛読していました。新潮文庫の作品を読破する頃には、もっとショートショートものを開拓していきたいという気持ちが強くなり、日本SF御三家のひとりである筒井康隆(この出会いは私の人生を大きく変えました)を読み始めたのです。全集を図書館で借りては読む生活を続けていると、「パプリカ」が映画化されていることがわかりました。観たのはちょうど今敏監督が亡くなる直前のことだったと思います。映画はもちろん素晴らしかったのですが、それ以上にテーマソングの平沢進の「白虎野の娘」が衝撃的でした。聴いたことのない独特な歌詞に、力強い歌、今まで味わったことのない感覚に当初は激しい拒否感を覚え、うわ、変な音楽……と思っていました。そののちに「千年女優」を観て「ロタティオン」を聴いたときにも同じ感想を抱きました。それからしばらくは平沢進という人の音楽は恐ろしい、と思っていたのですがなぜだか心の何処かに引っかかって離れずにいて、気持ち悪いと思いながらも時々怖いもの見たさ(?)で聴く生活を続けていました。それから半年くらい経ったある日のこと、なんとなく聴く気になって再生した「ロタティオン」の旋律がものすごく気持ちよく響いたのです。それから平沢進にハマるのに時間はかかりませんでした。あっという間にCDを揃え、ひたすら聴き続ける毎日が始まったのです。

ところで、平沢進ショックと並行して、私は安部公房の作品に出会いました。最初に読んだのは「砂の女」で、今まで読んできたどの小説とも異なる質感の映像に衝撃を覚え、彼の作品を読みまくりました。特に気に入ったのは「箱男」「カンガルー・ノート」で、磨き抜かれた文体から浮かび上がるヴィジョンは、言葉を用いたサイケドラッグのようで、ページをめくるたびに深く酩酊していく感覚がとても心地よかったのを覚えています。

「カンガルー・ノート」にはPink Floydが登場します。そういえば、平沢進のWikipediaに「影響を受けたバンド」として取り上げられていたぞ、と思い出し、早速今はなき津田沼のディスクユニオンで「狂気」を購入し、聴きました。一撃でぶちのめされました。特に、B面ラストの二曲「brain damage / eclipse」の浮遊感は、まさに幼少期に聴いたビートルズのあの感覚そのもので、このときに初めて音楽の凄みを身をもって経験したのです。

そこから、好きなバンドのルーツを辿る旅が始まりました。すべては、ビートルズを聴いたときのあの感覚をふたたび味わうため……

今回の作品について

自分が気持ちいいな、と思える音を詰め込むことに熱中し、結果、良い作品ができたと思っています。

少しへんてこで、サイケデリックで、愛おしい楽曲が集まっています。
楽しんでいただけたら幸いです。

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